2012年03月18日
3月11日 新潟ニテ記ス
車の日記を書く前に・・・どうしても先に書きたい話。
1年前・・・3月11日・・・14:46・・・18秒・・・東日本大震災発生。
当時、自分は職場の倉庫で1人で作業をしていた。風で窓が?ガタガタ??・・・地震だった。
長く強い揺れ、体感的には10分は揺れてたと思う。
揺れも収まり、新潟市の緊急災害協力企業って事で、仕事を投げてパトロールへ・・・。
幸い地元で被害はなし。
地震の情報を知るために携帯でTVを見た・・・津波・・・。建物が車が人が流れて・・・全て。
そして原発。衝撃だった。信じられない映像にしばらくボーっと画面を見ていたのを覚えている。
数日~数週間後、新潟県内の避難所に非難者が非難して来た。
ガソリンや食べ物はもちろん、県内外からの流通も困難になっていった。
月日は流れて、1年・・・。被災者の姿も徐々になくなり、県内は震災前の姿に。
そして被災地は・・・皆さんがメディアや、見て聞いたそのまま・・・。
休みの日、仲間達と福島県に。行った先は会津若松へ。全国的にも有名な観光地です。
でも人がいない。活気がない。県外ナンバーも少ない。
寄った観光地、飯盛山の駐車場のおばちゃんと話した。
震災後、地震や原発で小中高生の修学旅行、一般の旅行客がキャンセルで人が来ないんだって。
もちろん決断としては間違ってない。何が起こるかわからないのが今だから。
でもね、皆さんの周りと変わらない笑顔が被災地にもいっぱいあるんです。
先月、仕事の出張で宮城県、名取市、仙台市で震災復旧の仕事をしてきました。
上は北海道、下は沖縄まで日本中から業者が来ていて復興に懸命に働いてる姿がありました。
海側の町は消えていて、瓦礫の山。更地みたいになった場所は、残る住宅の基礎と道が、かろうじて住宅街があった事を教えてくれる。歩道や田んぼには未だに船があって・・・。
後は何もない。普段目にするようなものすらない。
現地の人の話を聞くと、もはや地獄絵図を語ってるようで・・・。なんともいえない気分になる。
でもね、やっぱそれでも笑顔ってのがいっぱいあって、その場所で生きてるんです。
月日が経てば忘れていくのが人かもしれません。 でもまだ被災地で失っても何もなくても生きて一生懸命残って戦ってる人がいます。
色んな形で被災地に皆さんの思いが届いてると思いますが、まだ東日本大震災は終わってません。
復興まで何年、何十年もかかるはずです。
例えば、芸能人の方や企業の方が多額の寄付や活動をなさったと思います。
売名行為だとか、世間に何言われても、気にしないでどんどん行動してほしいし
仮に売名行為だったとしても助けられる人がいるから素晴らしいと思います。
安全地帯で震災ネタを使って票集めに夢中な議員よりマシ。
俺にはそんな金ないし、行動すら出来ないし、むしろ何が出来る?
震災関連のグッズを買ったり、ちょっとづつ募金したり、プルタブ集めたり、キャップ集めたり、そんな小さな事しか出来ません。
無力です。
だからこの日記を通して、今一度、皆さんに御協力をお願いしたいです。
些細な事でもいいんです。おつりの1円を募金箱に・・・。被災地にドライブに行くでも・・・。
何でもいいんです。1人、また1人が重なって大きな力になるはずなんです。
頑張ろう日本はまだこれからも続いていきます。
繋いだ絆、もっと強く結びませんか?
言葉の捉え方は人それぞれだと思います。共感出来ない人もいると思います。
少しでも共感して頂けたのならイイねで広げて下さい。お願いします。
死亡者
(2012年3月8日時点) 1万5854人
行方不明者
(2012年3月8日時点) 3203人
長い文章になりましたが、最後に東日本大震災で亡くなられた方々、未だ行方不明の方々に心よりご冥福と共に、被災された方々の一日も早い復興をお祈り致します。
今回の日記は車とかチームとか関係なく1人の日本人としてココニ記ス
小林 真人
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Posted at
2012/03/18 03:43:11
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