2011年03月16日
これはあくまで自分の意見で、自分の思いを表すだけのブログなんで、共感コメントやイイねはいりません。長い長いつぶやきだと思って下さい。
まずは、今回の大地震で被災された方々、依然余震も続き大変なご苦労を強いられておられること、心からお見舞い申し上げます。
自分は、被害を受けなかった人間として節電や募金等の協力を惜しむつもりはありませんし、今も協力させていただいているつもりです。ただ、決して余裕はないので微々たるものですが…何か力になりたい気持ちは同じです。
テレビか何かで耳にしたんですが、「日本中が喪に服している」と…そして、それが日本の経済や復興には良くないと…確かに合理的ですが、「和」を尊ぶ日本人だからこそ国をあげて喪に服するのもまた自然な姿勢かと思います。ここ、みんカラでもそういった心の動きが感じられ、地震前までの明るさは影をひそめています。
その代わりに、愛車だけでなく、家、ひいては大切な命も…信じられないくらい多くのものを一瞬で失ってしまった被災者の方々やみん友さんへの思いやりの気持ちが溢れ、そんなコミュニティーをあげての協力意識の高まりに自分は胸をうたれています。
そういった状況の中、少しずつ「みんカラ本来のあり方」についてのブログを目にするようになりました。これもまた、みんカラを愛し、その中での人間関係を愛するものとして至極当然なことだと思いますが、こういったブログをあげることへのタイミングや判断は現状を鑑みて大変難しく勇気がいることだと思います。今の流れに異議を唱える訳でも、反論する訳でもないですが、書き方によってはそんなふうに受け取られてしまうかもしれませんから…。
正直、自分はあまり言葉を知りませんし、不適切な発言をしてしまうことを恐れてみんカラを自粛しています(もちろん節電の為でもあります)。
あまりにも軽率に被災地を嘲笑うかのような楽しみ方は忌むべきだとも思いますが、何処から何処まではダメとゆう線引きがある訳でもなく、全ては受け取る側に委ねるしかなくなってしまっています。そこに不安があるんですよね。
自分には、今のみんカラの中で何が良くて何が悪いかとか、難しいことは解りませんが、もう少し笑顔があっても良いような気がします。
被災者の方々を思うと笑顔になれなかったり、笑顔になっている自分に良心がいたむのかもしれません…だとすると、被災地に本当の笑顔が戻るまではこのままなんでしょうか?同じ日本人として復興をともに喜びあうことは大切ですが、そこまでみんカラに持ちこんでしまうのは少し淋しいとも感じます。
長く長くなっていますが、結論として自分が言いたいのは、「被災地や被災者の方々の為に自分自信が何をすべきか」とゆうことです。裏返すと、「他人が何をし、何を言おうと自分の思いやりの信念さえしっかりしていれば他人を批判する必要はないのでは?」とゆうことです。
確かに共通の理解を持って一丸となって取り組むことは大切ですが、少なくとも、自分のまわりのみん友さんには、不謹慎で思いやりのない方はいませんし、現にみんカラは思いやりでいっぱいです。この時期、卒業式や入学準備、嬉しいことや楽しいこともあるでしょうし、節目に仕事のつらさを語り合いたいこともあるでしょう…しかし、それも「自粛」しなくてはいけないのは何故でしょうか?
たぶん、「批判」なんじゃないかな…と。皆が被災地を思って涙するのは素晴らしいことですが、その涙を流せない、流さないから批判する…結果、笑顔は無くなってしまいます。涙を流しても、流せなくても笑顔の人がいたって良くないでしょうか?…全ての笑顔が、批判されるという不安に臥せられてゆくのは悲しいことだと思います。
意見とか思いとか大袈裟に書きましたが…自分は、思いやりがいっぱいのみんカラは素晴らしいと思います。また、楽しいみんカラは大好きです。しかし、どんな理由であれ「批判」が正当化されてしまうみんカラは悲しいと思います。

Posted at 2011/03/16 23:50:26 | |
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