この記事は、
トヨタ車問題って?について書いています。
日本人の私として腹立たしいのは、
アメリカ人自身が、アメ車の思想を愛好してない、ってことだ。
日本車のユーザーみたいに、自動車メーカー・ディーラーなどに、オンブ・抱っこされたがっている、ってことだ。
「自己責任の国・アメリカ!」で通せばイイもんを、
(日本法じゃあるまいし、)
PL法だの、製造物責任だの、ヤボなことを強調している、
ってことだ。
今日の話は、モロに、↑このテーマ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110209-00000482-yom-bus_all
「トヨタ車安全、買うべきだ」米運輸長官、娘に 読売新聞 2月9日(水)12時15分配信
【ワシントン=岡田章裕】トヨタ車は安全だから買うべきだ――。
ラフード米運輸長官は8日の記者会見で、末娘からの問いあわせに“お墨付き”を与えたことを明らかにした。末娘は、昨年、トヨタ自動車の2011年型ミニバン「シエナ」を購入したという。
長官は、「娘は決定的な保証を欲しがった。だから、(安全当局に)チェックした上で、『買うべきだ』と答えた」と語った。「我々が、トヨタ車が安全と感じているという例だ」とも述べた。長官は昨年2月、議会で「トヨタ車の運転をやめるように」と発言していた。 最終更新:2月9日(水)12時15分
↑出所は、おそらく、トラバ元の人の記事と、同じ会見だろう。トラバ元の人の記事は、朝日。こちらは読売。
↓トラバ元の人の記事
https://minkara.carview.co.jp/userid/574590/blog/21398118/
に関して。
「結局やりたかったことは完全にトヨタに対しての
バッシングのためとしか思えません。
---違うと言っているようですが(笑)」
↑ホントそうだと思います。
「相変わらずアメリカの正義はアメリカの正義であって
決して万人の正義ではないこと。
よく判りました。(笑)」
↑ほんと。それこそ、情報のグローバル化の効果で、アメリカが、「正義!!!」をやると、逆に、「不正義」が曝け出しになって・・・という。イイカゲンやめるべきですな。
「まったく、小学生のイジメの様な
訳の分からない感じに思えましたよ」
↑まったくです。
と、まあ・・・、そうなんですが、
このブログの流れ的に、もう少し違う思いを、私は持ってましてね。
「娘は決定的な保証を欲しがった。だから、(安全当局に)チェックした上で、『買うべきだ』と答えた」と語った。
↑
「決定的な保証を欲しがった」だと???
それでもアメリカ人かぁ?! 甘ったれんじゃねぇ!
日本人の私として腹立たしいのは、
アメリカ人自身が、アメ車の思想を愛好してない、ってことだ。
日本車のユーザーみたいに、自動車メーカー・ディーラーなどに、オンブ・抱っこされたがっている、ってことだ。
ってか、
「日本車のCMみたいな親子関係(父と娘)」曝してんじゃねぇ!!
「娘は決定的な保証を欲しがった。だから、(安全当局に)チェックした上で、『買うべきだ』と答えた」
↑
何ぃ甘やかしてんだぁ???
(公的地位の私的使用とか、そっち系の話は、今回は、あえてしないでおいてやろう)
アメリカ政府の高官のクセして、娘がクルマ買うっつって、日本車なんて買わせんじゃねぇ!
連邦政府の高官なら、たとえ、アメ車の方が日本車よりも、はるかに危険であったとしても、家族はアメ車に乗せる。
家族の安全・生命よりも、星条旗が大切。
それが、政府高官ってもんだろがよ?
↑この話は、後に続けるとして、
アメリカにおけるトヨタバッシングは、
やはりアメリカは幼稚な、しかも、年々退化し・魂を忘れ去ってゆく、極めて野蛮な連中の行う「バッシング」なので、
「トヨタバッシング」になって「おしまい」なのだ。
↑
「この問題」は、もっと「根本的な問いかけ」に直結しているのだ。
「電子装置に不具合・欠陥があったのか?なかったのか?
経営陣に信義誠実違反があったのか?なかったのか?」
なんて、こんな場当たり的な問題ではない。
「根本的な問いかけ」
それは、
「クルマに、クルマの、電子制御システムを採用・拡大すべきなのか?すべきでないのか?」
という、根本的な問いかけだ。
「クルマに、クルマの、電子制御システムを採用・拡大すべきなのか?すべきでないのか?」
↑
この問いかけに対して、日本車メーカーは、すべて「すべき!それは必然の流れ!」と回答するだろう。
しかし、それは、
ユーザー自身(及び、その仲間の整備工場)による「DIY」を拒絶する、ということを意味する。
すなわち、
アメリカにおいて、クルマの電子制御機構が拡大すること
⇒「みんなのカーライフinUSA」において、「DIY」の「範囲」が縮小する
⇒「DIY大国・アメリカ」の終わり
を意味するってことだ。
わかってんのかね?
・・・って、わからんのだろうな。
「最近のクルマは、どうもよくない。こりゃ、シリコンバレーのやり方だ。
アメ車っつったら、デトロイトだろ。デトロイト流じゃなきゃ困るんだ。
それが最近のクルマときたら、シリコンバレーのモンがごっそり詰まってやがって、ホントにけしからん」
↑
ちゃんと、こういう「意識」「保守的意識」持ってんのかね?
何とも思わないんだろうな。
海の向こうの、超超シリコンバレーみたいな島国の技術持ってきたモノに乗ってても、
それを、
拒否感を、物理的な言葉で言い表すことが出来ないんだろうな。
拒否感自体が無いのかもしれない。
日本車に、しかも2010年代の新車のユーザーになるってことは、
自動車メーカー・ディーラーなどに、オンブ・抱っこされなければ、カーライフを送れなくなるってことだ。
『ワイルドスピード(The Fast and The Furious)』の、
ドミニク・トレットたちみたいなDIYチューンを、勿論、拒否する世界ってわけだ。
だから、長官の娘に、
ドミニク・トレットみたいな彼氏や旦那が、現れることは、決してないのだ。
(もう既婚かもしれないので、こう書いても、無駄っちゃ無駄だし、何かギャグみたいだが)
長官の娘に、
ドミニク・トレットみたいな彼氏や旦那が、現れることは、決してなくなるのだ。
(↑言い過ぎ。可能性が低下する、という程度ではあるが。
だが、アメリカ男で日本車に乗るやつで、「ドミニク・トレッド」は絶対出てこない。
ブライアン・オコナ―は出てくるかもしれないが、ドミニクは絶対出てこない。
3の冒頭で、S2000で、ショーンとレースやって、大破したやつとか、ああいうザコキャラはいくらでも出てくると思うが。
『ワイスピ』シリーズ全部観てる人でないと、何か伝わらない話だろうが・・・汗)
それが、
2010年代以降の日本車のユーザーになる、ってことだ。
わかってんのかね?
父として、娘を持つアメリカ人の父として、それでいいのか?!
・・・いいんだろうな。
・・・何ていうか、
「末娘からの問いあわせに“お墨付き”を与えたことを明らかにした。末娘は、昨年、トヨタ自動車の2011年型ミニバン「シエナ」を購入したという」
「長官は「娘は決定的な保証を欲しがった。だから、(安全当局に)チェックした上で、『買うべきだ』と答えた」
↑
そもそも、
こういう親子関係・家族関係自体が、アメリカ的じゃないのだ!
これじゃなんか、日本やヨーロッパみたいじゃないか。
やっぱ、
アメリカの親子関係・家族関係っていったら、↓こうだろう。
「年老いても依存を嫌い、自己責任・自立にこだわる姿勢貫く」
http://www.edenjapan.jp/a80RENSAI_f/naka02/c07.html
アメリカ型福祉の根っこにあるのは、自立、自己責任、個人主義の発想だ。アメリカ人の友人によると、彼らは
「子供には生まれたときから自立して生きることを教える」
という。
◇支払いは自己責任
たとえば、老人ホームなどの施設でもこの発想は共通している。アメリカでは、身体が弱って老人ホーム(介護施設)に入居する場合、財産や貯金を処分して費用を支払う。財産や所得が一定基準を下回る低所得者は、公的な医療扶助(メディケイド)の支給を受ける。
老人ホームの入居費用は高額で、年間約3万ドル~6万ドル(約330万円~同660万円)程度かかる。私がボランティアをした施設では、二人部屋で1カ月3,800ドル(約42万円)、個室だと約5,000ドル(55万円)という料金だった。
費用の高さゆえ、資産や貯金を使い果たし、途中から公的扶助に支払いを切り替える例も多い。費用を自腹で支払っている人は全体の2割強にとどまり、大部分の約7割が医療扶助で費用を支払っているという。いずれにしても、まずは自分のお金で支払うのが原則だ。
◇高齢者も依存を嫌う
私は近所の老人ホームで月2回、ボランティアをした。特定の人を訪ねて、話し相手になるというものだ。訪問相手は87歳の元大学教授(女性)で、経済的にも精神的にも自立した人だった。関節炎を患っていたが、歩行器を使って歩き、身の回りのことは自分でしていた。
驚いたのは、彼女が毎日、忙しく過ごしていたことだ。新聞を読んだり、家族からの手紙を待ったり、いつも「何か」をしている状態に自分を置いていた。だから、「最近どうしていた?」と訊くと、「忙しくしていた」という返事がよく返ってきた。
痴呆症や虚弱な人が多い老人ホームでは、彼女は例外的存在かもしれない。しかし、「家族や他人に依存したくない」という気持ちは、アメリカでは施設入居者に共通した願いだと思う。
◇老人に冷たい社会?
「日本では高齢者を敬うって本当?」とアメリカ人に訊かれたことがある。年をとっているというだけで大事にするのか、という意味の質問だった。また、アメリカ人は老親の面倒をみず、親に冷たいという人(アメリカ人)もいた。
親の介護や援助については、アメリカ人でも人によって様々だと思う。老親と同居していた人もいたし、遠くに住んでいても、年に何回か会いに行く人もいた。アメリカでは転職のために引っ越しをする人が多い(その都度家を転売するのも珍しくない)ので、親の近くに住んでいる人はまれかもしれない。
前述の元大学教授の場合も、一人息子は車で10時間以上かかる別の州に家族と住んでいた。息子に会えるのは年に2回。いつもそれを楽しみにしていた。
これが日本だったらどうだろう。親が老人ホームに住み、子供は何時間も離れた町で家族と一緒に生活しているとしたら、「かわいそうなお年寄り」と思われるかもしれない。
しかし、見方を個人主義に切り替えれば、違った側面が浮かび上がる。親には親、子供には子供の生活や行き方がある。その境界線を尊重することも愛情のあり方なのだろう。
◇自己責任の重さ
80歳を過ぎても、生活のために州政府で嘱託として働き続けていたアーニー(実習先の同僚)も印象的だった。
彼は貯蓄が少なく、年金だけでは生活費が足りないため、毎日働いていた。本人が淡々としていたのはともかく、周りの同僚が「それが彼の現実なのだから仕方がない」という見方をしていたのには、少し驚いた。
低所得、低貯蓄だと老後が厳しくなるのはアメリカでも同じだ。日本との違いは、自己責任の貫き方と周囲のドライな見方だろう。
年をとって自立や自己責任を貫くのは大変だ。特にアメリカは車社会だから、車の運転ができなくなると、自立した生活を続けるのは難しくなる。
私が住んでいたアナーバー市では、高齢者や身体障害者向けの交通サービスが充実していた。バス停まで歩いていけない人は、申請して乗車パスをもらい、片道1.5ドル(約160円)でタクシーを利用できる。
しかし、こうしたサービスのない町に住んでいる人にとっては、運転能力の喪失が老人ホームなどの施設入所につながりかねない。だから、アメリカでは80歳を過ぎても車の運転を続ける人は珍しくない。
自立した生活も、年老いると綱渡りになりかねないのだ。
●中島有希(福島民友・エデンについての連載/07)最終回 2000年(平成12年)7月6日掲載
●年老いても依存を嫌い、自己責任・自立にこだわる姿勢貫く=アメリカ型高齢者福祉を学んだ留学生活を振り返って