梁川城址(やながわじょうあと)

福島市内国道115号から高子街道を伊達市方面へ向かい保原町町内へ、
1丁目セブンイレブン交差点を左折、そのまま道なりに少し進んで
国道349号にはいってそのまま梁川町へ進みます。
右手にミニストップがある交差点を左折、国道349号をしばらく進みます。
橋を渡って、交差点前の堤防沿いの道を右折し、
しばらく進んで坂を上ると梁川小学校の校庭があります。
この校庭内に梁川城址が有ります。
駐車場はありません。路上駐車で(^_^;)
ココは本丸に庭園があったとされる梁川城址です。
鎌倉時代に築城されたと伝えられる梁川城は、
伊達氏11代持宗から14代稙宗まで伊達氏の本拠として整備され、
大永2年(1522年)に稙宗が陸奥国守護に補任されるにおよび、
奥州の政治的中枢の位置を占めるようになりました。
稙宗が桑折西山城(伊達郡桑折町)に居城を移してからは、
8男宗清が城主となり、豊臣秀吉の奥州仕置まで伊達氏の有力な支城として使用されました。
梁川の地はその後、蒲生氏や上杉氏の支配を経て、
尾張藩主徳川光友の3男松平義昌が梁川33万石を立藩。
2代義方、3代義真と続き、4代通春(徳川宗春、尾張藩3代藩主徳川綱誠の19男)が
尾張本家を継いだため廃藩となりました。
天領(幕府の直轄地)などを経て、幕末には松前藩領となり明治維新を迎えました。
現在、梁川城跡は小学校、中学校、高等学校などの校地となっていますが、
本丸跡庭園「心字の池」やかつての土塁、堀などの一部が現存しており、
往時の姿を偲ぶことができます。
中世の城郭内庭園では、梁川城のように本丸に庭園が現存する例は少なく、
極めて貴重と言われており、県指定の史跡庭園として管理されています。
本丸跡から出土した陶磁器類、土器、銭貨は梁川城の年代、
政治的位置を物語る価値のあるものです。
枯れ滝や中島を配し池の形が心の字に似ているところから、「心字の池」と言われているそうです。
(昭和53年~昭和56年にかけて復元)
明治32年に梁川小が本丸跡に移転。
第二次大戦以降、二の丸の地に中学校・高等学校が建てられました。
桜も植えて有りますので、今の季節は見ごろですね~(^^♪
お勧め度 ☆☆☆☆★(個人的判断です)
桜 度 ☆☆☆★★(個人的判断です)
女性向度 ☆☆☆★★(個人的判断です)
家族向度 ☆☆★★★(個人的判断です) ☆が多いほど良い感じの判断です。
※ 営業時間 いつでも見れます(学校の授業の邪魔にならないように)
※ 定休日 無休
※ 売店 ×(近くの店舗利用)
※ 食堂 ×(近くの店舗利用)
※ 駐車場 ×
※ 2011・04 訪問
※ 2016・04 訪問
※ 2023・05 訪問
住所: 福島県伊達市梁川町字鶴ヶ岡 伊達市教育委員会(問合先)
電話 : 024-577-3245
関連コンテンツ
地図
関連情報