救援物資ノートに不明母の絵、宮城の9歳女児
2011.3.25 12:45
大津波の被害にあった宮城県名取市の避難所で暮らす市立閖上小3年、宮下奈月ちゃん(9)は、最近、しきりにノートに母親の久実さん(38)の絵を描く。
久実さんは地震後、25日まで、行方が分からない。
きょうだいのなかでもっともママっ子だった奈月ちゃん。
久実さんの姿は描くのに、母親の話は決してしない。
一緒にいる祖母のヨシ子さん(67)は奈月ちゃんが心配でたまらない。
宮下家は名取市の海岸沿いに家があり、奈月ちゃん、姉の奈々さん(12)、兄の直人さん(14)、母の久美さんと祖母のヨシ子さんが家族。
久実さんは5年前に離婚し、父は一緒に暮らしていない。
津波に襲われた11日は閖上小3の奈月ちゃんと小6の奈々さんは授業中。
久実さんは警備会社で仕事をしていた。
直人さんは中学校の卒業式を終えヨシ子さんと自宅に。
家族5人は3カ所にばらばらにいたのだ。
激しい揺れに襲われ、自宅にいたヨシ子さんは直人さんと近くの閖上中に走って避難。
そのときに久実さんから携帯電話のメールが着信。
内容は「子供たちは大丈夫? 早く避難してよ」。
ヨシ子さんは「避難した。会社にいて。自宅には絶対戻ってはダメ」と返信した。
津波の黒い波は、すぐに閖上中を襲い、校舎は2階まで飲み込まれた。
あわてて3階まで駆け上がり、助かった。
11日は水が引かず、一晩をそこで明かした。12日になって、水が引いた閖上中を離れ、内陸寄りの館腰小へ移動し、閖上小から移った奈々さんと奈月ちゃんに会えた。
閖上小も浸水したが無事だった。
あとは久美さんだけだった。
このとき、ヨシ子さんは久実さんは会社で避難していると信じ込んでいた。
「子供は全員無事」と伝えたくて、久実さんが務める警備会社に電話すると、「久実さんは地震直後に会社を出た」と告げられた。
ヨシ子さんにメールを送った後、「娘2人がいる小学校に行く」と車で飛び出したらしい。会社から閖上小に向かう道はすべて水没している。
「津波に巻き込まれたのでは」と久実さんの携帯に電話した。
つながらない。
ゾッとした。
すぐに避難所を探し始めた。市役所で避難者名簿を確認し、市内の救急病院すべてに問い合わせた。遺体安置所も行った。
久実さんと同じ年ごろの女性の身元不明遺体を震えながら確認したが、別人だった。車も見つからず手がかりは全くない。
ヨシ子さんは「会社にいれば大丈夫だったのに。子供が心配で様子を見に行って波にのまれるなんて…」と声を詰まらせる。
久実さんは離婚後、会社勤めをはじめ、毎朝、子供たちの食事を作ってから出勤、夜遅くまで警備会社で事務をした。「お金のことで不自由な思いはさせたくない」と毎日、忙しそうに働いていた。子供たちの希望どおり、奈月ちゃんを英語教室に通わせ、奈々さんにはピアノを習わせた。
久実さんが行方不明と聞き、直人さんや奈々さんは声を上げて泣いた。「津波が憎い」とはっきり言葉に出して怒った。
だが、奈月ちゃんは怒りも悲しみも見せない。
いつもと変わらなかった。
「ママのことはあんまり言わないで」とぽつりと言った。
奈月ちゃんは時々、ヨシ子さんの携帯電話を持って1人でどこかへ行く。
ヨシ子さんが「何していたの」とたずねても、奈月ちゃんは「ナイショ」とほほ笑む。
久実さんが子供たちを思って残したメールをみているのだろうか。
ママに電話をしているのかもしれない。
ヨシ子さんは小さな心に大きな傷を抱えてしまった奈月ちゃんがふびんでならない。
(大森貴弘)
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110325/dst11032512490031-n2.htm
参考「校庭で笑顔で遊ぶ子供たちとか、子供は被災地でも元気だというのは幻想だ」
娘にこの話をした。
すると自分の貯金から募金をするという。
家族の分も足して募金をしてきた。
街はきれいに復興したとしても・・・
心に開いた穴まではふさげない・・・
励まされて心の傷は癒せるのだろうか・・・
こんな子に「がんばれ!」なんて・・・
でも・・・がんばれ・・・
がんばれ・・・
きっと・・・いつか・・・
きっと・・・
まだまだ被災地では悲惨な状況が続いています。
http://ameblo.jp/lady-moon/entry-10842389106.html#main
普段通りの生活もけっこうですが・・・
救援物資も一時ほど送られず、底をつき、寒さに震える30万人を支援しましょう。
Posted at 2011/03/29 11:13:24 | |
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