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2021年03月28日 イイね!

還暦放談?(勝手に言い放題〜その4)

還暦放談?(勝手に言い放題〜その4)

このところ急に昔の話しを書いているのですが、実はFacebookでお友達になって頂いた方が、38年前に富士で撮った動画(私の参加していたレースを富士の1コーナーで撮っていた)を公開されたんです。まさか自分の参加したレース動画が残っているなんて思ってもみませんでしたし、38年も経っているのに動画を見た瞬間にその当時の記憶が鮮明に蘇って来たんです。なのでその当時の事を思いついたまま書いてみようと…そんな動機です。私の場合はレースの参戦資金(学生でアルバイトしながら資金を貯めました)が限られていたので、フレッシュマンに3戦参加して優勝出来なかったらレースは止めよう(随分高いハードルを自分に課していたもんです…笑)と決めていました。結局その後も何回か参加(TSに乗らないかとチームから声を掛けて頂いたり、別のチームから乗って欲しいと頼まれたりして参戦)しましたが、アマチュアレーサーとして続けて行くほど潤沢な資金はありませんでしたし、プロへ行くほどの腕もありませんでしたので、きっぱりレース参加は諦めて社会人として働く事に専念しました。




還暦放談



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誰よりも自分が一番速い!(笑)と思ってレースに参加している(フレッシュマンでトップクラを走る人は、殆どが何処かの峠で一番速かった?なんて伝説を持っている)人が多いのですが、サーキットを走るとラップタイムが自分の実力を客観的に示してしまいます…なので多少の才能差はあれ、しっかり練習走行しないとタイムは上がりません。(逆説的に言えば、しっかり走り込めば〜誰でもある程度のレベルまで速くなれます)かの「日本一速い男」の異名を持つ星野さんでさえ、日産ワークス入りした当時は、他のドライバーの何倍(何十倍)も走り込まれたそうです。ですが、自己流でがむしゃらに走り込んでも限界があります。そこで当時私はSCCN(スポーツカークラブ日産)に所属していたので、日産レーシングスクールに参加しました。その時に助手席に乗せて貰い運転を指導して頂いたのが高橋健二さんでした。自分では知らなかった(当時まだ到達出来ていなかった)車の限界挙動やその時にするべきアクセルワークやハンドリング、全てが新鮮で「一皮剥けた?」感じでした。




還暦放談



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その経験以来〜富士のラップタイムはかなり速くなったのですが、その分ハイスピードで怖い思いも沢山しました…その辺りは後日気が向いたら書いてみます(笑)…で、ある程度速くなってそれなりのテクニックが身に付くと〜今度は今まで見えなかった(理解出来なかった?)プロドライバーの凄さが良く判るようになりました。当時はGCの全盛期でしたので、星野さん、中嶋さん(悟さんの方)、松本さんなどトップドライバーの走りを練習走行(ウィークデー)の時から間近(ピットの傍ら)で観る事が出来ました。そこで眼にしたのが〜どんなに悪条件の中でも、決してアクセルを緩めない(緩める事を許されない)プロの世界の厳しさ…その姿を見て自分には出来ないな〜と納得したんです。自分には無限の可能性がある?とか、これから先いくらでも速くなれると信じている(信じたい?)のは勝手ですが、厳しいプロの世界を間近に見ると、そんな幻想は吹っ飛んでしまうと思います。(当時のGCでは、トップドライバーが何人も亡くなられています)少なくとも私は自分を客観的に見て、プロへの道は諦めました。




還暦放談



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写真のスカイライン・シルエットフォーミュラ・ターボC(正式名称が違っていたらスミマセン)ですが〜丁度シェイクダウンの時、私も富士を走っていたので間近でテストを見る機会に恵まれました。ドライバーは長谷見さんで、メカニックが車を仕上げるまで自分の車(当時最新のセドリックターボに乗られてました)の中で仮眠を取っているのですが、車の準備が整うとメカニックが長谷見さんを起こしに行き、起きた長谷見さんは準備運動もせず?ヘルメットを被ったかと思うと、徐に車に乗り込んで時速300Km近いスピードでぶっ飛ばしているんです…とにかく凄い方でした。当時はバイアスレーシングタイヤからラジアルレーシングタイヤへ変わる過渡期で、乗り方を変えないとタイムが出ないと話されていたのが記憶に残っています。速度200Kmを超える最終コーナーの出口で、一瞬カウンターを当てて見事に立ち上がって行く長谷見さんのドライビングは忘れられません。その後もターボカーの開発競争が続いて、1500馬力を超えるグループCカーに至って〜後日長谷見さんが「お互いに生きていて良かったね」と同僚に語るほど危ない車(パワーとシャーシーバランスの問題?)だったんでしょうね〜何度も書きますが、とにかくプロの世界は凄いです。

Posted at 2021/03/28 13:45:58 | トラックバック(0) | レース | クルマ
2021年03月27日 イイね!

還暦放談?(勝手に言い放題〜その3)

還暦放談?(勝手に言い放題〜その3)

20代の前半に富士フレッシュマンレースに参戦して以降、学生から社会人になった事もあり〜仕事が忙しくて車に乗る機会はありませんでした。(正確にはレースカーの刺激を知ってしまったので、一般車に乗るのがつまらなくなってしまった…のが本音です)でもエンジンのついた乗り物(刺激)は欲しくて?(笑)その当時リッターバイク(カタナ1100)に乗っていました。その後名古屋へ転勤になって、その時に購入したのが「ケーターハム・スーパー7」でした。軽い車重故の軽快なハンドリング(実際はアンダー)がレースカーに近いモノがあり、満足していたのですが〜たまたまオリジナルのジネッタG4が売りに出された(しかもFIAペーパー付きのレースカー)と聞いて、気がついた時には購入していました(爆)




還暦放談



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このジネッタについての詳細は、またの機会に書かせて頂きますが〜今回のお話しは「異種格闘技戦?」についてです。レースと言ってもJAF公認のモノから、走行会に近いローカルなモノまで沢山ありますが、自分の腕を試すならやはりJAFの公認レース(ワンメイクレース)だと思います。理由はしっかりとしたレギュレーション(チューニングの範囲や使用するタイヤが決められている)があるからです。レギュレーションがあっても多少の有利不利(多くは資金的な差)はあるのですが、イコールコンディションの中で競うので、純粋にドライバーの腕が試されます。なので言い訳は一切ききません…レースが始まれば、自分が速いのか遅いのか?直ぐに判ってしまいます。ただこの世界は本当に厳しい〜その世界でどんどん上へ行けばプロの世界に繋がっているのですから当たり前なんですけど…楽しい?(やり甲斐はある)けど、色んな意味で疲れます。




還暦放談



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あまりにストイックな世界で走るのは疲れます…が走るのは楽しみたい〜そんな人達が楽しめるのがローカルレース(JAF公認以外)なんだと思います。それでも普通のローカルレースならレギュレーションが定められている(排気量やチューニングの範囲、使用タイヤなど緩いながらもルールがある)のですが、今回掲載した写真のレース(廃止されたHSP:北海道スピードパークで開催されていた)は物凄く緩い?(と言うか殆ど自由な改造が許されていた)レギュレーションでした(笑)その名も「最速王座決定戦」見るのも聞くのも恥ずかしいようなレース名?ですが、まあ誰が一番速いか決めましょう?的なレースだったんです。なので排気量が異なったりタイヤもスリック履いていたり、普通なら競わないカテゴリーの車が一緒に走ってました。(如何にも自由な北海道らしい?レースだったと思います)そんなレースにG4で参戦していました。ライバルは大排気量(2Lやそれ以上のフルチューン)でスリックタイヤを履いた純レースカーなど(所謂Rクラス)が多く、此方は1500ccのOHVに175のAVON(バイアスタイヤ)でしたから、直線は全く勝負になりません〜よってコーナースピード命?で、とにかくコーナーだけは速く走りました。TSには及ばないですが、公道を走れる車としては抜群にコーナリングスピードは高かったと思います。(ポルシェがカメに感じるくらいです…笑)1960年代の車ですが、ポテンシャルは現代の車に勝るとも劣らない素晴らしい車でした…で「最速王座決定戦」でもコーナリングの速いG4のお陰でレースに優勝する事が出来て〜賞品に美味しい「じゃがいも」を戴いたり楽しい想い出がいっぱいです。なので異種格闘技戦も嫌いではありません(笑)

Posted at 2021/03/27 10:24:08 | トラックバック(0) | Ginetta | クルマ
2021年03月25日 イイね!

ニュルの女王

ニュルの女王

ニュルブルクリンクの女王「Sabine Schmitz」さんが癌で亡くなられたそうです。
心よりご冥福をお祈り致します。

雨のニュルでライバルをゴボウ抜きする「Sabine Schmitz」さんのドライビングです…前車をパスする際の的確な判断と丁寧な操作は勿論〜後半の高速セクションで見せるアクセルワークとカウンターも圧巻です。




Posted at 2021/03/25 14:59:58 | トラックバック(0) | レース | クルマ
2021年03月21日 イイね!

還暦放談?(勝手に言い放題〜その2)

還暦放談?(勝手に言い放題〜その2)

富士フレッシュマンレースに参戦していた頃、平日に練習走行していると〜たまに一般車(ナンバー付きの車)がスポーツ走行している事がありました。殆ど国産のチューニングカー(S30ZやRX7など)でしたが、ポルシェはノーマルで走っている車が多いのに驚かされました。ですが当時一緒に走ったポルシェ達(ポルシェクラブの走行会だった?)の遅い事と言ったら…直線ばっかり速くてコーナーは遅い〜遥か先を走っていたのにブレーキングで追いついちゃうしコーナリングも遅いので、タイムを詰める時はとても邪魔な存在でした。今思えば仕方が無い(タイヤもサスも市販のままですから、高速サーキットで無理は出来ない状態だった筈)のですが、当時の私は生意気盛りでしたので〜「ポルシェを買えるくらいお金を持ってるんだったら、安いレーシングカーを買った方がずっと速く走れるのに何故そうしないんだろう?」と思ってました(笑)




還暦放談その2



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そんな事を思っていた本人が還暦になった現在〜サーキットを動くパイロンと化して?走っています(爆)…何でだろう?とあらためて考え直してみたのですが、20代でレースをやっていた当時は〜「走る事を純粋に楽しんでいなかったから?」かも知れないと思い至りました。当時はレースに勝つ事だけを考えていて、タイムを削る事に集中(ストイックに考えていた)するあまり〜走りを楽しむ「ゆとり?」はありませんでした。予選が終わり決勝が始まる前の時間は、レース展開やライバルの事を考えて〜プレッシャーから胃が痛くなったり、とても楽しい状況では無かったんです。レース中に怪我をしたり、場合によっては命を失う事もあるので、レース当日は新しい下着を身に付けて〜万が一の際は弟に連絡が入る事を伝えていました。(人によると思いますが、死ぬかも知れない?と思うレベルまで自分を追い込んで、本気で走る状況は中々無いと思います)それが今では競争心や闘争心などは何処にも無い(笑)気の抜けた還暦親父になりましたので〜肩の力を抜いて純粋に走る事だけ(車との対話)を楽しめようになったんだと思います。

Posted at 2021/03/21 11:49:17 | トラックバック(0) | レース | クルマ
2021年03月20日 イイね!

還暦放談?(勝手に言い放題〜その1)

還暦放談?(勝手に言い放題〜その1)

写真は1983年の富士(FISCO)雨の最終コーナー立ち上がり、富士フレッシュマンレースの決勝だったと思います。予選3番手からスタートして一周目でトップに上がり逃げ切りを図りましたが叶わず…その後トップグループで抜きつ抜かれつの展開から〜1コーナーの進入で多重スピンが発生〜私も巻き込まれスピンして最後尾近くまで転落…諦めずに追い上げましたが、残り周回が2周しかなく悔しい16位フィニッシュでした〜これがフレッシュマン参加3戦目でした。非公式ですが、練習走行でNP1600クラスのコースレコードを出した事もあります。(RSアイザワの相澤社長など、当時を知っている人は、未だに覚えてくれていました。)




還暦放談



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…で此方は1983年のオートスポーツ誌に掲載された写真で、一番右で笑っているのが私です。この時が私(当時22歳)のデビューレースで、予選18番手(雨でアドバンのタイプDが全くグリップしなかった結果、当時お金のある人は雨用のタイプCを履いていましたが、私はドライ用のタイプDしか持っていなかった…涙)〜決勝(セミウェット)では前車15台を抜いて3位に〜表彰台で1位(ダンロップ)と2位(ブリヂストン)の人がタイヤメーカーの帽子を被っているのに、私は何も被っていません…当時表彰台に上がりそうなドライバーには事前にメーカーの担当者が帽子を渡しておいて、写真撮影の際に被って貰うのが通例でしたが、私は全く期待されていなかった(初戦で表彰台に上る人は殆ど居ない)んです(笑)撮影が終わってから、慌てて横浜ゴムの方がADVANの帽子を持って来てくれました。レースにたらればは無いのですが、この時も濃霧で決勝が7周に短縮されてしまい、もう少し周回数があれば〜結果も変わっていたかも?知れません。




還暦放談



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此方は1984年の富士フレッシュマンTS1300クラスの決勝前です〜当時はこんな証明書?を発行してくれました。(現在の富士だと1分58〜59秒くらいでしょうか?)当時は学生でしたからレースの参戦資金が不足していて、83年にNP1600クラスを3戦走っただけでレース活動は止めていました。そこへオートクリニック日産の八木沼社長が声を掛けて下さって、夢のTS1300(当時アマチュアレーサーが憧れていたクラス)に参戦出来る事になりました…ですがレース会の諸先輩(猛者)に囲まれて、相当緊張している(縮こまっている?)時の写真です(笑)初めてのスリックタイヤや、6,000rpm以下は全く使えないフルチューンエンジン(リミット9,200rpm)に戸惑っていましたが…予選結果は6位(予選参加50台以上、決勝グリッドは38台まで)でしたが、この時のメカニック(オオハシ=今のJ-craft社長の亡くなった弟さん)が嬉しそうだった事…ランチタイム(富士のヘアピン上にあった昔の食堂でカレーを食べながら)に周囲のライバルチームに「ウチのドライバーは初めてTSに乗ったんだぜ〜(それでもこれだけ速いタイムが出るんだから、ウチの車は凄いんだぞ!と言うアピール)と言いまくり?私は嬉しいやら恥ずかしいやら…で、決勝は打倒オオハシに燃えるライバルチーム(スネイル)のドライバーがチーム監督から「あいつは初めてTS乗ってお前より速いんだぞ、エンジンぶっ壊しても良いから絶対に抜いて来い!」って言われて、私がレブリミット9,200rpmを守って走る中、ライバルは9,800rpmまで廻して最後の直線で抜かれて7位(入賞を逃す)で終わりました(爆)





此方はネットからの借り物ですが、当時のTS1300クラスの雰囲気が伝わる動画なので、参考までに転載してみました。私の時はAコーナーは無かったので、260Rから100Rまでもっと速い速度で飛び込んでいました。(かなりシビアなコントロールが要求される場所でした)スリックタイヤの恩恵で、コーナリングはF-3と殆ど変わらない速度が出るため、Gでヘルメットが傾くので、意識して頭を上げて走った事を覚えています。車重は550Kg?1300ccでしたが150馬力前後は出ていたと思います。ブレーキもロッキードの4ポッド(当時としては凄かった)で、コーナー進入のブレーキング競争は激しい物がありました。直線ではスリップの使い合いで、前に2〜3台いると通常より速度が上がり、レブリミットを超えてしまうくらい車速が乗る事もありました。(通常は単独で1コーナー入り口前で9,200rpm廻り切る様なギア比にしているので、スリップで速度が上がるとレブを超えてしまう)レース中でもフルチューンエンジンのTSが並走して走ると反響音で物凄く良い音(思わず聞き惚れてしまう?ほど)が聞こえます。

Posted at 2021/03/20 11:30:17 | トラックバック(0) | レース | クルマ

プロフィール

「垂れ流しは嫌だ〜 http://cvw.jp/b/579216/47653085/
何シテル?   04/13 22:37
子供の頃から車好きです。
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