この記事は、
すべてはゼーレのシナリオどおりについて書いています。
この間、「世界統一」どうのこうの、
って書いたけれども、
既に世界は「ほぼ統一されている、実につまらない状態である」という説まである始末。
私は20世紀型の価値観でしかモノを考えたくないので、そういう説は、信じたくない。
けれども、
「長崎に対する原爆投下」というのも、
「アジア域におけるカトリックの拠点への攻撃」
「有色人種殲滅作戦」
「神武帝以来、2600年以上続く日本というものを、潰す」
という点において、
「動機」は充分であった、とも考えられる。
「アジア域におけるカトリックの拠点への攻撃」
については、
表面上、カトリックvsプロテスタントの対立、
「もっと奥での、組織の対立」、
「有色人種殲滅作戦」、
そして、
「神武帝以来、2600年以上続く日本を潰す」
ということから、
長崎への原爆投下は、
既に世界は「ほぼ統一されている、実につまらない状態である」という説と繋がる、という話。
特に、
「組織の対立」というのは、
「神武帝以来、2600年以上続く日本を潰す」ということと繋がっていると思われ、
「もっと奥での組織」というのが、相当古代から続いているという。
一方、それとは別に、日本という国家は、
「神武帝以来、2600年以上続く国」であり、
近代国家の様式・建前も、
「神武帝以来、2600年以上続く最も古い王朝が中心となって、
その他の王朝(こちらもヨーロッパに比べると古いほうだ)、
その他エスニックグループと一体化・統治という形式」
を取る国だったし、
今も、かろうじて、そうだと思われる。
「最も古い王朝が中心となって、・・・一体化・統治という形式」
が、
「相当古代から続いているという、もっと奥での、組織」にしてみれば、
最も気に入らないことだろう。
なぜなら、
最も古くから続くものが、最も正当であり、正統性を持ち、
最も古くから連綿と続く者達が、より新しいものを支配すべきだ、
というのが、
「奴ら(相当古代から続いているという、組織)の論理」であるらしいからだろう。
つまり・・・「奴らの論理」に拠るところ、
「最も古くから連綿と続く者達・集団が支配者だ」
となるわけであり、
つまるところそれは、
「日本によって、“奴ら”が支配されなければならない」
という「結論」へと至ってしまうことになろう。
望まない結論を得た者たちは、
日本を殲滅したいことだろう。
「有色人種だ!」などとあらゆる「新説」を作りだして、無き者としようとしたのだろう。
そして、「日本を無き者にする」という「根本的欲求」は、ずっと消えないかもしれない。
しかし、それは、日本のせいではない。
「奴ら」が謙虚ではないだけだ。
「自分たちの論理」で導き出された「解」に従おうとしないだけである。
極めて勝手な事情だ。
「自分たちの論理」で導き出された「解」では、「日本に支配されるべき」というなら、素直にそうなればいいものを、
大戦争を起こして、
資源締め上げ作戦を展開し、
果ては、日本の各都市で虐殺を繰り広げ、
それでは飽き足らず、
日本政府の主権を奪い、
その状態を維持・継続とは。
それにしても、「被爆者救済」も、「プラハ演説」までは、
「あー、被爆者救済なんて、堂々とやっていいのかな・・・汗。そんなことすれば、アメリカ政府が機嫌悪くするんじゃないだろうか・・・汗」
という態度が、日本政府に見え隠れしていた(少なくとも、そう見えた)。
と、今日は、
既に世界は「ほぼ統一されている、実につまらない状態である」という説
について話してしまったが、
実際の名前は・・・伏せましたね。
「ゼーレ」とかいって 笑。
それにしても、今日は笑っている場合ではなく、6日に続いて、今日も黙祷すべきであろうか。
それにしても、6日にアメリカ代表が、
「献花もなし」
というのは、やっぱり、
アメリカ政府の本音「原爆虐殺がホントだったとしたって、だから何だってんだ。(度重なる核実験によって、)世界的には被爆者なんて、広島・長崎の何倍もいるんだから、これしきのコトでガタガタ言うんじゃねーよ」
というのがあるんだろう。
「ふざけるな!許せん」
↑
この感情こそが「戦争の原因」であり、この感情を放棄することが「平和」。
というのが日本での「平和運動の考え方」らしいけれども、
誠に残念ながら、
それはこそが、
アメリカ政府の本音「原爆虐殺がホントだったとしたって、だから何だってんだ。(度重なる核実験によって、)世界的には被爆者なんて、広島・長崎の何倍もいるんだから、これしきのコトでガタガタ言うんじゃねーよ」
ここから作出・刷り込まれたものなのではないか、
と私は見ているのだけれど、どうなのだろう?
いずれにせよ、
傷つけられた人々には、
「ふざけるな!許せん」
という気持ちは、湧いてこない。
そう。
米軍基地闘争でも、何でもそう。
爆音に身体を貫かれた者は、ぐったりとしてしまい、気力はどこにも残っていない。
敵が核兵器ならなおさら。
「闘争する者」とは、安全なところにいて、
勝手に被害者に共感・同情して、
勝手に戦う者のことだろう。
安全なところで、のうのうと過ごしていられる者にこそ、真の戦いをするという特権が与えられている、それがこの世の構造だろう。
俺は・・・俺達は、どれほど他人に、勝手に共感できるだろう?
どれほど、強大な敵に怖気づかずに進めるだろう?
既に世界は「ほぼ統一されている、実につまらない状態である」という説がある。
俺たちはそれを全否定してゆけるだろうか?
そして・・・「俺たちが、世界統一してやる!」
こんなふうに胸を張って叫べるときが、
俺たち日本人に、
世界で最も正統な血統だといわれる我らが日本人に、
そんなときが来なければならないだろう。
それが「平和」ってもんだろう。
「俺たちが、世界統一してやる!」
俺たち日本人が、
こんなふうに胸を張って叫べること、
それが「平和」ってもんだろう。
Posted at 2010/08/09 06:49:32 | |
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