ご存知、三菱はランサーエボリューションの生産を現モデルで終了するそうです。
正直、4G63Eg消滅よりもショックなニュースでした、
エンジンどころか車自体作らなくなる訳ですから。
自分が初めてランエボを知ったのが中学生の頃。
当時のモデルはエボⅤの時代しかし、自分が初めてランエボを眼にしたのがエボⅢ
。
ミニチュアだったのですが見たときに衝撃をうけました、イエローのセダンボディーに見たことの無い張出したバンパーとデカイリアウィング。
そのミニチュアがどうしても忘れられず後日、またそれを眼にした時、即買いしていました(笑)
この時ランエボを知り同時に、「将来エボⅢに乗りたい!!」と考えるようになり、高校へ入学してもランエボ熱は冷めず、本格的にランエボへ注目するようになっていました。
車雑誌やビデオで国産最速車バトルで、ライバルのインプレッサとのガチンコバトルを演じていました。
CT系エボになると34GT-Rと互角以上に渡り合い、S耐ではポルシェキラーとして恐れられる存在にまで進化していきました。
そんな時代真っ盛りに免許を取得し、初めて乗った車がエボⅦGT-A。

MT免許は取得してはいたのですが故障のリスクを考え、新車で買えるランエボがGT-Aだったので、この車が生まれて初めて所有して、運転する車になりました。
納車日はまだ高校生、学ランのままシートに座り卒業する日をずっと待っていました。それこそミニチュアを手にした少年時代に還ったような興奮があったのを今でも憶えています。
卒業式を迎え、免許を担任から渡されてダッシュで帰宅、ダッシュでGT‐Aに乗り込み、気心知れた仲間とドライブに出かける。
解放された気分と自由になれた嬉しさを爆発させながら憧れの車を運転する、至高の時間でした!(マジで逝きそうでしたw)
GT-Aをずっと乗り続けるつもりでいました。
その後、一度フロントをブツけて35諭吉orz
また更に、助手席側の側面を峠の岩場に叩きつけて修理に100諭吉以上、
しかも、ちゃんと走る保証なし!
修理か廃車かで悩んでいた頃、程度の良さそうなエボⅧを発見!!
実はこのランエボ、全損する1ヶ月前にGT-Aでドライブしていた時、ディーラーで見つけていたのですが、ブーレイフェイスが好きになれず、気にもしていなかった。
ですが状況が変わり、ランエボすら乗れない俺にとっては救いとなり、考えた末この車を選び、再びランエボオーナーになり返り咲き(^^)v
以降はローンで長い年月を費やす事になるのでした・・・・。

そんな中でもナビを手に入れ、関東へ遊びに行ったり、ナビ頼りに道路を走り、峠を攻めたり、バトルでコンパクトカーにチギられたり、カスタマイズして自分好みに仕上げてみたり、20代の青春時代のほぼ全てをランエボと過ごしたと言ってもいいと思います。
そんな素晴らしい時間を与えてくれたランエボが生産終了すると聞き、ショックだったし、状況を考えれば来る時が来たと冷静になって受け止めていたり半々の心境でした。
もともとランエボはコンペティションであってスポーティーとは違うので、社を挙げてレーシングフィールドに送り込むって言う流れが薄れていった辺り、ランエボの存続が疑問になって行ったのも頷ける話です。
増して低燃費車全盛期、EV車、HV車、PHV車、そしてPHEVアウトランダー、奇しくもランエボ生産終了に追いやった車がカーオブザイヤーダブル受賞・・・・。
大量に化石燃料を消費するハイパワー4WD車には非常に分が悪い時代です。
技術も進歩して、自然エネルギーで車を動かせる時代に成りつつある昨今、客層もそちらに流れ、自身にもその流れに飲まつつありそうな状況であり、ガソリン大量消費時代が閉ざされそうな中で今でも心にドスンと来る言葉が、
「つまらない大人になっていないだろうか?」
「今走らなければ、ずっと走れないような気がした」
GT-Aがまだ市販されていたとき、CMで流れていました。
当時は何とも思っていなかったのですが、今にして思えばかなりグッと来るCMではないかと思います。
あの頃の三菱が懐かしい!
初めて衝撃を受けたミニチュアカー、初めて手に入れた愛車、数々の思い出と苦楽を共にした車、
自分にとってどの瞬間も欠けがえのない思い出でした。その相棒がランエボだったことを本当に誇りに思います。
LANCER EVOLUTION 今まで有難う!
そしてさようなら!!
復活したらこのテンション、どうすればいいんだべ?
by Mkオタケン
Posted at 2014/04/15 00:27:40 | |
トラックバック(0) | 日記