みなさま、お久しぶり。
悪運のひじょーに強い久代です
実は、私は11日から実家に帰省していました!
実家の場所は…宮城県多賀城市…
震災しました
11日の10時半位にフェリーで実家に付き2時位から、多賀城市内をうろうろしていると…
今まで体験したことの無い凄まじい横揺れが( ̄□ ̄;)!!
それも、なかなかおさまりません( ̄□ ̄;)!!
道路や足元は、地割れしたり、盛り上がったり、水が吹き出たり…
この世の終わりが来たと思うほどでした
その時にいた場所は、海

から2キロ位の平野でした…
私は、あわてて駐車場に車を、取りに行き実家を目指して走りだしましたが
信号

などが、見事に停電していて大渋滞


この時で、3時20分位
何とか、何時もは3分で付く道のりを20分かかり
3時40分頃、実家にたどり着くと、母、姉、甥っ子、娘が、無事でいました。
一安心して、近くの集会場に避難するとすぐに
…「10メートルの津波がせまってますので高台に避難して下さい」
青ざめました…
娘の手を引き高台まで走りました…
高台に上がるとものすごい地鳴り…
3時間位高台で呆然としてましたが、津波が引いたようなので実家のマンションに戻ってみると…
マンションの海側は水没しましたが、かろうじて7階の実家はセーフ
余震のおさまらないなか、一晩、ロウソクの炎を見つめながら眠れない夜をすごしました…
翌日、ラジオでは、大災害だったことを繰り返し放送しています…
外を眺めると、真っ黒い煙が、沢山上がっています…まるで戦争でもおきたかのようでした
私は、取り敢えず水と食料を集めに車で出かけましたすると、ドラッグストアのまえに100メートル位の行列がありました、どうやら制限が有るけど営業してるようです。
その行列の最後尾に並びながら考えてました…
ライフラインは、すべてダメ、復旧の見通しも、まるでなし…
これは、ダメ元で、父親のいる秋田県へ避難するしかないなぁ~
次の日、携帯が奇跡てきに繋がり、父親と連絡がつきました。
父親もこちらに向かっているとのこと。
山形県で待ち合わせをして意を決して出発しました…大きな国道(45号線)は、壊滅とラジオで言っていたので、山側の県道を感と、ナビで乗り越え、何とか山形県行きの国道にのりましたが…大渋滞…だんだん陽もくれてきましたが5時すぎに山形県で、父親と合流し10時間以上かかり秋田県へ無事避難しました。
そして、秋田県~苫小牧のフェリーのチケットが、取れたので、長い10日間の終わりが近づいてきました。
なんとか、生き延びたことに感謝
ちなみに、最初の場所にあと10分長くいたら、間違えなく津波に呑まれてました…




Posted at 2011/03/21 16:25:29 | |
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