
ちょっと所用でディーラーに。
色々話してCLAのシューティングブレークは?
どうも未定らしいです・・・がっかり。。。
まぁまだまだ乗り換えることはないので
発売が遅いほうがありがたいですが^^
ディーラーを後にして雨の中以前から気になっていた街並みに・・・。
場所は愛知県知多市岡田という古い街並みが残るところ。
岡田地区は木綿産業が盛んな地域でそれで財を成した人がいました。
早速車で散策^^
先ずは岡田の街並みの入り口にある“なまこ壁の蔵”と“知多岡田簡易郵便局”のショット
郵便局をバックに・・・
狭い道を抜ける途中に“竹内登喜一(虎王)邸”の黒壁をバックに・・・。対向車が来なくて良かった^^
以下引用です
竹内虎王は、安政2年(1855)に岡田で生まれました。虎王は、木綿製造業を手がけていましたが、品質が良く、量産のできる織機の必要性から研究にも没頭していたそうです。明治32年に「竹内式動力織機」の特許を取得して自社で活用しました。明治34年には、竹内木綿工場を創業し、後に丸登織布工場に発展させました。岡田が後に知多木綿の一大産地、集積地となる基盤を築いた先駆者の一人です。
また、豊田佐吉が一時期岡田に織機の研究に来ていたと伝えられており、虎王と出会い種々の影響を受け、明治23年「豊田式木製人力織機を発明、明治31年「豊田式木鉄混製力織機」の特許を取得、織機の製造・販売で大成功しました。
車で街並みを抜けて取り敢えず腹ごしらえ・・・
“おかき屋辰心”の店の一角に食堂が併設されていて
知多のランチコンテストに参加したという“岡田かつ丼”を注文。
カツに目玉焼きが二つのった丼でした。
食べた後言うまでもなくおかきを買って、ご当地サイダーがあったのでそれもゲット!
今度は歩いて同じ道を散策・・・雨の中観光客は誰もいません^^
街の入り口にある町のシンボルの一つ“なまこ壁の蔵”
その隣にある“木綿蔵 ちた”
また、その隣の“知多岡田簡易郵便局”明治時代の建物で現在も現役です。
今度は車抜きで・・・人影が邪魔!!!
郵便局から先は道が狭く対向車が来たらすれ違うことが出来ません!
何も考えず先ほどは車で走った自分が馬鹿だと思いました^^
“竹之内資郎邸”です。素敵な壁です^^
反対からはこんな感じです
この家も住まわれています
路地の角にお地蔵様が^^
お地蔵様がある路地も良い感じです^^
防空壕跡がありました・・・戦争は知りませんが・・・。
鞘倉と山車
以下引用
鞘倉と山車
鞘倉は、山車本体を収める倉のことで、山車は収まる程度に解体されて収められています。里組の鞘倉は種徳寺地内、中組の鞘倉は毘沙門天地内、奥組の鞘倉は阿弥陀堂地内にあります。
寛文4年(1664)には村社祭礼は馬で行っていましたが、安永5年(1776)には、3組の山車が引き出された記録があります。
それぞれの会所では、木偶や笛、太鼓の練習が子供たちも交えて行われています。
伝承知多木綿「つものき」・・・この暖簾が良い感じでした♪
お店はこんな感じ^^雨じゃなかったら入ってみたかったなぁ
雅休邸(旧岡田医院)・・・昭和に建てられたらしいですが大正モダンな建物です
旧中七木綿本店・・・まだ現役で住まわれています!
以下引用
旧中七木綿本店
中七木綿本店として大正4年に建築された。「中七木綿合資会社」は、明治29年に創業した
遠くから見た慈雲寺

以下引用
慈雲寺
1350年に一色範光により開基、尾張名所図会にも紹介されている名刹。宗派は、 臨済宗妙心寺派。
雨の中でしたが近場にこんなところがあるなんて・・・タイムスリップしたような感じでした^^
おしまい。
Posted at 2015/03/19 20:17:38 | |
トラックバック(0) |
日記 | 日記