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2016年11月27日 イイね!

シリーズ【三原城の痕跡を辿る・その十六 西大手門(妄想)編】

シリーズ【三原城の痕跡を辿る・その十六 西大手門(妄想)編】三原城の痕跡を辿るこのシリーズも第十六回目でございます。

今回は三原城の二つ目の大手門である西大手門をご紹介です。

東大手門編でも触れましたが大手門とは、城の正門のことですが、三原城には東西二つの大手門があったようです。

三原城の城下町は城の東西に二つ存在し、小早川隆景時代(1567年頃〜1597年頃)に先に成立していた城下町が東町。

一方、関ヶ原の合戦後の1601(慶長6)年〜1619(元和5)年まで、三原を含む安芸・備後の二か国を統治した福島正則の時代に成立したのが西町(現在の本町と西町)。

その、西町側から三原城へ入城する際の正門が西大手門です。

残念ながら、東大手門同様、現在は西大手門跡と記された石碑が建つのみです。

三原城本丸天主台跡から西大手門跡を臨む


西大手門跡から天主台石垣を臨む


場所は、Google mapで確認するとこの辺り。


江戸時代前期の正保の城絵図だとコチラ。


拡大するとこんな感じ。


次に、江戸時代末期の慶応絵図だとコチラ。


拡大するとこんな感じ。


慶応絵図を見た感じの特徴としては、どうやら東大手門と同じように、石垣の上に入母屋造(いりもやづくり)の多聞櫓(たもんやぐら)を渡した櫓門(やぐらもん)の形式だったようです。

櫓門の例:高知城追手門


あとは、東大手門とは違って、石垣と塀に囲まれた枡形(ますがた)の空間にはなっていないようです。


この西大手門で敵を迎え撃つ側からすれば、敵兵にはこんな感じで銃撃したり矢を放つのかな…とか、そのためのあの侍屋敷の配置なんだろうな…とか、ここの櫓から横矢を掛けられるかもな…などと想像しました。



あと、さらりとスルーしましたけど(笑)、気になったことが一つ。

江戸時代前期の正保の城絵図と江戸時代末期の慶応絵図を比べて見ると、門の形式が違うような気も…。


上が江戸時代前期の正保の城絵図、下が幕末の慶応絵図。

下のは櫓門だなと思うんですが、上のは少々シンプルな気も…。

ちなみに、正保の城絵図での東大手門後東門はこのように描かれています。


東大手門はちゃんと櫓門として描かれていますよね。でも、この絵図での西大手門は後東門と同じに見える。

正保の城絵図での西大手門


ここで、別の絵図でも確認してみました。

これは、1710(宝永6)年に描かれた西町の絵図『紙本著色 三原西町絵図』です。これは正保の城絵図(1644年作成)から66年後に描かれたものですが、この絵図の端っこに西大手門が描かれています。


できる限り拡大してみると…


『三原市の文化財』という資料集に載ってた絵図をスマホのカメラで撮って拡大したものなので、画像が粗くてわかりにくいですけど、肉眼で見るとそう見えるんですよ!

いやー、これはやはり櫓門なんじゃないかな〜!

城の大手門ともあろう門が、薬医門や高麗門だと簡単に突破されてしまう気がするんですよね〜。

薬医門の例:久留米城水の手御門 (現 寿本寺山門)


高麗門の例:松本城黒門枡形の高麗門


ここで豆知識。

江戸時代250年の間に建て替えたのではないかと思われるかもしれませんが、その可能性は低いと思われます。

当時は、幕府が定めた武家諸法度という法令が出されており、城に関連することとしては、以下のような内容が定められています。

一、新規ノ城郭構営ハ堅クコレヲ禁止ス。居城ノ隍塁・石壁以下敗壊ノ時ハ、奉行所二達シ、其ノ旨ヲ受クベキナリ。櫓・塀・門等ノ分ハ、先規ノゴトク修補スベキ事
訳:新たに築城することは厳禁する。居城の堀、土塁、石塁などが壊れたときは、奉行所に申し出て指示を受けること。櫓、塀、門などは元通りに修理すること。(Wikipediaより引用)


「櫓、塀、門などは、元通りに修理しなければならない」とあるので、門を元の形式から変更するなんてことはまず考えられないと思います。

西町を整備した福島正則も、武家諸法度のこの条項に違反して広島城を無断改修したとして咎められ、減封・改易処分となっています。

幕府から咎められた時に福島正則が崩させたと伝わる広島城の石垣



そういうわけなので、やっぱり、西大手門は最初から櫓門だったんじゃないかなーと思うわけです。

正保の城絵図を描いた人が省略したのか間違えたのか、的な。



というわけで、今回も、絵図と全国各地の城門の写真とにらめっこしながら、西大手門ってどんなんだったんじゃろうかと妄想してまいりました。

城攻めをし始めてから、櫓門とか枡形虎口のファンになってしまったので、三原城にも大手門が復元されたらいいのになぁ…と思う今日この頃。

(資料も建てる場所もないけど…)



つづく
Posted at 2016/11/27 07:41:14 | コメント(0) | トラックバック(0) | 三原城の痕跡を辿る | 日記
2016年11月14日 イイね!

シリーズ【三原城の痕跡を辿る・その十五 通り丁堀編】

シリーズ【三原城の痕跡を辿る・その十五 通り丁堀編】三原城の痕跡を辿るこのシリーズ。

15回目の今回ご紹介するのは、館町・本町にある通り丁堀です!

これは、前回ご紹介した後東門石垣に接している堀です。

去る10月1日、この堀の清掃作業に参加して、滅多に見れない堀の内部を見てきましたので、それをレポートしたいと思います!

さて、通り丁堀ですが、まずは恒例の場所確認から!

おなじみGoogle mapで確認するとこのあたりです!


一方、幕末の慶応絵図ではコチラ!


後東門石垣や三原城の天主台に接する、今も現存している堀です。

堀の両岸の石垣がほぼ現存していることからも、堀幅は当時のままなのでしょう。


今も昔もこの堀は水堀ですが、当時は堀の水は海水でした。三原城は海を埋め立てて築かれたため、堀が海と繋がっていましたからね。


さて、清掃に際して、堀の水は抜かれていたので下まで降りることができました!

まずは、後東門石垣の東側。右手前の低い石垣の石は比較的新しそうです。これは、芸予地震のときに積み直したためらしいです。


後東門石垣の西側角。普段水の底になっていて見えない一番下の根石が見れるのは貴重です。角部は算木積みになっています。


後藤門石垣の西側に続く堀の石垣。割った石と石の間に小さな石を詰めた打ち込みはぎという積み方。


石を割る際に開けられた矢穴がたくさん見受けられます。


矢穴だけではなく、石には刻印も。堀の清掃のときに教育委員会の職員さんの解説をお聞きしましたが、この石垣を築くときには複数の石工集団が携わったそうで、この刻印はそれら石工職人さんたちがよその石工職人さんの担当したものと区別をするために刻んだものなのだそうです。


続きまして、これは道(西国街道)がカクッと曲がって南に向けて続く部分の石垣。こちらにも矢穴や刻印が見受けられます。


一方、この写真は対岸の天主台西側の石垣。


この天主台の西側の石垣は、小早川隆景が築城した当時のものと伝えられますが、こちらの石には、矢穴(石を割った形跡)も刻印も見受けられません。つまりは、通り丁堀と天主台西側とでは石垣を築く方法が異なっているということ。

そのようなことから、通り丁堀の石垣は、小早川隆景の時代よりも後(福島氏の頃?)に築かれたものなのではなかろうか…という話も、教育委員会の職員さんが解説されていました。

三原城は、いつ、誰が、どこを、どのようにして築いたのか、はっきりと記された資料がないのでわからない部分が多いのですが、このように堀の石垣の様子を自分の目で確かめることができて大変参考になりました!

またこんな機会があれば参加してみたいものです(о´∀`о)




つづく
Posted at 2016/11/14 20:13:10 | コメント(1) | トラックバック(0) | 三原城の痕跡を辿る | 日記

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何シテル?   06/03 19:04
まっつん.と申します。 野球が好きです。 広島カープが大好きです。 多分、石橋を叩いて渡るタイプです。 広島東洋カープ目指せ日本一!! ...
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