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きむら@R50のブログ一覧

2018年01月11日 イイね!

磯村建設別荘地に行ってきた

みんカラのこのブログについてはすでに終了させていただいているのですが、
「磯村建設」「新栄電機」の記事については検索されて外部からお越しの方が多く、
公開についても引き続き制限を設けていません。
今後もこの方針でご覧いただける状態のままとしておきます。

同様の理由でこれらの話題について、これからも情報をお役立ていただけるように、
新しい調査結果が出た場合にのみこちらで記事にさせていただきます。
これらは「みんカラ」での交流などとは別な意味での更新であって、
あくまで磯村建設や新栄電機といった「昭和の名残」を求める方向けのレポです。
みんカラの方々には申し訳ないのですが、ここに戻ってくるわけではありませんので念のため。


さて、過去に磯村建設の分譲地については2回に分けてお送りしています。
埼玉県寄居町の「柏田ニュータウン」「ひばりヶおか」。
これらは過去記事に詳細を載せていますので、ご覧ください。

 ・「懐かしの「磯村建設」分譲地に行ってきた」(柏田ニュータウン)
 ・「続・「磯村建設」分譲地に行ってきた」(ひばりヶおか)


●じつは磯村建設は戸建て住宅以外の不動産も扱っていた●

テレビCMでは埼玉県寄居町の主に「男衾」「鉢形」両駅近隣の分譲地を扱っていて、
そのほかの事業についてはなかなか目にすることはなかったのですが、
磯村建設はその他の形態の不動産販売にも関わっています。

一つは集合住宅販売。いわゆる「マンション」のことです。
昭和50年代に都内数ヶ所のマンションを新築し、分譲の形態で販売しています。
宅地と同じく「サンハイツ」という名を付けられた建物が多いのも特徴でしょうか
(サンハイツという名の共同住宅は都内に無数にあり、よってこの名のほとんどは
磯村建設とは無関係ですから、名前だけで磯村の建設物件と特定することはできません)。
磯村建設の本業は戸建て住宅の新築と販売、マンションはあくまで販売会社としての
関与であり、建築を請け負ったのは別な業者だと予想されるのですが、
登記や資料等では下請けは表れませんから、磯村建設の建築と記されています。
耐用年数が長く取られているコンクリート建てですから現代でも残存していますが、
マンションというのは外見から建設会社の名称は知ることはできません。
テレビCMの資料映像もなく、これらを磯村建設の残影として結びつけるのは難しいのです。

そしてもう一つが別荘地の販売。
住宅地の開発・販売と同様に、関東周辺の数ヶ所で別荘地を販売しています。
建物付きで売られたようですが、住宅以上に荒廃が早く進んだようで
一部の別荘地はすでに姿を留めていないに等しい状況になっているようです。
これまた現代にCM等の公開情報がなく、なかなか見えてこない部分ではないかと思いますが、
かつての磯村建設は実際にこの事業も行っていたのです。
判明している限り、最低でも2ヶ所の別荘地販売が確認できています。
一つは茨城県鉾田市の、旧大洋村の海岸付近。
もう一つが群馬県嬬恋村、浅間山北東側の森林地帯。

今回は群馬県嬬恋村にあった、磯村建設開発の別荘地にターゲットを絞ります。


●群馬県嬬恋村 磯村建設の別荘地「サンハイツ白樺の里」●

この別荘地の情報を特定したのはもう2年近く前なのですが、
埼玉県内の宅地分譲と比べて地味で知名度もなく、
成果も限定的と思われたので調査を先延ばしにし続けていたのです。
しかし時間が経過するほど現地の状況は変化してしまうはずで、早いほうがいい。
2018年の年明け、ちょうど群馬県に用事ができましたので、思い切って足を延ばしました。
ついに磯村建設の別荘地の様子が明らかになります。
CM画像と照らし合わせることはできないので物証にたどり着くのは無理でしょうが、
とりあえず現地の詳細については公開しておく必要があると考えたのです。

群馬県嬬恋村は、避暑地として知られた場所です。
位置的にはこの辺り。軽井沢の北側、草津の南側。
よく「北軽井沢」と呼ばれる一帯ですが、軽井沢町は長野県。
北軽井沢は群馬県長野原町と嬬恋村の一部を指し、軽井沢地区とは別の場所です。



もうちょっと地図を拡大してみます。
都内からアクセスする場合は軽井沢から向かうのが一般的。
上信越道を降りて40~50分ほど走ればたどり着けると思います。
近くには浅間山の火山博物館や「鬼押出し」という溶岩の眺めを楽しめる名所もあります。
草津温泉と絡めての観光やレジャーも楽しめ、人気のエリアです。



都心から比較的近く、自然も豊かで観光地も豊富、そして夏涼しく避暑に最適。
条件が良い北軽井沢一帯は高度成長期の頃から別荘地開拓が盛んに行われてきました。
昭和50年代に急成長した磯村建設も、それに加わろうとこの地に乗り出したものと思われます。
主に針葉樹が広がるこの辺りの森はあちこちが別荘地化されていて、車で走ると
「○○別荘地」「貸別荘」「別荘売買」などの看板ばかりが目につきます。



磯村建設が開発した別荘地は、嬬恋村の鎌原という場所にあります。
この地名は嬬恋村の広域に設定されているもので、他社が開発した別荘地の多くも
同じく鎌原という地名が付いてきます。あまりに広いのでこの地名で地点を特定することは不可能。
地元の人に「鎌原に行きたいんですが」と聞いても「この村の南側はみんな鎌原、
この森の全部も、向こうの山の上も、浅間山のてっぺんもみんな鎌原だ」と言われるだけ。
仮に地番まで判っていてもこれまた無駄で、ピンポイントどころか大体の位置も絞れません。
ここと同じ地番は、西側一帯に数キロ先まで広く存在しているためです
(どうやらこの辺りの地番は標高を元に設定されるようで、等高線沿いに長く広がっています)。
数キロ離れた別荘地も、そして観光地の鬼押出し園も火山博物館も、みんな同じ地番。
枝番が違うのでこれが識別箇所ですが、5桁まであるほど膨大で、途方にくれます。
これまた村役場の帳簿に登記される目的のもののようで、複雑怪奇。
数字順に並んでいるわけでもなく、その詳細は地図にも載っていません。
ですから余所者は業者の案内図などを頼りに行くのが唯一の方法となってきます。
無論、磯村建設が廃業して30年以上経つ今、開発会社に訊ねることはできません。



この別荘地が磯村建設所以の地であることは、いくつかの情報からわかります。
一番決定的な情報はこちらに住まわれている関係者の方々ということになりますが、
そういう情報元についてはご迷惑になるといけませんからここには書きません。
ご興味がある方は各自でお調べください(節度ある姿勢でお願いします)。
要点のみ書くと、昭和49年から58年までの10年に渡り磯村建設が開発した
別荘地が、今回取り上げる「サンハイツ白樺の里」です。
とりあえず関連事項として、こういう不動産広告が見つかります。
昭和51年の建物ということで、時代としても重なるのではと思います。



「鬼押出し園」。浅間山の噴火による溶岩流が広がる一帯を観光公園化したスポット。
「鬼出ハイウェー」という有料道路を来れば容易に着きますが、ちょっと遠回りすれば
一般国道などを経由して通行料をかけずにたどり着くことも可能です。



その鬼押出し園の前、道路がループするようなロータリー状の向かい側に、
森の中に入っていくような細い道が見えます。



ここに怪しげな案内看板が。「サンハイツ白樺の里」。
サンハイツと言えば「サンハイツめじろ台」などという名で販売された、磯村建設の分譲地。
この名称は磯村建設が好んで使ったもので、前述のようにマンションにも名付けられています。
サンハイツのフォントが意味ありげ。磯村が関わったマンションにも多く使われた字体の模様。



この看板に従えば、容易に別荘地まで行けます。
そう、この看板にたどり着くまでの情報収集が、現地を特定する苦労の大半を占めるのです。
ここまで来てしまえば、その場所に行きつくことはもうほとんど困難はありません。
先ほどの看板からすぐ近く、左に折れる道があり、ここにも看板が出ています。
ここを入れば「サンハイツ白樺の里」までは一本道です。




1月なので北軽井沢は雪景色。夏場は賑わうこの辺りもこの時期観光客はまばらで、
別荘に訪れる人もいないのでしょう。雪道にはタイヤの跡は少ししか残っていません。
とにかく、先へと進んでみましょう。本当に磯村建設の別荘地はあるのでしょうか。



「白樺の里入口」というゲートというかアーチというか。
ここから先がいよいよ磯村建設が開発したエリアと言うことのようです。



薄れた字で「関係者以外は無断で立ち入らないでください」と書かれています。
許可を取ろうにももう磯村建設が存在しないのですからどうにもならず…
それに現代ではこの奥にペンションや貸別荘ができて、関係者以外でも
通行する状況になっています。磯村建設が消えた段階で、この表示も無効になったらしい。



さらに先へ進んでみます。しばらくは森が続くだけで建物はないんですが、
ちょっと行くと家がポツリポツリと現れます。そろそろ目指す場所に着くようです。
ちなみに木々は針葉樹がほとんどで、名称になっている白樺はあまり目につきません。



真新しい建物があります。思いのほかこの別荘地は賑わっているのかな?
この建物は現役のペンション。サイトもあり予約も簡単にできます。
もっとも1月のこの時期はお客さんはいないようでしたが…。



このログハウスもまだ新しいですね。ということは、磯村建設が倒産してから
だいぶ後の建築ということでしょう。当時を偲ぶものではなさそうです。



ペンションがもう1軒。シーズン中は喫茶店も営業しているようです。
今は雪の景色で北軽井沢も閑散期。シーズンオフで一時休業中なんでしょうか。



…いやいや、これは無期限休業中でしょう。正確には「廃業」に等しい。
すでに建物は劣化が進んで、屋根の一部が風化して破損が始まっています。
こうなると内部はかなり朽ちてきているはずで、補修は容易ではないでしょう。
軽井沢というと何となく今なお華やかな高級別荘地という印象なのですが、
群馬県側の北軽井沢に限ってはあまり景気のいい雰囲気ではないような感じです。



今度は「白樺の里管理事務所」というアーチ。
矢印の差す道路左側は空き地があるだけで、それらしい建物は見当たりません。
もう磯村建設が廃業して30数年が経過します。状況は大きく変化しているのです。



錆付いた看板。ここが開発された当時はいろいろ記されていたんでしょうけれど、
もう赤錆だらけで何が書かれていたのか読み取ることは困難です。
そもそもこれを眺めるような来訪者もなく、役割は終えているので問題もないのでしょう。
一応写真だけ撮りましたが、あまりの荒れ具合に寂しくなっただけでした。
…しかし、この1枚の画像はのちに大きな価値を生み出すことになります。



三叉路にカーブミラーが設置されていて、何やら小さな看板も見えます。
じつはこの地点が、磯村建設が開発した「サンハイツ白樺の里」の中心地付近。
近くには管理事務所があり、そのほかの施設もこの付近に集中していたようです。
テニスコートもあったらしいのですが、荒れ果ててしまって今ではただの空き地。
人の姿も全くなく、現在は寂しさだけですが…昭和50年代は賑わったのでしょう。



その三差路の角に、この建物があります。
やはり屋根裏の一部の板が抜けて荒れていますが、よく見ると
「ショッピングストアー」「レストラン」という文字が残っていました。
この別荘地がオープンした当初、買い物や食事ができる店舗だったようです。
現在はこの建物が「白樺の里管理事務所」となっています。
磯村建設が廃業後、この別荘地は別な業者が引き取って続いていたようなのですが、
その業者も経営者が他界して会社清算。現在は自治組織的な形で維持されているようです。
この建物も所有者が何度も変わったりして権利が複雑化しており、
現段階で法的にどうなるかもわからないらしいのですが、暫定的に維持されていて
管理事務所への活用がされている…という事情のようです。



そしてここからが「サンハイツ白樺の里」。昭和50年代に磯村建設が開発した別荘地です。
もう何も残っていないかと思ったんですが、どうやらたくさんの別荘が並んでいるようですよ。
会社はなくなっても購入者が守っているのなら残って当然。ここはまだ廃村ではなかった。



…と、ホッとしたのもつかの間。別荘はたくさん建っているけど、なんだかおかしな気配です。
ちゃんと姿は留めているけど、生気がない。主のいる様子がない家々が多数。
この建物もそう。悲惨な荒れ方ではないのですが、でも誰かがやってくる感じもしない。
分譲地の家とはまた違う荒廃を辿るのが別荘地なのかもしれません。
避暑などで必要な時には主が来ますが、必要がなければ誰も来ないのです。
ここの主はもうこの別荘に飽きてしまったのか、あるいは来られない事情ができたのか。



明らかに打ち捨てられた家が、いくつも並んでいます。
建物を見ると、男衾辺りで見た磯村建設の分譲物件と同じような匂いを感じます。
昭和50年代の陳腐なデザインと、貧相で簡素な建築手法。
ああ、ここはやっぱり昭和50年代に作られた磯村建設の別荘地なんですよ。
あの頃ちょっと背伸びして北軽井沢の別荘を手にした人々は、今どのくらいのお歳でしょう。
バブルが崩壊した後、ここに戻って来られなかったオーナーはどれくらいいるんでしょう。
この別荘地にはいろんな事情が絡んでいるのかもしれませんね。
何しろ開発した磯村建設ですら、バブルまで持たなかったのですから。



箱型で見るからに面白みのないデザインの家。
休暇で北軽井沢の自然の中まで来て、こんなスクエアな空間ですか。
なんだか都内の葛飾区とか墨田区辺りの住宅密集地にあるみたいな造り。
これでは21世紀の若いオーナーは誰も欲しがりませんよ。
昔は別荘を持つだけで夢は叶ったかもしれないけど、今の人は違う。
夢を叶えるために無駄なものには、安くても投資なんかしませんから。
この別荘はもう役目を終えました。あとは崩れるのを待つだけですね。



車で一帯をぐるっと回りますが、どこも同じような状況。ほぼゴーストタウン。
人が少ないだけではなくて、別荘地全体が放棄されているような雰囲気です。
もちろんしっかり手入れされて使われている別荘もあるし、
ペンションとか貸別荘として活用されている現役の建物もあります。
それらは綺麗なカーテンが吊るされていたり、窓越しに家具や家財が見えたり、
ちょっと眺めただけですぐわかります。そういうものが一切ない「廃屋」が多いのです。
現役はわずか2割くらい、3割は放置、残り5割はもう二度と人が来ることのない建物です。



この別荘地の電話回線の維持管理は、21世紀の今もなお電電公社が行っているようですよ(笑)。
こんなところにまで残っている、昭和のあの頃。



群馬の山奥だから、クマも出ます。自然とはそういうものです。
駆除とかではなく、共存を考えるべきところです。
開発したのは人間だけど、この山は人だけのものではないのですから。



さらに無人の別荘地をぐるぐる。傍から見たら怪しさ満点ですが、
ちゃんと調査研究という目的で来てますから、屁理屈としては正当です。
…と、ずっと眺めていて気付いたのですが、この別荘地の物件はどれも、
自分が考えていた別荘というものとちょっと乖離したコンセプトなのかなと思うんです。
ふつう別荘というのは、日ごろを忘れてゆったり気ままに過ごすためのものですよね。
家は小さくても開放感があるだとか、近隣との面倒から解放されるだとか。
しかし、どうも磯村建設の別荘地は「お手頃価格」を優先するあまり、
そういう別荘に求められる諸条件を犠牲にして作られたものなんじゃないかなと感じます。
これらの建物、たぶん戸建ての別荘ではないんですよ。「共同住宅タイプ」ではないのかなと。
1階と2階で間取りも窓位置も同じだとか、一つの建物に同じ構造が連なっているだとか。
恐らく1棟を複数のオーナーで共有して、それで販売価格を下げていたのでは?
私は別荘の事情に詳しくないから、断言はできませんけどね。



こんな感じのアパート風の建物もありました。推定で8~10部屋くらいでしたかね。
いやいや建物の真ん中に廊下があるようだから、左右10部屋ずつで20部屋くらいあるのかも。
合宿などで使われる建物ならいいのかもしれませんが、別荘としてはどうなのかな。
ここまで来てアパート暮らしでは全然非日常感を感じないし、
そもそも最初からリゾートマンションを買ってしまったほうがいいのです。
当時は「別荘を所有する」というのがステータスだったのかもしれませんが、
今は無駄なものを所有することはステータスにならず、結果的に負の資産と
化したのかもしれません。造りとしてもチープで、心安らぐ感じではないですよね。



これも大きな戸建てかと思っていたら、よくよく見れば「連棟タイプ」。
外壁にギャップを付けて4分割していますが、それぞれ同じ構造とされています。
煙突も各々についていますから、これはオーナー4人で共用する建物ということです。



やはりあちこちの板が抜けて、もう内部から朽ち始めています。
よく言われる「空き家は時々窓を開けて換気する必要がある」は、本当なんですね。
この手の「複数オーナー共有タイプ」の物件、確かに手頃な価格で買えたと思いますが、
購入前によくよく考えておくべき重要な問題点がありました。
「4名のオーナーのうち一人が欠けた段階で一気に朽ちていく」のです。
3世帯が丁寧に手入れを続けても、1軒が湿気をそのままに放置したら、
建物全体に悪影響が生じて程度が一気に悪化していきます。
そのなれの果てが、今のこの状況。



このタイプの建物の一部は今でも現役で維持されていて、売りにも出ています。
建物だけしっかりしていれば、住み続けることは可能です。
ただし連棟タイプですからアパート暮らしみたいなもので、隣家が気になるはずですが。
不動産情報にも載っていますが、よく見るとこの辺のことも記されています。
やっぱり連棟の造りなんですね。所有権4分の1は魅力に見えますが、裏を返すと…



ちょっと作りは違うけれど、やっぱりこれも4軒の連棟タイプですね。
現代で言う「メゾネット」というタイプのアパートと同類です。
そう、この別荘地は主にアパートで構成されていたんですね。
それも大家がいない、オーナー共有というタイプのアパート。
年数回しか訪れない別荘にこのタイプは、だいぶリスキーだったはず。
管理会社はメンテをしてくれたかもしれませんが、なにせ肝心の磯村建設は…。



自然のままの地面に建てられたせいか、床下換気のためなのか、
あるいは冬季の積雪と関係があるのか、多くの建物が「高床式住居」のように
地面から浮いた状態で建築されています。どうもこれもマイナス要素のようで。
地表から水蒸気が上がるんじゃないでしょうか。建物が下からも破壊されています。
玄関の木製のドアは、下から腐って破れて、大穴になっています。
もう人の住まいでもなんでもありません。取壊しを待つだけです。



放置された住宅は、オーナーがいないと取り壊し費用も出ないようです。
この別荘地は空き家が過半数となったことで、全域が荒れ果ててしまっています。
磯村建設が勢いに乗って北軽井沢まで進出、華やかに売り出した「サンハイツ白樺の里」。
しかし数年で磯村建設は倒壊、購入者にはローンが残りました。
その後訪れたバブル崩壊、不景気の時代、そして経年による建物の荒廃。
今なお大切に維持されている一部を除き、残るものはほとんどないのでしょう。



それでも荒れ果てた一部の別荘は解体されて、新たに別荘地として売られています。
土地だけなので値段はお手頃のようですが、周りのこの状況を見て
わざわざこの場所に新しい家を建てようという人は、どれくらいいるんでしょうか。
今日本の景気は上昇の一途だそうです。しかし庶民には実感もなく無縁な話。
限られた一部のお金持ちがここを買うんでしょうかね…なんだか見えてこないんですよね。
いろいろ考えさせられた、今回の別荘地探訪でした。




●磯村建設の物証となりそうなものは、はたしてあるのか●

埼玉県寄居町の旧磯村建設分譲地についても、特に名前が残っているわけではありません。
当時を確認する唯一の情報は動画サイトなどに残る当時のCMだけ。
あの映像に写っている家を確認することで磯村建設が関与した物証にしているだけのことです。

ところがこの別荘地はCMが残っていません(そもそもCM放映になった可能性すら低い)。
よって物証の類は期待せず、単に現地訪問の意味合いだけで実施することにしたのです。
それでも人間欲が出ます。何とか証拠を残してきたいという願いが出てきます。

いろいろ調べた結果、一応下記の設備などに名残がある可能性があります。
ただしこれらがどういう形で残っているのか、その辺りの確認が取れないままです。
恐らく残存はしているのですが、確認できても名称までは表示されていないでしょう。
一応並べておきますので、私の後を継いで調べてくださる方、参考にしてください。

・「サンハイツ白樺の里」関連施設(磯村建設の名が残るもの) いずれも嬬恋村役場管轄
 ①磯村配水池  所在地:鎌原1053-9128
 ②防災行政無線施設屋外拡声子局47号(旧磯村建設) 所在地:鎌原1053-9031

市販の地図やネット上のマップなどでは、これら地番は表示されないので特定は不可能です。
別な資料を当たれば絞り込めると思いますが、くれぐれも役場などに迷惑にならないよう、
慎重に行っていただければと思います。
私も調べてみようと思いましたし、現地でも回りながら気にして見ていたのですが、
残念ながら探し当てることはできませんでした。


●限りなく確実性の高い「磯村建設絡み」の証拠を発見か?●

しかし、何も残せないままでは調査結果としてはあまりにも中身がないじゃないですか。
なにか磯村建設の手掛けた気配だけでも残せれば、この調査は意味を持つものになるんです。
とはいえここから何を記録してこいというのでしょう。虚しさだけが残ります。
…と、その残影は意外な記録の中に隠れていました。

さっきの錆付いた看板の画像です。
これには「サンハイツ白樺の里」の地図が描かれていたようなのですが、
ご覧の通りすっかり劣化が進んで、もう内容を確認することはできません。



それでも各部を詳細に調べてみると…
この解読不能の看板の中に、かろうじて読み取れそうなものが三つほどありました。
現地では全然気づかなかったので、帰宅後に記録画像を分析しての成果です。
順に見てみます。



まずは左上の①部分。
これは管理事務所があった付近の配置地図です。
「管理事ム所」という文字のほか「テニスコート」という表示もあります。
恐らくこの看板の付近にはいろいろな施設がまとまって存在したのでしょう。



そして右側の②。
「サンハイツ白樺の里」という、この別荘地の名前がうっすらと残ります。
ここまでは磯村建設の証拠になるものではありません。問題は次の箇所です。



そして看板の一番下の③の部分。
一番下の部分は鉄板の風化も激しく、かなり劣化が進んでいます。
しかし、どうやら数字が書かれていたようなのです。
恐らくは電話番号です。ここを管理していた会社の電話か何かですかね。
この数字が判読できれば、そこに問い合わせしてみたら何かがわかるかもしれない。
その会社が今も存続しているなら…という条件付きですが。
とはいえ、この状況では数字は読み取れそうになく、その手段は断たれました。
…と、ここで気づいた。なんか見覚えのある数字がいくつか確認できる気がするんです。
途中に完全に脱落している数字がありますから断定はできませんよ。しかし…
これ、もしかしたら決定的な証拠の一部なんじゃないかなと考えるんですよ。



数字の残っている部分だけ確定して、欠けている部分を推測すると…
☎東京03-343-4911(代)
になりませんか?



あくまで推測です。しかしかろうじて残っている記号と文字・数字を並べると、
欠損している何かのほうが少ないわけで、たぶん50%以上の確率でこれは物証です。
この看板がすべて読めた頃には、電話番号と共に「磯村建設」の社名があったはず。
それを確認できないのが心残りですが、今だからこそ辿り着いたことに価値があるのです。

ほんの僅かの物証と人々の記憶の中に、かろうじて残る磯村建設別荘地。
CMという決定的な記録の陰で忘れ去られたままの残像は、
今なお長野の自然の中で静かに時を刻んでいます。




★お願い★
今回の磯村建設レポについては、当方の記録を参考にしていただくこと、
また記載を転記することに制限は設けませんが、このブログへのリンクはご遠慮ください
(みんカラ以外からのアクセスが激増して、当方の活動に支障が出る可能性があるためです)。
当方の記録を参考にしたことを説明していただいたうえで、
独自に記事や文章をお書きいただくことには制限は設けません
(「とあるブログを参考に行ってきました」程度で可、
特にここの所在を明確に記載していただかなくても結構です)。
また現地を訪問される際は所有者の方にご迷惑をかけることのないよう、どうか節度を持って
行動してください。一人の身勝手な行動で大勢に迷惑が掛からないように。
ご協力をお願いいたします。
Posted at 2018/01/11 21:16:10 | コメント(1) | トラックバック(0) | 昭和探訪 | 日記
2016年09月30日 イイね!

新栄電機を探しに行ってきた

【特例として一般公開】
ブログの運用形態変更に伴い友達限定公開にしていましたが、
考察的資料として需要があるようですので、改めて通常公開とします。
本来はこのブログの世界観に沿ったストーリー形態でレポにしていましたが、
方針転換により情報のみに絞った内容に修正します。
検索などでここをご覧になる方には情報だけあれば充分目的を満たされるはずで、
よってこのような最低限のレポートに書き換えての公開とさせていただきます。

本文の最後に記載しましたお願いをお守りいただければ、情報については制約を設けません
(ここへのリンクやこのブログへの誘導になる記述、また転載はお断りします)。
現地を訪れようという方はマナーを守って住民の方々に迷惑にならないようお願いします。


昭和CMから辿る、かつての企業が残した遺跡の探訪シリーズ。
磯村建設・続磯村建設に続き、ついにこれに着手しました。


[はじめに 新栄電機とは]

かつて東京都西部および千葉県・埼玉県内に店舗を展開していた家電販売チェーン。
昭和を知る世代には、先日公開した「磯村建設」とともに、
古典的なCMの双璧として、今なお親しまれています。
昭和40年代~50年代前半に制作された、画質が悪く見るからに古い時代のCMを、
平成に入るころまで流し続けていた、貴重な企業。
磯村建設より後まで営業を続けていたものの、2003年に経営破綻、自己破産しました。





廃業からすでに13年。すでに形跡はほとんど見つけられない状況で、
人々の記憶に残るこのCMがこの家電チェーン唯一の名残と言えます。

…しかし、今もかろうじて当時の面影を辿れるという噂もあります。
ですがまだネットにその様子を公開しているところは皆無です。
ここは磯村建設に続いて、新栄電機も探して記事にしてやろうじゃないの…
ということで、今回調査を行うことにしましょうか。
さて、新栄電機の残像をなにか見つけることができるのかどうか。


●ある日の深夜●

ふと、ラーメンを食べたくなったのがきっかけ。
真夜中のゴミ捨てついでに、都内のいつもの店までラーメンを食べに行くこととしました。
年中無休24時間営業の貴重なお店。学生時代から食べていた、なぜか食べたくなる味。
店は黄色、店名は目立つ赤。
よく考えたらこれって新栄電機と同じなんですね。



東京豚骨のパイオニアと言われている、この店。
夜中に食すにはくどいのだが、この時間に食べるからこそ雰囲気に浸れる気もする。



と、お店の色遣いを見ていたら、新栄電機が気になりだした。
ちょうど調査をしようと思っていたところ、思い切ってこのまま行ってみることにしました。


●ラーメンのついでに新栄電機の店舗跡に行ってみる●

今から13年前に営業を停止した新栄電機。
その様子を見ようと過去の店舗跡などを訪れても、
もうほとんど名残は残っていないのが実情です。
そのせいか、ネット上にもその様子を紹介したところは皆無に等しいようです。

磯村建設はもう30年以上前に倒産しているが、分譲された家屋は購入者の所有だから、
その家が建て替えられたり取り壊されない限りは今も残っているわけです。
しかし新栄電機はビルやテナント、倒産すればその跡地にはすぐに別な店が入り、
同時に新店の外装や表示に改装されてしまうから、形跡は残りにくい。
倒産後13年程度の新栄電機を辿るのは、磯村建設より困難だったりします。

たとえばここ。かつて新栄電機堀切店が入っていたビル。
ご覧のようになにも形跡なし。今はドラッグストアが入っています。





新栄電機の店舗は最盛期で20数店あったようですが、どこも似たような状況のようです。
そもそも磯村建設のように多数の分譲住宅が画面に登場するCMではなく、
主に店内撮りだから店舗外観が記録に残っているわけでもない。
映像と現地の物証を照らし合わせるという辿り方は、新栄電機では困難なんですね。


●亀有に行ってみる●

東京の下町、亀有へ。
ちょうど「こち亀」の連載が終わるということで、早朝の亀有駅には早くもファンの姿が。
私も昔はジャンプを見ていたが、中学に入って間もなく見なくなってしまった。
別に漫画に興味がなくなったわけではなくて、自分のやりたいことがいろいろ出てきて、
なんとなく漫画を見るという時間が無くなっただけなんですが。
亀有と言って思い出すのは、むしろこっちのほう。解る人は解るはず。



亀有に来たのはもちろん新栄電機関係の調査。
ここ亀有は、新栄電機にとって聖地ともいえる、とても重要な地でした。

まずは本社として登記されていたという場所。
ご覧の通り、某有名宅配業者の配送センターがあるだけ。
恐らく元社長の所有不動産か何かだった土地を、破産後に債権整理の目的で
転売され、別の個人や法人が取得してきたものと思われます。



そして、もう一つの重要な場所。
今はクリニックなどが入っているこのビル、かつて新栄電機亀有本店があったところです。
おそらく1階と2階が店舗、その上に本社や事務所機能が入っていたものと思われます。



亀有店については別な方が当時の画像を公開しています。
転載は気が進まないので、その画像を参考に復元図を描いてみました。
こんな感じだったようです。ここには確かにあの新栄電機がありました。




●CMに唯一外観が出てくる、あのお店●

前述の通り、新栄電機のCMにはほとんど店舗外観が出てきません。
唯一それが映るのは、大きなビルに入っているどこかの店。
じつはそのただ一つのCMに出た店舗、現在もビルが現存しています。
新栄電機柏店跡。
おなじみこの映像に映っているビルは、今どうなっているのでしょう。



どうやら、これっぽい。



外装は多少変わってはいますが、ほぼそのまま。
新栄電機が入っていたフロアは、今は猫カフェか何かになってるようですね。





柏駅南口付近からも、このビルは見えます。新栄電機の形跡として、決定的なものの一つです。




●誰も知らない新栄電機の残像●

最後にもう一つ。うち独自の調査結果を。
東京都墨田区東向島、ここにもかつて新栄電機がありました。
向島店が入っていたと思われるビルが、今も現存しています。



4階建ての1階2階部分の一部が店舗、ほかは集合住宅として建てられたものです。
当然のことながら店舗部分は完全に改装され、新栄電機の名残はありません。
しかし、このビルには物証がしっかり見られます。



横の路地に入って行くと、建物の脇にマンションの入口があります。
ここに新栄電機の建物だった証拠が。



このマンションの名称は、「新栄マンション」です。
築年数は見た感じだと40年強でしょうか。40年前というと、新栄電機が全盛だった時代。
恐らくですが、ここ自社所有物件として建設されたのではないでしょうか。
店舗収入と住宅の賃貸収入の両方を狙ったのかもしれません。
その後新栄電機の破綻後は売却、所有者も変わっているのですが、ありきたりな名だし
特に差し支えないからと住宅名称がそのまま残っている…という事情のようです。




「たぶんネット初の新栄電機調査レポ」、これで終了です。
ほかにも各店舗の入っていたビルなどがそのまま残っていたりしますが、
この先の調査は現地訪問だけで、特に記録できる物証はないはず。
よって形としての成果を目的とするうちの調査活動は、ここまでとします。
この先は「行ってきたよ」という会話で満足できる方々の担当すべき部分です。
私はこれ以上各店舗跡を巡っても、実績にできるものがないですから。

懐かしい昭和のCMで知られた磯村建設と新栄電機、
二つのレポを終了しましたので、このシリーズはこれで完結とします。
何か新しい対象物をご提案いただきましたら、取り上げてもいいですけどね。
リクエストとかアドバイスがありましたら、是非ともお寄せください。
当時流行りものじゃなく、今の人々の心の中にしっかり残っているもの。
そういうものを発掘する必要が出たら、またその気になるのかもしれません。
何か提案がある方、是非とも課題を振ってみてください。
共感したら、再びそれらを求めて出向こうと思います。

昭和のCMの名残を見つけるレポということで、そちらの話題がお好きな
新しいお客様にもお越しいただきました。ありがとうございます。
このシリーズについては今回で完結となりますので、
新たなものが見つからない限りこれをもって調査活動は終了となります。
次回以降はこの手の話題は扱いませんので、本来の運用に戻ります。
昭和CM関係の話題はイレギュラーなんですよ。
レギュラーを手薄にすると本末転倒ですので、次回から本業に戻ります。
昭和CMシリーズはとりあえず活動終了となりますが、ご了承ください。


【お願い】
今回の新栄電機レポについては、当方の記録を参考にしていただくこと、
また記載を転記することに制限は設けませんが、
このブログへの直接のリンクはご遠慮ください
(アクセスが激増して、当方の活動に支障が出る可能性があるためです)。
当方の記録を参考にしたことを説明していただいたうえで、
独自に記事や文章をお書きいただくことには制限は設けません
(「とあるブログを参考に行ってきました」程度で可、
特にここの所在を明確に記載しなくても結構です)。
ご協力をお願いいたします。


次回からは新たなシリーズを公開していくつもりです。
またしばらく準備期間をいただきます。
Posted at 2016/09/30 18:36:22 | コメント(1) | 昭和探訪 | 日記
2016年09月17日 イイね!

続・「磯村建設」分譲地に行ってきた

【特例として一般公開】
ブログの運用形態変更に伴い友達限定公開にしていましたが、
考察的資料として需要があるようですので、改めて通常公開とします。
本来はこのブログの世界観に沿ったストーリー形態でレポにしていましたが、
方針転換により情報のみに絞った内容に修正します。
検索などでここをご覧になる方には情報だけあれば充分目的を満たされるはずで、
よってこのような最低限のレポートに書き換えての公開とさせていただきます。

本文の最後に記載しましたお願いをお守りいただければ
情報については制約を設けません
(ここへのリンクやこのブログへの誘導になる記述、また転載はお断りします)。
現地を訪れようという方はマナーを守って住民の方々に迷惑にならないようお願いします。


時間をいただいて取材と準備に集中しておりましたが…
ようやくまとまりましたので、満を持して公開いたします。


●ついに明かされる? ひばりヶおかの正体●

まず、予習というか、おさらいというか。
磯村建設は昭和50年代に埼玉県内に複数の分譲地を開発。
特に東武東上線末端区間にある男衾・鉢形両駅の周辺を中心に販売しました。
昭和60年に磯村建設が倒産してから、ニュータウンの名称もいつの間にか忘れられ、
今ではその痕跡を辿ることさえ難しくなっています。
幸いにして、当ブログにて「柏田ニュータウン」の発見に成功、
初めて過去のCMに映っていた地点の現在の様子を公開できました。
ネットでほかに情報が見つからないことから、うちが磯村建設分譲地跡の
発見第1号ではないかと思われます。

「柏田ニュータウン」レポ→ 7月9日公開 「懐かしの磯村建設分譲地に行ってきた」

で、ついに「ひばりヶおか」の情報を探し当てました。
4か所の磯村建設開発住宅地の中で、代表格のひばりヶおか。
これを見つけ出すことは一番の栄誉となるはずです。






前回の「柏田ニュータウン」同様、ひばりヶおかの最寄り駅も、東武東上線男衾駅。
「ひばりがおか」の名を名乗る土地としては、西武池袋線の「ひばりヶ丘」駅が有名。
宅地化されてから年々発展して、今では有名住宅地の一つに。
磯村建設が宅地開発を始めたころ、ちょうど西武沿線の「ひばりヶ丘」が人気になり始めの頃で、
恐らくはその名前に便乗して「ひばりヶおか」という類似した名称の分譲地を作った模様。
しかし、本家ひばりヶ丘とはあまりに違いすぎる、磯村建設のひばりヶおか。
同じ池袋から私鉄で通勤できるとはいえ、距離も環境も全く違います。



「ひばりヶ丘」は池袋まで15分弱、しかしこっちの「ひばりヶおか」のある男衾から池袋は80分。
通勤で往復すると、徒歩含めて毎日4時間近く費やすことになります。
ひばりヶ丘駅の1日の乗降客数は約6万人、対してここ男衾はわずか1800人弱。
名前は似ていても発展の度合いは比較にならないということでしょう。


●ついに「ひばりヶおか」に迫る●

それでは、さっそく磯村建設の分譲地「ひばりヶおか」を。

じつは「ひばりヶおか」という分譲地は、一つの開発地を指すのではなくて、
複数の場所に点々と存在しているようです。地元の地名とは全く無関係、.
さらに一つの場所を定めて呼んでいるのとも違う。ある意味一時期の販売ブランド名として、
磯村建設の複数の開発地を指して、このシリーズ名で呼んでいただけらしいです。
探すのは困難と思われましたが、地道な調査と分析の末、ようやく決定的な情報を得まして、
ついに幻の"ひばりヶおか"をご覧いただけることになりました。

磯村建設ひばりヶおかの分譲開発地のひとつは、だいたいこの辺にあります。
前回の柏田ニュータウンとは全く違う方向に位置します。
小さな山の傾斜地、その緩やかな北斜面に作られた住宅地です。



周囲はご覧の通り、農村のような眺め。
これが池袋から15分の「ひばりヶ丘」にあれば超絶良環境なんですが、
ここからは2時間近くかけないと山手線までたどり着けません。



限定的ながらこの場所の情報はぽつりぽつり出ていて、この辺まで到達した人は
数人いるらしいです。ところがそれ以上の情報がないから、進まずに引き返してしまう模様。
この先を追及するのは、恐らくはうちが最初です。



これが磯村建設が宅地開発した「ひばりヶおか」。
北向き斜面ですが、緩斜面なので日当たりは悪くないです。
もっと寂しいかと思ったけど、結構多くの住宅が集まっています。
確かに空家や廃墟化した家もありますが、今なお住んでる人は多い。
建て替えて新築になったお宅もあります。
都内まで通勤するのは困難でも、例えば埼玉県内の熊谷に通勤するなら
車で30分程度だし、仕事をリタイアした人なら通勤そのものを考える必要もない。
ここに住める人生を選択できた人なら、十分暮らせるところなのかもしれません。
買い物は大変そうですが。



で、さっそく現れたこのお宅。



CMで散々見た、この家と同一ではないですか。ついにひばりヶおか、確認。



続いて、この建物も発見。



40年近くを経て、2016年の姿が、これ。



一気に発見なるも、残念ながらここで確認できた証拠はこの2軒だけ。
10年前の映像記録から辿るのなら、火災や災害に遭わない限りたどり着けると思うんですが、
磯村建設の分譲住宅はもう40年近くを経過していますから、 すでに建て替えられたり
取り壊されていても不思議ではありません。存在しないものはいくら探しても見つかりませんから、
どこかで諦めなくてはいけないタイミングがくるということです。
あのCMのお家の何割かは、既にこの世のどこにもないのかもしれません。


●ほかにも「ひばりヶおか」があるらしい●

さっき書きましたけど、磯村建設の代名詞でもある「ひばりヶおか」は、
一つの分譲地を示した名称ではなく、並行して一定期間販売されていた
複数の分譲地をまとめて呼称した「販売ブランド」的なもの。
調べてみたところ、時期をずらしながら4か所ほどの場所で開発されたらしいです。

このエリアにホンダの工場ができたんですが、この土地が磯村建設の
「ひばりヶおか」跡地という噂があります。しかしこれは誤りらしい。
そもそも該当の土地に宅地開発が入ったのはバブル前後、
磯村建設が倒産した後のことらしいので、時系列として成り立ちません。
「ひばり台」という交差点名が誤解の元になっているようですが、
これも偶然の一致ということのようで、「ひばりヶおか」との関係はないようです。

前回公開した柏田ニュータウンの近くに「ひばりヶ丘団地」というのがあるのですが、
これは現在のところグレーです。磯村建設が関わった形跡がないのですが、
それを否定するだけの理由もありません。造りとしては1980年代の住宅、
磯村末期の分譲地と考えればありうる話だと思うんですが…
現地を歩き回ってもそれを証明するのは難しいでしょう。




●じつは判明している、もう一つの「ひばりヶおか」●

散々探しても全然ヒントがなく諦めていたのですが…
偶然情報の断片に引っかかりまして、2か所目の「ひばりヶおか」が判明しました。
本当に偶然です。それがなければ見つけることはできなかったでしょう。
あまりにも違いすぎる場所にあります。何でここが同じ名前の場所なのかすら不思議な、
他の分譲地とは全く無関係の場所です。

磯村建設の分譲地は結果的に失敗と言えるセールスになってしまいましたが、
その後この地区に移り住んだ人は結構多く、立派な真新しい住宅が多数建っています。
道路整備と共にロードサイドの大型店や飲食施設などが増え、
その後に家を購入した方々は利便性のいい快適土地に住み、家も大きく豪華です。
車で移動するのであればここは決して僻地ではなく、案外住みやすいのでしょう。
地価が安く、無理なく豪邸が建てられるという事情も想像できます。
ただ磯村建設の分譲地の場合は、時期と場所があまりにも悪すぎました。
都心と比べれば割安とはいえ、それでも高額な支払いで、悪条件の狭い戸建てです。
周囲の開発が進んだ現代で、、近隣に職場がある世帯が住むのなら需要はあるのでは。
近年越してきた人は、ある意味勝ち組なんだと思います。
反対に、昭和50年代の磯村建設分譲地で夢のマイホームに手を出してしまった方々は、
高い住宅ローンと劣悪な都内までの通勤環境に悩まされた挙句、40年近く経過した今も
商業施設の開発とは無縁な畑の中に、狭く古びた家を持ち続ける結果になってます。



この「もうひとつのひばりヶおか」、とても予想できない場所にあります。
磯村建設の分譲地の多くがあるのは寄居町富田、東武東上線男衾駅と鉢形駅が最寄り。
ところがこの「ひばりヶおか」は、荒川を隔てて数キロ北、深谷市内に作られました。
なぜか秩父鉄道沿線、これは都内までつながってはいないローカル鉄道です。
どうしてこれが同一名称で販売された分譲地なのか、さっぱりわかりませんが、
当時の磯村建設はこういう巧みな手法で集客をしていたものと思われます。



では、深谷市にある磯村建設分譲地の証拠を。まずはCMの映像のこの2軒の家ですが。



間違いなく、これでしょう。ここも磯村建設分譲地であったことが立証されました。



残念ながらCMに映っているもので残っているのはこの2軒くらいなんですが、
裏側から見るともうちょっと別角度から楽しめます。



「ほら、このCM映像と一致するでしょう。40年近く経っても、バッチリです。



周囲の家まで入れた遠景で見れば、CMのまま。
間に新しい家もありますけど、ほかの家は当時と変わっていません。
CMにはまだ建設途中の家も映ってますが、それも健在。
完成後の姿を40年後に目にすることになるとは。





とにかく…
磯村建設「ひばりヶおか」の物証を押えることに成功しました。
昭和50年代半ばに流れていたあの懐かしいCMの中の風景、
40年近く経過した平成28年のこの世でも、かろうじてさかのぼることができます。
なんだかずっと忘れていた何かを、久しぶりに見つけ出した気持ちになります。
自分はもう10代に戻ることはできませんけどね、こういう心の時間旅行をすると、
なんとなくほんの一かけらだけでもあの頃を取り戻せるような気がしてしまうのです。


★お願い★
今回の磯村建設レポについては、当方の記録を参考にしていただくこと、
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当方の記録を参考にしたことを説明していただいたうえで、
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【関連記事公開しました】 磯村建設別荘地に行ってきた 
Posted at 2016/09/17 20:28:09 | コメント(2) | 昭和探訪 | 日記
2016年07月09日 イイね!

懐かしの「磯村建設」分譲地に行ってきた

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本来はこのブログの世界観に沿ったストーリー形態でレポにしていましたが、
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このブログの過去記事で磯村建設の分譲地が今なお残存しているらしい…
と書いたんですが、本当に調べに行ってきました。
40年近く前のCMに映っていた世界ということで、現代ではその詳細は不明だし、
すでにその気配すら残っているとは思えないのだが、
なにしろ昭和を代表する有名CMなので、中年世代以上には今でも記憶に強く残っている。
実際に現地を訪ねてみた人もいるようだ。しかし残念なことに映像に映っている場所を
特定した人は未だにいないらしい。さすがにもう残っていないということなんですかね。
何にしても、出向くことに意味があるかもしれない。
ということで、行くだけ行ってみることにしました。


●磯村建設を求めて埼玉県北部へ●

CMを見るとわかると思うんですが、磯村建設というのは昭和50年代前半から
埼玉県で住宅地を開発してきた会社。主に東武東上線沿線を中心に販売したが、
池袋から1時間半もかかる郊外の分譲地なので、正直なところ大変不便な環境。
当初の計画通りに行かず販売が伸び悩み、昭和60年に破産し会社解散しています。
今では当時のCMにその記録をとどめているだけです。



磯村建設の分譲地は、4つが知られています。
「柏田ニュータウン」「桜沢ニュータウン」「ひばりヶおか」「めじろ台」。
このうち「ひばりヶおか」と「めじろ台」はこの地区に地名として存在せず、
磯村建設が開発した時に適当な名称を付けて販売しただけのものらしいです。
よって磯村建設が倒産して30年以上経過した現在ではその名も消えて、追跡困難。
「桜沢」は付近の地名として残るのだが、磯村建設が販売していた男衾・鉢形地区でなく、
川向こうの離れた場所のことだから、これもどうやら微妙な名付で探すのは難しそう。



唯一絞り込めそうなのが「柏田ニュータウン」。これは該当地内に地区名として存在します。
今回はここに絞って捜索することとします。



東武東上線男衾駅。
磯村建設が積極的に開発していた住宅地はこの駅の周辺に存在したそうです。
ここから池袋まで、途中で電車を乗り継いで、約90分。都内までの通勤は厳しい。
川越辺りなら都内まで30分程度、今なら手ごろなマンションも多数売られているから、
どちらを選んだほうが正解かなど言うまでもないこと。長年暮らすほどその差は開くばかりです。
当時1000万円台前半のマイホームは魅力的だったのかもしれませんが、
現代なら1000万円台で買えるファミリータイプの新築マンションだって都心近郊にあります。



男衾駅は難読駅名として知られる駅です。
ただし駅名そのものの読み方の難易度が高いのではなくて、
衾の漢字の読みが「ふすま」であることを皆さん知らないから…というのが理由のようです。
漢和辞典には載っているし、文字入力でも一発変換されます。
イレギュラー的な読み方の、本来の「難読駅名」とはちょっと違う気がします。
最近まで古い駅舎でしたが、ちょうど新駅舎が建設中で、その後オープンしています。
駅は変わっても周辺が発展することはなさそうなんですが。




●駅前に残る決定的な「磯村建設」の残影●

磯村建設が倒産してから30年以上。すでに会社の痕跡などない…はずなんですが、
男衾駅近くに奇跡的に残っているものがあります。



かつて磯村建設の現地事務所として使われていたと思われる建物。
看板が取り払われて形跡は消えかかってますが、それでもうっすらと残っています。
今は別な会社が利用しているようですが、外装を手直ししたら消えてしまうはず。



30年以上も昔に消滅している社名がこうして残っていること自体、奇跡的です。




●いよいよ柏田ニュータウンを求めて移動●

磯村建設が開発した各分譲地の中で、比較的明確な名前を持つのが、
今回対象とした「柏田ニュータウン」。柏田という地名が今もはっきり残っているためです。
「ひばりヶおか」とか「めじろ台」は、響きのいい名前を適当につけただけで、
早い話地元の知名にはない無縁な名詞。現在辿れるのはここが唯一かと思われます。




有名なこの空撮ですが、どうやら柏田ニュータウンの現地ではない模様。
明らかに地形が違うし、そもそもほかの分譲地のCMにも使われていましたから。
現代なら偽装とか詐欺とか言われそうなんですが、良くも悪くも当時は大らかでした。



至近までやってきました。北柏田交差点、柏田ニュータウンはもうすぐです。




ここが柏田ニュータウン。
私鉄沿線に作られた大手開発のニュータウンと比較してはいけません。
「港北ニュータウン」などは数十万人の人口規模、複数の地下鉄路線と駅を作り、
駅前に大型商業施設や行政施設などを設けて人の流れを集約、
その駅前から数多くのバス路線を放射状に伸ばすことで開発地内の利便性を作る、
そういう非常に大規模で将来性を見越したプロジェクト。
デパートや大型ショッピングモール、都市中心までの鉄道を整備したから、
暮らしに便利な街として定着してマンションが林立、今では多くの人々が住まう。
ところが「柏田ニュータウン」は単なる分譲地の販売名。民家10数軒の開発規模。
従来からの農地区画を購入して、それを仕切っただけ。だから道も狭く土地もいびつ。
お店すら何もないに等しく、昔の集落を押し込めただけ…という宅地開発形態。
ニュータウンの定義はいろいろあると思うが、ここをニュータウン地区だと思って訪れると
その落差に驚愕することとなる。



CMの完成予想図の風景は、どこにもない。
整然と区切られた宅地、広く直線的で見通しの良い道路、
日照まで考慮された整った外観の建物、そのすべてが見当たらない。
農地の時代そのままと思われる曲がりくねった狭い道は、対向車が来たらすれ違い不可。
元の形がいびつなのだから、その土地を切り分けてもきれいな形にはならない。
だから雑然とした土地に、相応の不揃いな外観の家々が並ぶ、垢抜けない集落になる。
これが昭和50年代に夢のマイホームと謡われた、磯村建設分譲地の現実です。




●そして決定的な確証●

いよいよ磯村建設の残影に迫ります。まだネット上でもはっきり証明されていませんから、
うちでそれを一番に公開してやろうというのが、今回の企画意図です。

じつはこの分譲地、CM映像では「めじろ台」として使われました。
先に完成していた柏田の映像をあとで販売しためじろ台の映像に転用した、
そういう経緯かと思うんですが。
めじろ台は隣駅鉢形が最寄り、でも現実にこの家々は男衾の駅が最寄りの場所にある。
販売する土地と無関係な場所の映像を説明もなく堂々と流していた…ということになります。
もっとも当時の家はどれも個性的とはいえず、バレることもなかったんだと思いますが。



開発から40年近く経過、磯村建設の倒産から30数年…
すでに衰退しつつある住宅街、取り壊された家も多く、様子は変わったはずですが、
わずか数ヶ所だけですが当時の気配を残す場所が存在します。
では、CMに出ていたあの風景の、40年後です。
ネット上でまだ明らかにされたことのない、その様子を公開です。


まずは、めじろ台のCMで流れていたこの風景。角地にあるお宅です。



そして40年後の2016年、同じ家の姿がこれ。



長い時間を経過し、いろいろと変化しているところはありますが、間違いないようです。
門扉も変わり、ブロック塀も一部手を加えられているんですが、土地の形は同じ。
建屋も改修され、姿そのものが変化していますが、どうやら奥の一部は増築された模様。
屋根を見ると手前と奥で経年差があります。CMに映っているのは手前部分、これで一致。
隣のお宅は外装塗装だけでほぼそのまま、これが証拠となりました。


そして、決定打がこの地点。



家を出るご主人の車を奥さんと娘さんがお見送りしている、誰もが目にしたあの場面。



その40年後が、まさにこの場所です。



昔の映像と比べると塀も門もなくなり、家屋も老朽化したり増築とか改築を受けたりと
変わり果ててはいるんですが、それでも景色の骨格は変わらず気配は残っています。
変化したところを削除して観察すれば、だんだん当時の姿に復元されていく。
そういう工程を経て想像を膨らませていくと、最終的にCMのあの光景に戻っていきます。
磯村建設を辿ってこの町を巡った人は過去に結構いるらしいんですが、この原点を忘れて
眺めてしまうと気づかなかったりするのかもしれません。もう当時の光景は失われたと
諦めてしまったり、あるいは違う場所を示して"ここが母と娘が見送っていた場所"と言ったりと、
情報が作られたり錯綜したりして正確な情報が皆無だったのです。
これでやっと本物をご覧いただけました。2016年7月、磯村建設が開発した40年前の分譲地は、
今なおこうやってはっきりと、しかし人知れずにひっそりと、確かに残っているんです。
あと何年見られますかね。10年後にはこの中の何かがなくなっている気がします
本当に見たい方は、早めにどうぞ。
一番目の発見者ではなくて、二番目以降の訪問者でもよい…という方だったらですが。


とにかく、一つ大きな成果を公開しましたよ。
ネット初公開、磯村建設分譲地の今をここに発表できました。これで一つ肩の荷が下りました。


★お願い★
今回の磯村建設レポについては、当方の記録を参考にしていただくこと、
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当方の記録を参考にしたことを説明していただいたうえで、
独自に記事や文章をお書きいただくことには制限は設けません
(「とあるブログを参考に行ってきました」程度で可、
特にここの所在を明確に記載していただかなくても結構です)。
ご協力をお願いいたします。


【続編公開しました】 続・「磯村建設」分譲地に行ってきた

【関連記事公開しました】 磯村建設別荘地に行ってきた 
Posted at 2016/07/09 20:33:26 | コメント(3) | 昭和探訪 | 日記

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