
Hermann-Bernhard "Gerhard" Ramcke (1889年7月24日 - 1968年7月4日)
ヘルマン=ベルンハルト・ラムケ
ドイツ第三帝国の軍人、空軍所属 降下猟兵部隊(空挺部隊)の将軍。
クレタ戦役にて、クレタ戦の天王山となる107高地争奪戦~マレメ飛行場占領の武勲をあげた後、降下猟兵旅団を率いて、彼の軍歴のハイライトとなるアフリカにロンメルへの増援部隊として派遣される。
アフリカ戦線で空挺降下の機会はなく、最精鋭の歩兵旅団として参加。
第2次エル・アラメイン戦での退却戦闘において、混乱のさなか車両を失った旅団は、徒歩による退却を強いられ敵中に孤立、DAK(ドイツアフリカ軍団)司令部がその壊滅を確信し諦めていたところ、英軍の補給段列を襲い機動力を確保、350kmもの敵中突破を行い1個大隊分の補給物資と共に友軍戦線に復帰を果たした。
その後、イタリア・東部戦線を転戦後、フランスのブレスト守備隊司令官として同地をよく守るも降伏しその軍歴に幕を降ろした。
部下将兵から「パパ・ラムケ(ラムケ親父)」と慕われたラムケの指揮する降下猟兵は精兵でした。
その胸のすくような敵中突破行は、小林源文氏の劇画になってます。
因みに降下猟兵と言えば、「褐色の爆撃機」と呼ばれたジョー・ルイスと2度にわたり戦ったマックス・シュメリングも徴兵された後、降下猟兵となった経歴を持っています。