
先日「愛南町」を訪れた際
何年ぶりか忘れましたが
日本に現存している唯一の
紫電(改)を見てきました。
紫電(改)
(ウィキペディアより)
1978年11月、愛媛県南宇和郡城辺町(現・南宇和郡愛南町)久良湾の海底で1機の紫電改が発見され、翌1979年7月に引き揚げられた。この機体は、1945年7月24日に約200機のアメリカ軍を迎え撃つために発進した、日本軍約20機のうちの1機である。着水した機体としては機首部分を除き損傷のない状態で発見されているので、パイロットは戦闘中に機体の不調によって着水を決意し、波の静かな久良湾に見事な操縦で着水を成功させたものの、機体もろとも水没してしまったと推定される。 豊後水道上空で交戦した三四三航空隊の未帰還機6機の内の1機であり、戦闘301隊の所属機体とされる。フットバーの位置が一番手前にあることから搭乗者の身長は低く、「空の宮本武蔵」と言われた武藤金義中尉(戦死後昇進)機もしくは米田伸也上飛曹機の可能性があるが決定的証拠はなく、特定には至っていない。武藤夫人は未帰還パイロット6名共通の遺品とすべきと述べている。引き上げ時、操縦席に遺骨はなかった。この紫電改が沈没した7月24日、附近の横島で20歳前後の日本軍搭乗員の遺体が回収されたが、関連性は不明である。
引き上げには不発弾を懸念する宿毛海上保安部から懸念が寄せられたが、当時は参議院議員となっていた源田実元大佐・343司令が各方面に交渉し、また愛媛県議会も回収予算捻出を決定したことで回収が可能となった。この機体は回収後に、遺族の意思により引き揚げ時の原型を維持する程度に補修・塗装され、日本国内で現存する唯一の実機として愛南町にある南レク馬瀬山公園の紫電改展示館に保存・展示されている。
平和な日本
これからもずっとずっと
平和であってほしいですね。
では、また。
Posted at 2013/12/12 10:04:19 | |
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