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2017年01月23日 イイね!

シリーズ【三原城の痕跡を辿る・その十七 河原谷川編①】

シリーズ【三原城の痕跡を辿る・その十七 河原谷川編①】三原城の痕跡を辿るこのシリーズも、ずいぶん更新頻度が低下しております(^_^;)

いやいや、今年こそが三原築城450年の年ですからね!まだまだネタはありますから、今年も頑張って妄想全開の不定期連載を続けていきます!

さて、三原城シリーズ第十七弾の今回取り上げるのは、河原谷川という川についてです。

今回、このテーマでいこうと思ったきっかけは、いつもこのシリーズを更新するときに資料にしている『三原市史』の記述に、今も残る三原城の石垣として、

東大手門南付近の石垣、これに続く東大手曲輪(東築出)堀西側の網打場の石垣(南半分はもとトスコ三原工場内)、蓮堀西側の石垣(河原谷川堤防)などがあり、西大手曲輪(西築出)東側の石垣は帝人通り西側歩道と道路の境の下にある。(三原市史第三巻)

とあったからです。

次に、この蓮堀西側の石垣(河原谷川堤防)がどこのことを指すのか探してみるにあたって、まずは河原谷川を辿ってみようと思い調べを進める中で、こんな記事を見つけました。

みはら玉手箱 第5号 みはらおもしろクイズ「消えた河原谷川の下流」


詳しくは、リンク先のみはら玉手箱の記事をご覧いただければなんですが、そこに詳しく、この川の歴史が書かれていました!

というわけで、最初に結論を言っちゃいますが、今回の記事は、このみはら玉手箱に書かれている内容に従ってこの川の現在の姿を、自分の足を使って歩きつつ、蓮堀西側の石垣(河原谷川堤防)を探してみたという内容です!

さて、まずは河原谷川を辿って写真を撮ってきましたのでご覧ください!

(写真を撮影した日はバラバラですけど)


まずは駒ヶ原から南に向けてスタート。


本町の暗渠(あんきょ)の入り口。元々は橋だったんですね。


暗渠の上。この道の下を川が流れている。この辺りの平地は、この川の扇状地かな?


一旦、暗渠が終わって川が姿を見せる。


本町の丸金橋から川を撮影。


桜橋の南から撮影。川はさらに南に向けて流れる。


再び暗渠に突入。


三原駅の西側ガード下。この溝蓋の下を川が流れているのかな?



さらに南下。港町の帝人通りも暗渠になっているそうです。この下を川が流れていき…


最終的に三原港の西側に流れ出て海に至る。

そんなわけで、この川、今も変わらず三原の街を流れる川なのですが、昔と今とではずいぶん流路が変更されているようです!

港町1丁目に設置されている「西浜変遷図」の説明板にそのことが記されていました!


これは明治時代以降の旧三原城西側の埋め立ての歴史を図示したものです。河原谷川のことを示す部分に注目すると…


明治時代中期に川が埋め立てられ、流路が変更になったことがわかりますね。

ごちゃごちゃしてるので、Google mapに書き込むとこんな感じで。青い点線部分は暗渠。上でたくさん写真載せたのは、この点線部分に沿って歩いてきたわけです。


それで…です。

ここまでで、今回のメインがどれなのか、お気付きになりましたか?

今回、三原城関係ないじゃん!って思われたそこのアナタ!

今回注目するのはコチラです!


はい、川の縁(へり)のこの石垣が気になるって話です!

実に回りくどいですねぇ〜(*´ー`*)

で、地図上でどこなのかを記したのが、以下の赤い丸で囲んだ部分です!


「蓮堀だった部分」と書いていますが、河原谷川は蓮堀に接続するように流路を変更されたということのようです。

ちなみに、いつもの江戸時代末期の慶応の城絵図にある河原谷川と蓮堀はコチラ。


そこから妄想した結果が以下の通り。



要するに、絵図を見た感じの位置関係とこの川のこのカーブ具合からして、ここの石垣って蓮堀の石垣なんじゃないか?!って思ったという話です。

あと、気になるのは石垣の石の積み方。

ここの石垣は、打ち込み接ぎ(石と石の接合部を加工して、隙間を少なく積み、空いた隙間に石を詰める積み方)の布積み(横目地が通る積み方)っぽいのですが、明治時代の石垣には、下の写真みたいな「谷積み」という積み方がよく用いられたそうです。

谷積みの例


谷積みとは…
石をナナメに落とし込んで積み上げる方法で、落とし積みとも言われる。コンクリート製の護岸ブロックの積み方なんかは谷積みのわかりやすい例かと。

明治時代に谷積み以外のやり方が全く用いられなかったというわけではないのでしょうが、それでも、当時のポピュラーな方法は谷積みだったはずなので。


さて、そんなわけでここまで話を進めてきましたが、

・河原谷川は明治時代に流路が変わり、蓮堀に接続された…ということは、蓮堀は現在の河原谷川。

・そこの堤防が三原城の石垣遺構ということならば、あの桜橋周辺のカーブしている石垣がそれっぽい。

・石の積み方も、近代になってよく用いられる「谷積み」じゃないし。

ということで、あのカーブしている河原谷川の石垣は、蓮堀の石垣の名残りだ!!

…っていうやつなんですけどね。

現場からは以上です!


次回は後編として、埋め立てられた元々の河原谷川の痕跡を辿ってみようと思います!


つづく
Posted at 2017/01/23 19:45:10 | コメント(0) | トラックバック(0) | 三原城の痕跡を辿る | 日記

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