
まず、昨日の、「もうすぐモーターショー」の話と「エコの話」に続けて、
「燃費の話」。
東京⇔福岡、片道1200km超、往復2500kmツーリングの「まとめ」が、まだ終わっていない。
ただ、ご安心を。
燃料を注いだデーターなど、きちんと保管・集計してあるのだ。
燃料を注いだ回数は、全部で9回。
量にして、177.81ℓ。
走行距離は2499kmであるから、
2499÷177.81=14.054…..km/ℓ。
つまり、我が家のコルト(1300cc・NA)の、ロングツーリングにおける燃費は、
おおよそ14km/ℓと考えてよいだろう。
・・・私の足は、淵上の足ではない。
我が家のコルトの燃費は、カタログ上、10・15モードで、20km/ℓであるので、
この「カタログ上の理論値」を、大きく下回っている。
「淵上の足(ふちがみの足)」・・・こうした象徴的ネーミングが、以下の回想・考察においてのキーとなることに留意していただきたい。
それでは、宮が瀬の回想に戻るが、
いままで書いてきたことは、決して他人事ではない。
「君も、ドリフトをやっていたなら、落ち葉拾いはする気だった?」
「ええ、もちろん。自分が、ドリフト族なら、ドリフト族として、限界の美を求めるソリストになるために、オレは絶対にやってましたよ。落ち葉拾い。」
そこで、今度は、私の魂をも含めた話へと入ってゆくこととなる。
自分が、どこの歴史上の、どこの伝説の誰よりも、
「数の世界」を愛する者のひとりとして、
いつの日にか「最速」の象徴となりたい。
たしかに、私はこのページをそういうテーマで書いているし、
そういう目標をもって生きている。
だからして、「数の世界」「スピードの世界」「最速の世界」しか追い求めないようにとられがちだ。
だが、「それを追い求め、頂点を極めるのにふさわしい者」、
そういう者になるための通過点として、
「ドリフトの世界」「フィギュアの世界」「美の世界」「神前の舞の世界」「奉納ドリフト」というのは、
私が、日本に生まれ、ここを母なる大地として最速に至るステップを踏んでゆくのなら、
これを経験しておく必要性が、どこかの時点で出てくるのではないかとも思っている。
もっと、平易な言い方をするなら、
「速く走ることができることは、最速の走り屋としての絶対条件。
加えて、ドリフト・・・奉納ドリフトが出来て、日本の走り屋としては超一流」
そういう、「超一流の走り屋になるためのイニシエーション」として、いずれ、ドリフトという段階を踏まなければならないだろう。
それと、もうひとつ。
わたしは、
いつの日にか「悟りを開いた私」が「数の世界の象徴」となり、そして結果的には、「私」と「数の神」との混同が生ずることを望んでいる。
こう書いた。
こう書くと、
ずっと、いつまでも、「神は神」「信者は信者」ではないのか?
という疑問が呈されることになろう。
「神は神」
「信者は信者」
唯一絶対神を頂く、世界の多くの地域ではこうであろう。
あるいはまた、
「神」
「カリフ(カリスマ)」
「信者」
こういう構造をとるところもある。
では、太古の昔からの信仰形態である、アミニズムを基調としたわが国の場合はどうなるのであろうか?
ここまで書けば多くの人はもう、ピンとくるだろう。
わが国では、
「神と信者は混同する」
Posted at 2009/10/23 18:13:54 | |
トラックバック(0) |
宮ヶ瀬 | 日記