
よく嵌めてる腕時計はその人のパーソナリティを表わすとか言うんですけど、実感としては個人的にそんなことねーなー、と。腕時計は6本所有してますけど、嵌めてるうちはそんなに自分のなかで意識しない。周りもほとんど意識してないと思う。もっとも高級腕時計をしてると店員の態度が変わったり、ってのはたまにあるけど、これは単に「ハッタリ」が効いているんであって、べつに個人のパーソナリティを判断されてる、ってことではないと思う。
一方、クルマほどパーソナリティを意識するものもないんではないだろうか。
身内同士で乗ってるクルマがアレでこれで、ってなると、かなりな部分、「こういう人」って判断されがちだと思う。
たとえば輸入車に乗りたがるとか、高級車に乗りたがるとか、いや金は持ってるけどコンパクトカーでいいとか、不便なスポーツカーに妙にこだわるとか。
それらは周りが自分のパーソナリティを見るケースだけど、自分自身のパーソナリティとも自身の乗るクルマって否応なしに関わってくる部分強いよなぁ、と。
てのはオレ自身、「ゴルフに乗ってる人」「ロドスタに乗ってる人」ってのを、そんなつもりはないんだが、なんだかんだ意識している。
ちょっとニュアンスとしてはおかしいんだが、運転してて「肩肘張ってる」部分というのがあるのである。
もっともこれはけっこう誰にでもあるんではなかろうか。
みんカラ見てても結局、自分含めてなんですが、「クルマをどうこうした」「クルマがどうこうした」ってのは自己顕示の(それが悪いとは言ってない)発露なんじゃねーの、と。
てのは運転してても常に意識し、意識させられる。
意識させられる、ってのは正直ゴルフ乗ってるときとロドスタ乗ってるときとで周りのクルマの挙動って微妙に違うのである。
ゴルフとかロドスタでこれだから、超高級車とかはもっとはるかに周囲の挙動が違うんじゃなかろうかとか、いやプリウスならプリウスで結局そういうとこ少しは意識するだろ、とか。
こういうのは程度問題であって、以前乗ってたR1ってそういう「肩肘張ってる」感ってあんまりなかった。とはいえ、あんまり、であって全然というわけではない。
ところが仕事で軽トラに乗るときがたまにあっていつも思うんですが、もう誰ひとりとしてこちらを意に介してないよね。「路傍の石」感ハンパないです。
この誰からも意識されない、こちらも意識しない「パーソナリティからの脱却感」ってのは案外心地よくて、軽トラ、軽バン乗ってると「ガタピシ」感・「路傍の石」感とともに、どこまでもトコトコ走っていきたいような気になることがあります。
Posted at 2015/05/22 21:27:46 | |
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