2010年12月27日
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Posted at 2010/12/27 02:23:39 | |
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2010年08月01日
シルキー・シックス
それはBMWを語る時に外せないワードの一つであり、ALPINAこそシルキーさの極みに他ならない、
と結論付けたとしても、決して大袈裟ではあるまい
ALPINAのサウンドノートには、確かに淡い色香が潜んでいる・・・
Schwarzwald に木霊するかのようなB8の幻想的な調べとは全く異質のものであるが、E46/B3までのALPINAには、BiTURBOやSuperchargedの過給によってデコレートされた現代のALPINAには失われてしまった響きがある
その調べには、オペラを生んだ彼の地のスクーデリアたちが奏でる、やや華美で冗長ともいえる、よく謳うそれとも違う何かが宿っている 陽気さの欠片すらなく、深い哀しみを心底に隠すかのように潜ませた心が人肌の仄かな温かさにほんの少し染まるかのような低い温度感
官能とは対極にある憂いを帯びた響きは、ドイツの森の深さとも通じ合う
生まれながらにしてアリアにはなれない運命(さだめ)にあるブラックバードが、飛び疲れて降り立った見知らぬ地で、凍てついた心を解きほぐすかのような情感(シルキーな優しさ)に触れた夜に、一人佇む中で思わず洩らしてしまった歓喜の叫びのように、その調べに嘘は無い
深い森の哀しみに通じる硬質的な基音の上に重ねられる仄かな温もりが、クールさの中に情感をたたえる色香にその調べを転じさせているのだろう・・・ シルキーさの上に乗った哀しみを帯びた響きは、スクーデリアの官能よりも、深く、私の心に浸透していく
H330で駆けた後、決まって同じルートをB3でなぞるようにしてしまうのは何故だろうか その行為には誰かの哀しみが投影されているのかも知れない・・・
E36/B3がもたらすノスタルジアや幻影をALPINAのサウンドノートが美しく彩る中、シルクが織りなす調べに身を委ね、コーナーを見据える眼差しの先には、まるでNordschleifeが啓けてくるかのようだ
Posted at 2010/08/01 22:38:43 | |
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ALPINA | 日記
2010年04月11日
洗練さを以って知られるALPINAの中で際立つ個性を放ち続けるモデルがある
そう、モンスターコンパクトの名を欲しい侭にしたE36/B8 ここにALPINAがALPINAである所以が結実している
しかし、それは洗練さの極みとは対極に振れてしまったかのような、危ういバランスの中でギリギリに均衡を保っている 異端の香りに満ち、まるで狼の群れがターゲットに忍び寄り、まさに跳びかからんとする、その数瞬の間に生まれる静寂にも似た緊張感ある佇まい
巧みなエンジニアリングによって洗練さに向かいつつあったALPINAが、その本性を隠しきれずに本能の赴くまま辿り着いてしまった対岸で奇跡的に生み落とされたB8は、ある意味で洗練が生んだ異端ともいえる
その強烈な存在感は、獰猛さが内包する、迫りくる死の静寂にも似た不思議で危うい均衡点に位置している 時代を経るごとに、存在感は極まるばかりだ
・・・もう、二度と、ALPINAが行けない極みの対岸
イグニッションを捻ると同時にコックピットに浸透してくるV8のサウンドノートは、ワインディングに心地よく響き渡るストレート6のそれとは違い、Schwarzwald に木霊する咆哮のよう
フロントヘビーなどというドライヴァーの固定観念を呆気なく覆す、フロントから引っ張られるような強烈な加速感は、一瞬にして景色を失わせる
ゲルマンの深い森が創り出す漆黒の闇の中、そこに宿る死の静寂を美しく破壊しつつ疾駆するかのような幻想的な軌跡 B8が走り抜けた後には、闇と静寂の深さが一段と極まるのだ
このような世界を創り出せるモデルなど、他に、そしてこれから、一体あると言えるのか?
極みは、死に、近い しかし、その臨界点にこそ、生が溢れている・・・
辺境に咲いた至高のB8 その花の残り香は漆黒の闇を救う月光にも似て、淡い光を放ち続けている
ALPINAの恐れと極み
B8を操るということ それは、生と死を同時に体感しながら、生と死をつなぐ己のディスタンスの中で、心地よい静寂に包まれつつ心の均衡を見い出す行為でもある
極みのB8は、洗練が姿を変えた、異端の均衡 私を捕えて離さない、ALPINAの聖地
Posted at 2010/04/11 19:01:59 | |
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ALPINA | 日記
2010年03月22日
ALPINA がベースとするBMWには、その系譜上、いくつかの流れが見い出せる
例えば3シリーズは、E21→E30→E36→E46→E90/E91/E92/E93 と変遷してきているが、E30からE36へ、そしてE46からE90シリーズへというモデルチェンジにおいて、明らかにコンセプトやパッケージング、デザイン上の飛躍が認められる
M3の系譜を見ても、その心臓部に収まるエンジンが象徴するように、ストレート4のE30、ストレート6のE36/E46、遂にV8を搭載したE90シリーズへと変貌を遂げている(E46-GTRという例外はあるが)
ホロモゲーションのために派生したE30 M3のレーシングライクな匂いは、E36/E46でグランツーリスモ色を強め、もはやコンパクトスポーツの名を冠するに相応しいとは言い難いサイズに肥大したE90/E92では、エクステリアデザインの洗練さが、却ってレースというフィールドから遠いところに位置している現実を如実に代弁しているかのようだ
BMWは、キドニーグリルという変わらぬ象徴を常に纏いながらも、その系譜上、2世代ごとにコンセプトを大きく変えてきている それはM3の変貌のタイミングとも一致し、BMWは2世代に亘ってキープコンセプトを貫き、E30→E36、そしてE46→E90シリーズへのモデルチェンジがそれぞれの分岐点となっている ここに系譜上の分断が見い出せる
しかし、BMWという稀に見る良質の素材をベースに創り上げられたALPINAについて思いを巡らす時、私には、BMWの系譜上の分岐点を超えて、E36→E46というB3の変遷に、明らかな違いがあるように思えてならない
それは、私にとってのALPINAのデザイン上の象徴が、B7やB9、そしてC1、C2という時代に依拠したものであるからだろう
ALPINAを所有するということが遠い世界の夢物語であったあの時代、B7らのフロントマスクは、私の中でデコラインよりも神格化された象徴になっていた あの精悍なマスクを形成するフロントスポイラーのデザインこそ、キドニーやデコライン、エンブレムよりも、ALPINAのALPINAたる本質(所以)が現出したものであると
例え時代の変遷の中でALPINAがモータースポーツから遠く離れるようになっても、私が求めないラグジュアリー度をいつしか増してしまったとしても、あの精悍な佇まいを見せるラインだけは失って欲しくないと勝手に願っていたのだ
そんな私には、BMWのキープコンセプトを超えて、E36/B3とE46/B3の間に進化といえるレベルの明らかな変貌が認められ、E46/B3のハンドリングの秀逸さがE36/B3との分断を感じさせる程の高みに達した現実をもってしても、E46/B3を選べなかった理由の1つかも知れない
私が求めているのは単なるノスタルジアなのかも知れない・・・ ALPINAが確かにALPINAであった時代の幻影を追い求め、そしてALPINAが遠い夢の世界への憧憬であった時代の名残りを追い駆けて、B3 3.2とともに踏み止まっているのかも知れない
自己満足でしかない行為であることは自覚しているが、ノスタルジアに浸れ、その残り香ごとフィールとして感じられるのも、それがALPINAであるからだろう
Posted at 2010/03/22 23:58:34 | |
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ALPINA | 日記
2010年01月03日
コンプリート・カーを意識したのは、ALPINAとの出会いからだった ALPINAの象徴でもある、あのグリーンとブルーのステッチがアクセントになったコックピットは、いつしか憧憬の対象になっていた
独自の境地に達しているという意味においては、イエローバードを産み出したRUFこそ、ゲルマンの一つの頂であり極みの象徴でもあり、際立つ存在感を放ち続ける孤高の存在だ
BMWに限っても、例えシリーズ化されたラインナップになっていなくても、ワンオフでおくりだされるコンプリート・カーがSCHNITZERやHAMANNなどのチューナーに見受けられる Racing Dynamics も日本では馴染みがあるチューナーだ
しかし、私の中では、コンプリート・カーのイメージから想起されるのは、いつもALPINAだ きっとそこに、長い年月にわたって傾けられた信念と情熱が産み出した洗練と伝説があるからだろう デコラインではなく、あのステッチが頭をよぎるのも、ある種の洗練の象徴であるからだろう
まだM3がストレート6であった佳き時代に、V8をスワップしたモンスターコンパクトのB8 不死鳥と呼ばれた伝説のドライバー、ニキ・ラウダがステアリングを握り、ツーリングカーのヨーロッパ選手権を獲得した1973年
こうした輝かしい逸話が幾多あるにも関わらず、BMWのチューナーにありがちな、ロードでは浮いてしまうようなエアロデザインを纏うことをせずに、デコラインが最大の華であるかのような慎ましいアピアランスに留まっているのは何故か
そこには創業者 Burkard Bovensiepen 氏の哲学に支えられたエンジニアリングの巧みさが介在しているように思う Philosophy と Engineering が高いレベルでバランスし、そして結実しているのだろう
ここに1987年に実施されたある雑誌のインタビュー記事がある
レースからの撤退とメーカーへの転身の理由を問われたBovensiepen氏は、「レースによって学ぶことはもうなくなっていたのです。(中略)そこで、いよいよ長年あたためてきたアイディアの実行に移りました。1978年に初めて着手した、それは自動車のコンプリートな高性能化そして高級化であります。すなわち、それまでのチューナーというカテゴリーからもっと前進したもので、ずっと高度で、性能も仕上げもメーカーのようにできるほどのものです。」と答えている。そして、ALPINAの生産哲学は「クオリティの維持」であるとも
いまから既に20年前、そしてB8が産み出される10年前に、ALPINAは明確なPhilosophyを確立し、それを貫く姿勢が自ずと希有なコンプリート感/観を形成していったのだろう 洗練さというカッコよさを身に纏って
Posted at 2010/01/03 22:27:33 | |
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ALPINA | 日記