11/23~11/26 3日間、CXでドライブ旅行に行ってきました。
日本人なら、言葉だけは、知っていると思います
「関ヶ原古戦場」 です。
子供の頃から、戦国時代は何故か、興味が在りまして
だから、 「大河ドラマ」 とか好きでした
(だからと言って日本史の成績が良い訳では在りませんが。)
我が家からは、とても遠い所ですが、先日、「ブラタモリ」 でも、放送していたので
具体的なイメージを持つ事が出来て、足を運んで見る事にしました。
先ずは、「関ヶ原古戦場記念館」
朝、9時頃に着いたのですが、もう、沢山の人が来ていました。
タモリさんも言っていたのですが
「展望台から、関が原が一望できる」 との事でしたので
見てみたかったのですが、事前準備不足でした
何でも、有料のシアターが有って、結構良く
しかも、最上階展望台も含みのチケット、との事。
それは、事前予約が可能で、ほとんどの皆さんは、準備しているとの事でした
全然知らなくて、23日、当日購入はちょっと厳しい、勤労感謝の日 でした。
(あ~~ 結果的に要領悪い、誠に私らしいと言えるかもしれないスタートです)
ま、仕方がないです、それより、見たい所は沢山有るのです。
さ、行動開始としましょう!
ざっくり 「関ヶ原古戦場」 です。
う~ん、沢山の名前が有って、 雰囲気がつかみ難いですが
青が、西軍 (石田光成)
赤が、東軍 (徳川家康
黄色が、寝返り!?
先ずは、 「石田光成 陣跡」 に向かいます。
今回は、じっくりと向き合う感じで、行動したいので、歩きです。
中腹、左側が、それです。
向かって行く途中に見つけました。
「決戦地」
この辺りで、戦いが決した、との事、です。
山の麓近くで、 「石田光成」 と 「大谷吉継」 が、
何かのツアーを先導していました。
登山道を登った先には
「石田光成 陣跡」 です。
高台の見晴らしの良い所で、戦いを有利に進めるには、好地の様です。
次は 「黒田長政 陣跡」(岡山烽火場) です。
先ほどの 「決戦地」 から見ると、こんな感じの距離感です。
直線で、1km程です、歩くとかなり在りそうだぞ~~^^;
でも、今の世の中は、便利ですよね!
道順なんか解らなくても、GoogleMap が有れば、安心、安心。
途中、コンビニで水を補給しながら、時間を気にせず、じっくり歩きました。
こんな、竹林の登山道的な所を抜けると、
見えて来たのは、「黒田長政 陣跡」です。
ここも、高地で見晴らしが良いです。
何でも、所説に依ると、 「黒田長政の鉄砲隊」 がこの戦いの戦況を
大きく変化させた事柄が在ったのだそうです。
当初、戦いを優勢に進めていた、西軍でしたが
石田光成配下の武闘派、「島 左近」を、戦場の横方向から
黒田長政の鉄砲隊が、奇襲攻撃をして、負傷させた為に、流れが変わっていった、との事。
その 「鉄砲隊」 が通った、とされる道を 「ブラタモリ」 でタモリさんも歩いていたので
私も歩いてみたいと、思っています。
それは、陣跡の直ぐ横に、西の方向に、山道が続いています。
一部、舗装された現在は 「遊歩道」 的な扱いの様です。
何でも、ここには、 「関ヶ原断層」 が有り
いくつかの山の尾根を、それが分断して、横方向にズレた為に
そこに、周りから見えない、「道」 が出来たのだそうです。
進んでいくと
先ほどの 「決戦地」 ほど近い場所に」出ました。
ここから、鉄砲なら狙えるのかも知れません。
次は、 「関ヶ原古戦場記念館」 から見て、南の方に歩いて行きます。
「東首塚」
ここには、亡くなった多数の方が、埋葬されている、との事です。
半端ない数字でしょうからね。
直ぐ近くには、 「松平忠吉 井伊直政 陣跡」 です。
「井伊直政」 と来れば 「本田忠勝」 ですね。
陣跡を、見に行きます。
「関ヶ原古戦場記念館」 に戻って来ました。
現在は、ここの隣に。「関ヶ原役所」 が有り、行政の中心地の様ですが
気が付くと
「徳川家康 最終陣跡」 最終陣跡!? って事は、最初は違ったの?
調べてみると、最初はここより、東に2km程の所に、陣を敷いた様です。
今夜は、大垣泊なので、そちらに向かいながら、関が原を後にしたいと思います。
最初に陣を敷いた所は、他の武将と比べると、かなり離れた所だったのですね?
関が原を後にして、 「大垣城」 に向かいます。
夕暮れの 「大垣城」 は寒かったです。^^;
2日目、です。
考えていた、予定では、「名古屋城」「小牧城」「犬山城」 のセットでしたが
昨日、逃した、「関ヶ原古戦場記念館」 のシアターが諦めきれず、リベンジしたいと思いました。
が、事前予約のサイトに繋がらず、現在は予約できない旨の案内が出て
24日は平日だから、大丈夫かな? 等と、安易な気持ちで、向かいました。
平日の早朝の、「関ヶ原古戦場記念館」。
爺は、朝が早いのは得意^^
会館 9時30分 なのに、 到着 8時。
と、張り紙がしてあります、「本日 シアター13:15まで満席です」 と。
ガ~~ン。 です。
まあ、どうしたものか? と悩みながらも、まだ見たい所も残っていたので
それらを、歩き回っているうちに、時間も、9時30分の、チケット販売時間だから
それまでに、方針を纏めれば良いか、と言う、先延ばし作戦。
じゃあ、歩き出そう!
先ずは、 「不破の関跡」 を目指します。
途中、 「福島正則 陣跡」 に寄ります。
立派な大木。
で、いよいよ 「不破の関跡」
ここでも、 「タモリさん」 と、案内人のやり取りで
この、「関」 の東側が、関東で、西側が、関西、と言う
線引きの地、と説明が有り、食文化、言語、の分かれ目になっているのだと、言う事でした。
ここの後、無事に。13時15分からのチケットをゲットし
で、それまでの、3時間余りで、もう1ヶ所、 「大谷吉継」 の墓を見に行きます。
ちょっと距離が有るので、昼食を取りながら、CXで。
「大谷吉継」 は 「石田光成」 とは、小さい頃からの親友、との事です。
「石田光成」 が 「徳川家康」 を打つ、と宣言した時も
思いとどまる様に、説得に回ったらしいですが
結局、友情を選んだ、らしいです。
「大河ドラマ」 では、 「徳川家康」 と行動を共にしていた時期も有った様なので
切ない話ですね。
(私は歴史研究者では無いので、見て聞いた話が元です、本当の事は判りませんが・・・。)
無事に、13時15分の、シアターを見学し、展望台にも上がり
展示室の、甲冑やら、資料やらをじっくり見物する事が出来まして
2日目の変更は、作戦成功としましょう。
これで、心置きなく、関が原を離れる事が出来ます。
今日は、この後、「犬山城」です。
高速利用で、1時間半位でした、渋滞がまあまあ。
少し、うす暗くなりかけの頃に、尋ねました。
うん、立派。
ここは、人気の観光地なのでしょうね
インバウンドの方々、若いカップル等など、大勢の観光客が詰めかけていました。
2日目は、天守閣からの、夕日模様で、終了します。
25日の3日目は、「松本城」 に行きます。
中央自動車道と長野道を通りましたが、中央道はアップダウンが結構有って
パワー無いCX-3には、ちょっと辛かったかな。
まあ、燃費を気にしないで、ぶん回しちゃえば、全然OKなんだけど
トルクフルな、ディーゼルエンジンと言っても、高回転が得意なわけじゃないし
それ以上にボディーが重いよね?
まあ、無理もないです。。。。。。
暗いうちから、アップダウンの高速を走って、結構疲れました。
東名高速の方が、全然快適ですね・・・。
やっと着いた、「松本城」
何か、立派だし、格好いい、城だよね^^
何でも、「徳川家康」の家臣だった、「石川数正」が築城に関わった、との事で
ベテランの家臣だから、色々な城の良い所を真似したとか。
なので、攻撃や防御に優れているらしいです。
「家康」 のもとから出奔して、「秀吉」 に寝返った、等と言われているけど
「家康」 に、戦をあきらめさせる為だったのでは無いか、と言う話も有る様だし
こちらも、何か、切ないね。?
昨日の、「犬山城」 もそうでしたが、観光客が沢山です。
インバウンド、花盛りです。
そして今回の、私の最終目的地点に向かいます。
松本市里山辺にあります、「兎川寺」 です。
「石川数正夫婦のお墓」が、最終目的地です。
この場所は、大河ドラマ巡礼紀行でも紹介されていたので
来て見たかったのです。
勿論、頭を垂れて、手を合わせて、です。
これで、予定していた、全工程を消化しました、あ~満足です。
全工程 1083km 23.6km/L と言う結果でした。