今日のブログは長いです。
まずは、こんな記事から。産経新聞より。
【櫻井よしこ 菅首相に申す】
浜岡停止要請の根拠
5月6日夕方、菅直人首相が突然発表した中部電力浜岡原子力発電所の停止要請は、福島第1原発事故で生じた強い原発忌避の世論に巧みに訴えかける運動家としての面目躍如の決断だった。
メディアには、首相決断を「政治主導」として評価する論調が目立ち、在日韓国系金融機関の元理事から政治献金を受けていたことが判明して辞任直前だった2カ月前の状況が、まるでウソのようだ。
そんな中、首相の違法献金受け取りの告発が5月10日に東京地検特捜部に受理されたというニュースもほとんど無視され、「産経」社会面に報じられただけだった。
報道や世論で高く評価されている浜岡原発停止要請の根拠は「30年以内にマグニチュード8程度の想定の東海地震が発生する可能性は87%と極めて切迫している」ことだと首相は述べた。
数字は具体的であるがゆえに説得力をもちがちだ。首相が引用したのは文部科学省地震調査研究推進本部の数字だったが、首相が本部長を務める福島原発事故対策統合本部も、30年以内に震度6強以上の地震が起きる各原発の、今年1月1日時点での確率を発表した。
その中に興味深いもう一つの数字がある。浜岡原発の危険度が84%と際立って高いのは同じだが、福島第1原発の確率は0・0%、福島第2原発は0・6%となっている。
今年1月に発生率0・0%と分析されていた地域に、3月、マグニチュード9・0の大地震が発生したのだ。地震予知の難しさを示す事例であり、それだけにこの種の数字だけでは浜岡原発の停止要請は説得力に欠けると考えたのか、首相は6日夕方の会見で、「浜岡原発が東海地震の震源域内にある」ことをもうひとつの理由として掲げた。しかし、これさえも今回の事例に明らかなように、震源区域と見られていない場所で巨大地震が起きたことを考えれば、危険なのは浜岡だけで、他は安全だという首相の言葉の信頼性を支えるものではない。
一方、中部電力は寝耳に水の首相要請を重く受けとめた。火力発電に移行するために、たとえ年間2500億円の追加経費がかかっても、安定した電力供給のために死に物狂いの努力を迫られ、初めての赤字決算が避けられないとしても、彼らにとって首相要請を断る選択は、政治によるしっぺ返しと世論の原発不信の前ではあり得なかっただろう。
こうして、現在合計出力250万キロワットの4号機と5号機、定期点検中の3号機を加えると360万キロワットの浜岡原発は早晩停止され、東京電力向けに行ってきた75万キロワットの電力融通も止まる。電力供給が減少するなかで求められるのが他社の定期点検中の原発の運転再開である。
日本の原発54基中、大災害で15基が停止した。現在20基が営業運転中だが、内6基は夏までに定期検査で停止する。別の12基は定期検査ですでに停止中だ。さらに定期検査を終了して運転再開の予定だった7基がいま、東日本大震災と首相の浜岡原発停止要請の根拠の曖昧さで、再開延期となっている。日本の電力供給はまさに風前の灯、心許ない状況に陥っている
再開延期の理由は、これまで再開に前向きだった九州電力玄海原発を擁する佐賀県の古川康知事や、関西電力美浜原発を擁する福井県の西川一誠知事ら各地の首長らが、浜岡原発と地元の原発の違いを住民に説明できないでいるからだ。原発の運転再開は地元住民や国民全般の同意なしには難しい。浜岡原発が否定されるとき、なぜ地元の原発だけは安心だといえるのかについて、合理的かつ詳しい政府説明を知事や首長が求めるのは当然だ。
対して海江田万里経済産業大臣は、「他の原発は安全上問題ない」との「見解」を表明し、「国がしっかりと責任を持つ」と述べるにとどまり、各地の首長や住民の疑問に答えていない。
首相発言の驚きは、個々の原発の安全性を無責任に論ずることにとどまらない。10日の会見で首相はいきなりエネルギー政策の大転換を宣言した。原子力と化石燃料に支えられる2本柱体制から、太陽光など再生可能な自然エネルギーを基幹エネルギーに加え、省エネ社会をつくるという4本柱体制にすると語った。昨年民主党政権が決定したエネルギー基本計画-2030年までに原発を14基以上増やし、CO2を出さない原子力などが総電力に占める割合を70%にする-という決定を白紙に戻すと宣言したのだ。
エネルギー戦略は、国防と外交に匹敵する重要事だ。決定には国益を踏まえた十分な議論が必要だ。しかし、首相宣言の背景にはそうした党内議論の裏打ちはない。国家戦略も見えてこない。
政府内で議論が行われた痕跡がまったくない中で、細野豪志首相補佐官は、首相は4月上旬から浜岡原発について考えていたとの見方を示している。首相は少数の側近とはかって浜岡原発停止要請への世論の反応などをひそかに探っていたとの見方も報じられている。国家のエネルギー政策よりも支持率挽回や政権の求心力回復を優先して思案していたと言われても弁明できないだろう。
政治主導の名の下に、結論だけがいきなり降ってくるのが菅政権だ。国益や国家戦略を欠いた首相の思考と、民主主義のプロセスをとび越えた首相の手法こそ、日本国が背負い込んだ最大の負の要素である。
*********************<以上、引用>**********************
さて、鵜呑みにしてはいけない。
そもそも、プレート型大規模地震の発生周期は約150年に1回。これはプレートが沈み込みひずんだプレートが限界を迎える物理的な許容が概ねそれくらいということです。
そして、今回の震災でひずみがとれたと仮定すれば、太平洋プレートの沈み込みで次回は約150年後ということである。0.0%というのは、統計学上の数学のマジックであり、あくまでもプレート型に限定した場合の数字である。もちろんこの30年という前提を再現期間150年にすれば100%に限りなく近づきます。
そして、唯一150年以上をとっくに超えている東海・東南海は唯一プレートの動きに注意していれば、予測が可能かもしれない。といった程度。確率論から言えば、今日起きても何の不思議もない状況。
このことだけが、根拠になるということ。
阪神のような直下型(活断層型)は予測すらできない。
この事を念頭に置くべき。と考えます。
話を管首相に戻すと、我々は高等教育を享受し、考える力を与えられた国に生まれて育ったのですから、感情論や人気取りで発言してはいけないと思うのです。
今回の震災では耐震性能を論点にしがちです。本当にその視点で良いのでしょうか?
たとえば、耐震偽装問題の姉歯事件。あれ以来、建築基準法は大改正となり、建築確認の審査が厳格になりすぎて、着工が激減しました。これは、マスコミをはじめとする世論のミスリードが起こしたヒステリックな感情論の結果です。
結局、自ら建築主となるオーナーは全く計画の変更が出来なくなり、多くの時間と労力を費やしました。これはそのままコストアップにつながり、日本各地から上がった悲鳴により、先日第2回目の緩和対策が施行されました。自分たちが望んだ姿は、実は生き地獄であったという事です。
阪神淡路大震災では、新耐震と言われている時代の設計の建物がほとんど無傷であるという事実も報道では大きく取り上げられていません。
そして、今回の震災での原発事故。
最も問題にすべきは、当事者の危機管理以外の何物でもありません。
古い構造計算で計画された建物。本体以外のシステムが全く保護されていないという事実。以前に指摘された脆弱性を放置した事実。数え切れないほどの愚かな思想が存在します。
では、逆に、耐震性能が十分に確保されていたら、今回の震災ではどうなったでしょうか。自動停止機能は完全に働いているので、冷却設備のみが問題だったと考えられます。この問題も危機管理にたいする認識の甘さが露呈しています。ディーゼル発電機の燃料タンクが何の対策もされずに設置されていて、津波により機能しなかった。
実は、この事故の深刻な問題はこの1点に集約されています。
もうひとつ、報道されない事実をお知らせしておきます。
東海地震はもう何十年も前から想定されており、静岡県内の建物の地震の計算を行う場合の地域係数が1.2となっています。つまり、日本の他の地域の1.2倍の地震力に対して強度を確保した建物が建てられているという事です。日本一頑丈な県です。
勘違いしないでほしいのは、浜岡の停止に反対なのではないのです。
知を得て事を語れと言いたいのです。管さんはせめて勉強をしてほしいと思うのです。
こういったレベルではなく、もっと詳しく専門の官僚というシンクタンクを抱えているのだから、習って勉強してほしいのです。そして、議論を重ねてほしいのです。
そう言った意味で、櫻井よしこさんの意見には、概ねの論旨には賛同出来るでしょう。
Posted at 2011/05/14 00:47:46 | |
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