
2日に41歳の若さで死去した流通ジャーナリスト金子哲雄さんの通夜が4日、東京・港区の心光院で営まれた。金子さんは生前から自分の通夜や葬儀・告別式、墓の準備を進めていた。
この日は参列者に金子さんが用意していた手紙が配られた。
以下、手紙全文
このたびは、お忙しい中、私、金子哲雄の葬儀にご列席たまわり、ありがとうございました。
今回、41歳で人生における早期リタイア制度を利用させていただいたことに対し、感謝申し上げると同時に、現在、お仕事などにて、お世話になっている関係者のみなさまに、ご迷惑おかけしましたこと、心よりおわび申し上げます。
申し訳ございません。
もちろん、早期リタイアしたからといって、ゆっくりと休むつもりは毛頭ございません!
第二の現場では、全国どこでも、すぐに行くことができる「魔法のドア」があるとうかがっております。
そこで、札幌、東京、名古屋、大阪、松山、福岡など、お世話になったみなさまがいらっしゃる地域におじゃまし、心あたたまるハッピーな話題、おトクなネタを探して、歩き回り、情報発信を継続したい所存です。
今回、ご縁がありまして東京タワーの足元、心光院さまが次の拠点となりました。
「何か、面白いネタがないかな?」と思われましたら、チャンネルや周波数を東京タワー方面に合わせ、金子の姿を思い出していただけましたら幸いです。
このたび、葬儀を執り行うにあたりまして葬儀社のセレモニーみやざき 宮崎美津子さまには生前より真摯(しんし)に相談にのって頂きました。
また、自分の歩んできた道とゆかりのある港区東麻布を終(つい)の住処とすることをお許しいただきました、浄土宗 心光院 御住職 戸松 義晴先生には公私にわたり、死生観などのアドバイスをちょうだいしました。
この場をお借りして御礼申し上げます。
ありがとうございました。
最後になりますが、本日、ご列席下さいました、みなさまのご健康とご多幸を心よりお祈りしております。
41年間、お世話になり、ありがとうございました。
急ぎ、書面にて御礼まで。
平成24年10月1日
流通ジャーナリスト 金子哲雄
流通ジャーナリストの金子哲雄(かねこ・てつお)さんが2日午前1時18分、肺カルチノイドのため、都内の自宅で死去した。41歳だった。関係者によると、約1年前から腫瘍の一種、カルチノイドが肺に見つかり、治療を続けてきたが、有効な治療法がない状態だったという。1カ月前から容体が急変。入退院を繰り返していたが、妻の稚子(わかこ)さんにみとられ、自宅で亡くなったという。
テレビ、ラジオなどで評論家として活躍してきた金子さんが病魔との闘いの末、2日未明に他界した。所属事務所によると、金子さんは約1年前から腫瘍の一種、カルチノイドが肺に見つかり、治療を続けてきた。有効な治療法がない状態だったという。1カ月前から容体が急変。入退院を繰り返していたが、妻の稚子さんにみとられ、自宅で亡くなった。「家で最期を迎えたい」という金子さんの希望通りだった。
「最期まで仕事を一生懸命やりたい」という本人の強い希望から、病身を押して、亡くなる直前まで仕事を続けていた。亡くなる前日1日も雑誌の電話取材を自宅で受けていたという。9月28日までにツイッターも更新していた。
金子さんは08年ごろからテレビ、ラジオに登場。自ら編み出した商品の値切りテクニックや節約術、底値カレンダーなどを披露した。金子さん自身の造語の肩書「国際値切リスト」を名乗ったこともあった。豊富な知識とともに、舌足らずな語り口やマシンガントークも受けて、フジテレビ系「ホンマでっか!?TV」などのバラエティー番組や情報番組、ラジオ番組などの各メディアに多数出演した。
太り過ぎが原因で呼吸量が減少するなどで、睡眠時無呼吸症候群と診断され、昨夏からダイエットを敢行。玄米と野菜中心の食生活で、今春までに体重を13キロ落とした。出演番組などでダイエット法を明かしていたものの、激やせぶりが話題になっていた。
喪主は妻の金子稚子さん。通夜は4日午後6時から、葬儀・告別式は5日午前10時から、東京都港区の心光院で営まれる。
◆金子哲雄(かねこ・てつお)1971年(昭46)4月30日、東京都生まれ。あらゆるジャンルの流通過程を追い続ける流通ジャーナリスト兼プライスアナリスト。中小企業診断士の資格を持つ。94年に慶大卒業後、ジャパンエナジー(現JXホールディングス)を経て、コンサルタントとして独立。世界の行列店を取材、売り上げや利益を高める手法を情報発信した。著書は「『激安』のからくり」「『値切り』のマジック」など多数。
◆肺カルチノイド 肺に出来る腫瘍。腫瘍を顕微鏡で調べるとがんに似た組織がみられるが、大半は良性腫瘍。自覚症状はなく、健康診断のエックス線で見つかることが多い。腫瘍の進行も遅いため、手術で腫瘍を摘出すれば治る。小腸、大腸、胃、膵臓(すいぞう)などの臓器に転移することが多いが、手術や薬物療法で症状を抑えることが出来る。発症率は10万人に1人という珍しい病気。
現場主義にこだわり 流通ジャーナリスト、金子哲雄氏(4日、東京都港区の心光院)
〈このたびは、お忙しい中、私、金子哲雄の葬儀にご列席賜り、ありがとうございました〉
通夜の席上、こんな書き出しで始まる挨拶状が配られた。流通の仕組みや値切り方などを分かりやすく解説したお茶の間の人気者は、自身の容体を悟り、9月に自ら筆をとったのだという。ほかにも、愛用のオレンジの眼鏡とネクタイ姿の遺影やひつぎ、霊柩(れいきゅう)車まで事前に決められるものはすべて自分で決めていた。
「きちょうめんで心配りの人なんです」と話すのはバラエティー番組で共演した教育評論家の尾木直樹さん(65)。「番組で戸惑う私に『あの発言はよかった』と感想を送ってくれたり、テレビで自分の気持ちを伝える方法などを教えてくれた。私の師匠です」
慶応大卒業後、ジャパンエナジー(現JXホールディングス)での勤務を経て平成11年から流通ジャーナリストとして活動を始めた。こだわりは“経済評論家”にならないこと。尾木さんは「理論や数字での評論ではなく、現場で目で見て触って使った結果を語る。だからこそ言葉に説得力があった」と分析する。
昨年6月に検査で悪性腫瘍の「肺カルチノイド」が判明。以降は入退院を繰り返した。テレビやラジオは今年8月を最後に出演を控えたが取材には積極的に応じ、亡くなる前日夕方まで雑誌の取材を受けていた。
享年41。挨拶状では〈人生における早期リタイヤ制度を利用させて頂いた〉とする一方、今後の“活動方針”もつづっていた。
〈お世話になったみなさまがいらっしゃる地域におじゃまし、心あたたまるハッピーな話題、おトクなネタを探して、歩き回り、情報発信を継続したい所存です〉。天に旅立った後もなお、現場主義の面目躍如だ。
(豊吉広英)
全くもって見事な終活でらっしゃいます。
心からご冥福をお祈りいたしますとともに、あちらでの今後のご活躍を御祈念申し上げます。
合掌
Posted at 2012/10/05 12:03:40 | |
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