• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

無粋者@tankのブログ一覧

2013年06月30日 イイね!

痺れたベテラン対決

痺れたベテラン対決
今日はDeNA対中日の試合は痺れた試合でした。
DeNAの先発は…

39歳6ヶ月の三浦大輔投手。

中日ドラゴンズは…

47歳10ヶ月の山本昌投手。

2人合わせて87歳4ヶ月の対決!!

試合はまず、DeNAが先制。

中村紀洋の400号本塁打で1点。

しかし、打線好調な中日は4回、5回に1点を奪い逆転します。

山本昌投手も130㎞台のストレートを軸に6回を1失点。

ちなみに、山本昌投手はストレートは130㎞台ですが、配球では約半分がストレートで技巧派ではなく速球派投手です(笑)。

でも、三浦投手も粘ります。

気迫のピッチングで、9回を2失点で130球!!140㎞をやっと超すストレートにスライダー、カットボール、シュート、カーブ、フォークとフル稼働。
デニー投手コーチ曰く、「今はおじいちゃん2人(三浦投手、藤井秀悟投手)に頼らないといけないんだよ」「今日の三浦には少しでも長いイニングを投げてもらいたい!!」と。それだけブルペン陣は酷いんですΣ(ノд<)。

その三浦投手の気迫に応えるように、8回に同点に追い付いたDeNAは…9回裏に2アウト1、3塁。

またまた中村紀洋がサヨナラヒットで、自らのメモリアルアーチに華を添えました。

何度も繰り返し言いますが、私はDeNAのファンではありません。しかし、三浦投手のピッチングを見ると、何としても勝たせたい!!と思わせるモノがテレビ画面からも伝わるんです。40歳になろうとしている投手が、若手顔負けのピッチングで9回完投ですからね。
「あれでは負けたら野手陣も、リーゼント(三浦投手の髪型に倣ったニックネーム)に顔が立たなかったね」と母は言ってました。

早く三浦投手の後釜が出て欲しいと思う今日この頃。

Posted at 2013/06/30 17:57:14 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日記
2013年06月29日 イイね!

プロフェッショナル

プロフェッショナル
最近、NHKがプロフェッショナルという番組を再開しましたけど、この方を紹介して欲しいです。ソースは日経新聞系の雑誌です。

〈「24時間仕事バカ!」の熱狂人生 黒田博樹プ ロ野球選手高校で補欠だった男が、今やヤンキ ースの大エース!仕事は全然楽しくない!〉

「広島カープ黒田博樹、ファンから暴行を受け る」 スポーツ紙1面に、そんな見出しが躍るかも しれなかった。いや、むしろ彼はそれを望んで いたのかもしれない。 1999年の暑い夏の日である。読売ジャイアン ツ戦に先発した黒田博樹は、相手打線につかま り2回途中6失点でノックアウト。絶望的な気 持ちのまま、試合終了を迎えると、球場に乗り つけた車には乗らず、徒歩で家へと向かった。 黒田は、自分の不甲斐なさを責めた。せっか く多くの子供たちが見に来てくれた夏休みだっ たのに。そんな日に、俺はなんて無様なピッチ ングをしてしまったんだ。誰か、俺を殴ってく れ──。 歩いて30分ほどして、自宅に着いても気持ち は収まらない。 そして、ついにはマンションの階下を覗きこ んだ。 「俺はもう、死んだほうがいい」

1975年生まれ。大阪府出身。NYヤンキースに 所属する投手。97年にドラフト1位で広島カー プに入団。2006年には最優秀防御率を獲得する などエースとして活躍。08年にMLBのLAドジャ ースへ移籍し4年で41勝。昨季よりヤンキース に。

時を経ること13年。彼は再び、同じような 思いにとらわれる。 メジャーに移籍してから4年を過ごした西海 岸の名門球団ロサンゼルス・ドジャースを飛び 出し、東海岸、いや世界を代表する名門球団ニ ューヨーク・ヤンキースに入団した1年目の開 幕直後のことだ。 世界一といわれるだけあって、メディア、フ ァンの目は厳しかった。オープン戦から「HIR OKIはア・リーグでは通用しない」(DH制があ るア・リーグは、ナ・リーグより投手不利とい われている)とたたかれ、記者の質問も容赦が ない。 「自分は、ア・リーグで通用すると思うのか? 」 「ヤンキースタジアムは右翼側が狭い。ホーム ランを打たれやすくなるが、どう思うか(実際 、ヤンキースタジアムは左打者天国と揶揄され ている)」 シーズンが始まると、なかなか思い通りのピ ッチングができず、バッシングの声は日増しに 大きくなっていく。 そんな日が続いたある時、黒田は、ニューヨ ークの自宅のベランダを見やった。広島時代の 、あの日のように──。

日本時代の決め球であり、現在も武器のひとつ となっているフォークを操る黒田だが、その手 は、意外にも大きいほうではない。

「あの時は、本当にベランダに近づかないよう にしていましたね」 シーズンが終わった黒田は笑いながらもそう 語った。 「ヤンキースというチームに来て、あれだけの 契約をしてもらいましたから(1年1000万ドル )、どうしても全部勝たなきゃいけない、とい う感覚になっていました。マラソンでいえばス タートしたてのまだまだ先が長いなか、ピッチ が上がっていかないというのは相当しんどかっ たです」 そんな黒田に、救いの手をさ差し伸べてくれ たのが、ヤンキースの指揮官ジョー・ジラルデ ィだった。ジラルディは、黒田を監督室に呼び 、こう声をかけた。 「先発投手なら、年間に約32、33試合の登板が ある。だけど、俺たちはヒロキに32、33勝0敗 を望んでいるわけじゃない。いくらいいピッチ ャーでも、負ける時はある。だから、1年間コ ンスタントに投げてくれればいい。それに、ヤ ンキースは今までのヒロキを見て獲得したんだ 。ヤンキースに来たからといって、証明しなけ ればいけないことなんて何もない。(ドジャー スで)やってきたことをそのまま続けてくれれ ばいいんだ」 自身「肩の荷が下りた」と言うように、以降
、黒田のピッチングはすごみを増していく。6 月に4勝1敗、防御率1.98の快投を見せると、 以降12勝5敗。 結局、シーズンが終わるまでヤンキース投手 陣で唯一ローテーションを守り続け、登板数33 、16勝、投球回数219回2/3といずれもメジャ ーキャリアハイを更新。メディアが言及したヤ ンキースタジアムでは、11勝、防御率2.72と圧 倒的な結果を残す。チームも2年連続の地区優 勝を果たし、ジラルディに「ヒロキがいなけれ ば、優勝はなかった」とまで言わしめた。

シーズン序盤、あれだけ辛辣に当たったニュ ーヨークメディアも黒田を絶賛する。 「2012年のヤンキースのエースはHIROKI KUR ODAだ」 「SUPER HIRO」(HIROKIとHEROをかけて) 黒田は昨シーズンをこう振り返る。 「自己ベストの成績が出せたので、そういう意 味での達成感は大きかったです。ただ、やっぱ り今まで以上にプレッシャーは感じていました けどね」 他人から見れば充実のシーズンだったはずだ 。しかし、口から出た言葉は「プレッシャー」 。 なぜ黒田はここまで大きなものを背負いなが ら投げようとするのだろうか。彼はその答えを 「仕事ですからね、野球は」と言い切る。少な くない給料をもらっている以上、それに対して の結果は求められて当然であり、それに応えな いといけないというプレッシャーは常に持って いる、と。 「はっきり言って、野球が好きなのか、自分自 身でもわからないんですよね」 それはつまり、野球という仕事が楽しくない ? 「それ、僕にとって究極の命題なんですよね( 笑)。もしかしたらいつまでも野球を好きにな れないのかもしれない。いや、好きだから続け ているのかもしれない。子供のころからやって
いるので、宿命のように感じている部分もあり ますし、でも一方で何度か野球を辞めるタイミ ングがあったのに辞めなかったということは、 好きなのかもしれない……。楽しい時期はあっ たんですよ。小学校から中学校までは親父が監 督をするチームでプレーしていたんですけど、 とにかくグラウンドに行くのが楽しみで仕方な かった。ただ、それ以降は地獄でしたけどね。 だからこそ、今もあまり楽しんだらいけないと 思っているのかもしれないですね。苦しまない といい仕事ができない、というか……」 そう、この高校以降の地獄こそ、黒田博樹と いう投手の原点であり、彼が常に大きな責任を 背負いながらマウンドに立つ理由なのである。

カープ入団後、黒田は球界を代表するエース にまで成長。広島ではそのピッチングスタイル から、多くのファンを魅了した。2007年オフに は活躍の場をメジャーへと移す。そして2011年 、ヤンキースに移籍。日本人選手でメジャーで の実績が評価されてヤンキースに入団したのは 黒田が初めてだった。 ただ、この間においても黒田は常に苦しんで いた。「マウンドは戦場」「この試合で野球人 生が終わってもいい」という覚悟で試合に臨み 、勝利を自分の右腕に託してきた。不安で眠れ ない夜は幾度となくあった。不安だから練習を した。そして、振り返ってみるといつしか自分 の後ろには結果がついてきていた。結果が出て いるのだから、必然それは彼のスタイルとなる 。いつのまにか自身の座右の銘を「苦しまずし て栄光なし」と言うようになった。 苦しんだ先に得たものは、黒田にとって計り 知れないほど大きかった。日本時代、初めてFA 権を獲得した際、なんとかチームに残ってくれ と、広島市民球場に集まってくれたカープファ ンや、ドジャース時代に出会った一昨年のサイ ・ヤング賞投手であるクレイトン・カーショー
投手は、黒田にとって大切な存在だ。カーショ ーは、黒田とドジャースの契約が切れた2010年 オフに、ミーティングで「ヒロキ、ドジャース に来年も残ってくれ」と言い、黒田の涙を誘っ た。実は、カーショーは2012年オフにも黒田に メールをしている。 「ドジャースに戻ってきてくれ」 ヤンキースでは、数々の名選手とプレーし、 勝利を求めた。そして、黒田が嬉しかったと振 り返る出来事がある。 「(チームの中心選手である)ジーターが、ポ サダ(ヤンキースのOB)とかに、うちの投手 陣で一番好きなピッチャーのヒロキだよ、って いつも紹介してくれたんです。お世辞かもしれ ないですけど、すごく嬉しかったし、また一緒 にプレーしたいと思いましたね」 2013年、黒田は新たにヤンキースと1年契約 を結んだ。2カ月後にはまた新たな苦しみが始 まる。 インタビュー終了後、黒田は「仕事が楽しければ人生も愉しい」と表紙に書いてある本誌を手に取って言った。 「僕の時だけ、ここちょっと変えておいてくだ さい。仕事、楽しくないんです(笑)」


サッカーなんかもW杯とかを控えるけど、黒田ぐらいの覚悟で臨まないと世界の強豪と対等に渡り合えないと思います。

ちなみにカーショウとは黒田がドジャースに移籍してから4年間、キャッチボールの相手をしていました。当時、19歳のカーショウは黒田の野球に対するストイックな姿勢に共感し、投球練習を観察したり、黒田からアドバイスをもらって成長し、1年目は5勝5敗、2年目は8勝7敗、3年目は13勝10敗、4年目は21勝5敗で防御率、奪三振、最多勝の三冠で投手の最高栄誉のサイヤング賞をゲットするなどリーグを代表するエースとなっていました。
黒田は著書でカーショウの野球に対する姿勢を賞賛していますが、カーショウは「ヒロ(黒田のニックネーム)のアドバイスは素晴らしかった」といっているようですね。

日本の野球選手も見習って欲しいな。
Posted at 2013/06/29 09:58:57 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日記
2013年06月26日 イイね!

日本人投手対決だったが…

日本人投手対決だったが…
今日はメジャーリーグはヤンキースvsレンジャースの試合で、ヤンキースの黒田博樹投手とレンジャースのダルビッシュ投手が対戦しましたが、イチロー選手のホームランで決まりました。

【MLB】ダルビッシュと黒田、ともに3失 点で勝敗つかず −日本人投手情報− ISM 6月26日 13時58分配信 ■ダルビッシュ有投手(テキサス・レンジャー ズ)

25日、敵地でのニューヨーク・ヤンキース戦 に先発登板。キャリア最多の1試合3本塁打を浴 びるなど、5回1/3を投げて7安打、2四球、6三振、3失点、110球の成績で、勝敗はつかなかった。これで7試合勝ち星なしとなっている。

■黒田博樹投手(ニューヨーク・ヤンキース)

テキサス・レンジャーズ戦に先発登板。6回 2/3を2本塁打含む5安打、1四球、6三振、3失点(自責点2)、99球で、こちらも勝敗はつかなかった。試合は、イチロー外野手のサヨナラ本塁打 により、ヤンキースが4対3で勝利を収めた。

個人的に注目したのは、投球内容です。共に3失点という内容でしたが、かなりの差を感じた試合でした。

まずのヤンキースの黒田投手は、調子が悪かったです。ストレート系の球も悪く、縦の変化球であるスプリットが今一つで苦しいピッチングでした。
その中でカーブをカウント球にし、スライダーを決め球に変化球をうまく織り交ぜて7回途中で99球と最低限の試合を作りました。


一方のダルビッシュ投手はストレート系の球にバラツキがあり、スライダー一辺倒の苦しいピッチングでした。捕手のピアジンスキーがカーブを混ぜて緩急をつけようとしたら、ハーフナーにカーブを狙い打たれて配球の幅を狭める形となりました。結局、6回途中まで110球を要しました。

今日は運良くテレビで観れたのですが、やはりキャリアの差が出たかな?と思います。苦しい時に如何にゲームを作れるかというのが私自身の先発投手の指標ですが、黒田投手はこの点は優れていると私は見ています。
それにダルビッシュ投手もストレート系の球が良くないから、変化球のレパートリーが多くても球数が増えて苦しいピッチングになっています。春先はストレート系が良かったですけど、スライダー系に頼らざるを得ない配球は苦しいですね。

元々、黒田投手は7回100球辺りを1年間コンスタントに投げきる事を第一目標として、状況が許せば8回9回を投げるという感じです。内容的にはエースに準ずるものですが、メジャーの評価では最高級の2番手投手という位置付けです。
しかし、ダルビッシュ投手は完投、完封を視野に入れています。黒田投手とは違った意味での高いレベルの投球内容を求めています(奪三振はリーグNo.1)。それだけの球の力もありますし、メジャーを代表するエースはダルビッシュ投手みたいな部分を持っています。
ただ、中4日から中5日のメジャーでは100球という投球制限がありますから、ダルビッシュ投手が如何にアジャストできるか。もっともっと経験を積んでいって、成長して欲しいです。
Posted at 2013/06/26 22:30:35 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2013年06月15日 イイね!

プロ野球を冒涜している!!

プロ野球を冒涜している!!この記事は、統一球、飛ぶようになってたよ!について書いています。

〈加藤コミッショナー 知ってて放置 飛 ばない統一球は基準未満 スポニチアネックス 6月15日 7時2分配信 〉
12球団による代表 者会議が14日、都内 で臨時に行われ、統一 球を飛びやすく変更し ながら公表しなかった 問題で、日本野球機構 (NPB)は導入され た11年から2年間の 検査結果を報告。検査した全ての平均値がアグ リーメント(申し合わせ事項)に定められる反 発力係数の基準値の下限を下回っていた衝撃の 事実が判明した。

加藤良三コミッショナー(71)は会見で辞 任の意思がないことをあらためて明言。また、 統一球問題で第三者機関を設置し、調査するこ とが決まった。

12球団代表者会議では衝撃的な数値も明ら かにされた。NPBは09年以降に実施してき たボールの平均反発力係数検査結果を報告。統 一球が導入された11年からの2年間の数値に は、代表者たちもその目を疑った。

ある球団幹部は「検査で反発力係数の平均値 が下限を全て下回っていて驚いた。過去2年 やっていた選手たちはたまったものではない」 と語れば、別の球団幹部も「このボールで打て なくなって戦力外になった選手もいるでしょ う。ちょっとかわいそう」と話した。

NPBが11、12年に実施した計8回(う ち再検査1回)の検査では、平均値がアグリー メントに定められる基準値の下限0・4134 を全て下回っていた。「言い換えれば過去2 年、少なくとも半分以上のボールがアグリーメ ント違反」と指摘する声もあった。統一球は反 発力係数の目標を基準値の下限に設置。製造に 当たって生じる誤差(公差)を0・4034〜 0・4234の間で認めていた。厳密には、公 差の下限内に検査結果は収まっているから規則 違反とはならないが、あまりに低い数値だっ た。

NPB・井原敦事務局次長は「0・413を ポイントで狙うと下ブレする厳しいデータは出 ていた」と説明。下限に近づけようとすると、 どうしても基準値の下限を下回るという。製造 するミズノ社にNPBとして目標値に近づける 努力を求めていたが、加藤コミッショナーは反 発力係数の変更などの改善には「朝令暮改はし ない」と徹底的に拒否。検査結果については 「(基準値を)下回ったのは反省したい。た だ、ボールは生き物でピタリと(数値が)一致 しなかった」と、ひたすら弁明を繰り返した。

しかし、加藤コミッショナーは検査結果につ いて五十嵐義夫規則委員からその都度報告を受 けていた。にもかかわらず「基準値内で合格」 との報告をうのみにし、現場から飛ばないボー ルへ不満の声が上がる中、低すぎる数値を知り ながら放置してきた。会見で鈴木清明セ・リー グ理事長(広島球団本部長)は「データは知ら なかったが、確認しなかったのはわれわれとし ても大失態」と責任の一端を担った。だが、統 一球導入の最高責任者は加藤コミッショナー だ。ボールの管理責任も負っている。その球界 のトップが「飛ばな過ぎるボール」を見て見ぬ ふりをしてきたことが問題の根源となったのは 確か。数値が全てを物語っている。

▽反発力係数 2つの物体が衝突するときに 衝突前後で速さが変化する比率。例えば球が秒 速5メートルで壁に垂直に衝突し、同2メート ルで跳ね返った時の反発係数は0.4。時速1 50キロの球が垂直に壁に衝突した場合、統一 球の下限値0.4134では衝突後に同62. 01キロになり、上限値0.4374では同6 5.61キロになる。球速144キロ、スイン グスピード126キロ、最も飛距離が出るとさ れる飛び出し角度27度で計算した場合、上限 と下限では約6.4メートルの飛距離差が生じる。 【完】

この問題、プロ野球全体を揺るがす問題だし、このコミッショナーは事態の重さを知らないのか?プロ野球そのものを冒涜しているとしか思えない。
この統一球で打てなくなかった選手もいる中で、シーズン途中でこんな事を発表するNPBもどうかしている。
昨日のラジオでも、ヤクルトでリリーフとして活躍した高津臣吾氏が、「台湾では前期後期と別れていて、2010年に飛ばない球を変えたらホームランが出なくなり、台湾の野球連盟が後期に飛ぶ球にすると発表して後期はホームランが前期の1.5倍も出るようになった。その時の台湾の野球連盟は素早く、選手としてもやりやすかった。今回のNPBの対応は残念」 と。
確かに今年は投手の防御率も良くないし、ホームラン数も多い中で…。



三浦投手、よく頑張っていますが…加藤コミッショナーはクビでしょ?




Posted at 2013/06/15 13:09:00 | コメント(4) | トラックバック(0) | 日記
2013年06月14日 イイね!

DeNAのファンではないですが…④

DeNAのファンではないですが…④
先日は三浦投手の素晴らしいピッチングを絶賛した私ですが、今日のロッテ対DeNA戦は辛口な内容になります。

私個人としては今日の試合は、DeNAの今後を左右するといっても過言ではない試合だと想っていました。結果はロッテが3対1で勝って連敗を何とか止めましたが、DeNAサイドから見るとモヤモヤとした感じがしました。



今日のDeNAの先発は高崎健太郎投手。一昨年、昨年と先発ローテーションを任されて、個人的には三浦投手の後継者最右翼とみなしていました。今年は5月のゴールデンウィーク明けまでは先発ローテーションでしたが、交流戦に入ってからは中継ぎ降格で投球内容もピリっとしなかった感じです。
その高崎投手、私もラジオで5回から試合内容を聴きましたが、5回を投げて3失点ーDeNAのファンの方々には申し訳ないですがはっきりいって厳しい投球内容だったかなと思います。
5回の失点したシーンはサードの中村選手がファインプレーして1アウトを獲った後、ロッテの井口選手に四球を与えたのをきっかけにヒットと四球で満塁とされて犠牲フライで追加点を奪われていました。2回の失点も先頭打者に四球を与えたのをきっかけにやられていたようです。
野手にとっては四球でランナーを溜められるのはいい気分ではないです。打線のリズムも悪くしてしまいます。
高崎投手は今季、53回1/3を投げて22四死球を与えていますが、エースの三浦投手は72回2/3を投げて11四死球です。やはり制球力を磨くか、荒れ球を生かして打者に的を絞らせない投球をするか…でも、先行きは厳しいかなと思います。

もう1つ気がかりなのは、投手起用。6回から鄭(ぜん)投手が投げて3イニングを無失点に抑えましたが、今まで先発だった鄭投手を今後、どう使っていくのかが見えないです。
申し訳ないですが、この辺の投手起用が理解できないです。ブルペン陣が良くないとは言え、投手を如何に配置するのかが見えないです。


個人的に高崎投手には期待していただけに、ちょっぴり残念な感じはしました。

Posted at 2013/06/14 21:52:33 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記

プロフィール

「今日は強風で霰(あられ)が降ったり、かと思ったら晴れ間が出たり、忙しい天気だなあ(-_-;)。」
何シテル?   03/20 09:57
岡山の片田舎から美観地区で有名な町、そして再び元いた片田舎に引っ越した無粋者ですが、よろしくお願いします。 基本的にノーマル思考で資金もないのでカスタマイズと...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2013/6 >>

      1
234 567 8
9 10 11 1213 14 15
16171819202122
232425 262728 29
30      

リンク・クリップ

【だから書いてませんけど】第7波についての本音と建て前 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2022/08/22 19:50:16
落ち着かないので「陰陽」について書く 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2018/02/21 22:18:07
憲法はモンゴル人力士には適用外とマスコミは暗喩してるね(笑) 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2017/12/04 19:29:00

愛車一覧

トヨタ タンク 「ノッポくん」 (トヨタ タンク)
先代の「白狼」号も頑張っていましたが、先々の事を考えると一筋縄ではいかないと思い、コスパ ...
トヨタ ウィッシュ トヨタ ウィッシュ
2008年6月28日に人生初の新車であるウィッシュを購入。如何なる場面でもフィットする器 ...
日産 デイズルークス 日産 デイズルークス
嫁さんのクルマです。私と結婚する前は勤め先の近くの寮暮らしで自転車通勤でしたが、結婚を期 ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation