田元の墓(子育て地蔵)

福島市内国道115号から高子街道(県道4号)を伊達市方面へ向かい保原町町内へ、
阿武隈急行保原駅を過ぎて交差点を右折し国道349号をしばらく進みます。
JA-SSがある信号を過ぎ、金山バス停を右折し下ります。
少し進むと左側に看板が有りますので左折し砂利道を進みます。
次の道路にぶつかったら斜め左前に小屋がありますのでここになります。
(写真右上の真ん中の小屋)
駐車場はありませんので、道路沿い(砂利道路曲がる前)に駐車しました。
ココは飴買い幽霊の発祥の地の田元の墓です。
その昔、毎晩、掛田(かけだ)【現在の伊達市霊山町】に飴(あめ)を買いに来る女の人がいました。
店の主人が不思議(ふしぎ)に思ってあとをつけてみると、
その女性はとなり村の柱田(はしらだ)にある墓地(ぼち)で姿を消しました。
女性が消えたところは、最近、おなかに赤ちゃんがいるままで亡くなった、
地元の城主・遠藤氏(えんどうし)の妻(つま)の墓(はか)でした。
主人が墓の前に立つと、お墓から赤ちゃんのなき声が聞こえました。
主人はおどろいて墓をほりおこしてみると、墓の中で飴をなめている赤ちゃんがいたそうです。
その日は、女性が亡くなって四十九日(しじゅうくにち)にあたる日でした。
母親の強い愛情(あいじょう)が、ゆうれいとなって、
となり町まで飴を買いに行って子どもを助けたと噂(うわさ)されました。
この子どもは、のちにりっぱな武士(ぶし)になり、伊達家(だてけ)の家臣(かしん)として活やくしました。
伊達家の当主(とうしゅ)はこの話を知って、
この武士の名字(みょうじ)を遠藤から四十九院(つるしいん)に変えさせました。
伊達政宗(だてまさむね)の代に四十九院は柱田から丸森町の金山(かねやま)にうつり、
現在もその子孫(しそん)の方が暮らしています。
柱田の遠藤家の墓地は「田元(たもと)の地蔵(じぞう)」とよばれ、
お地蔵さまがまつられています。
子育て地蔵として信仰(しんこう)があつく、
毎年4月13日に祭礼(さいれい)が行われています。
子供の頃によく聞かされましたね~、口裂け女の話と一緒に(爆)
ここのお話が根源で、全国に知れ渡ってるらしいです。
お勧め度 ☆☆☆★★(個人的判断です)
学習 度 ☆☆☆☆★(個人的判断です)
女性向度 ☆★★★★(個人的判断です)
家族向度 ☆★★★★(個人的判断です) ☆が多いほど良い感じの判断です。
※ 営業時間 何時でもみれます
※ 定休日 無休
※ 売店 無 (途中にAコープ有り)
※ 駐車場 無
※ 2011・04 訪問
住所: 福島県伊達市保原町字大沼下 保原町商工会(問合先)
電話 : 024-575-2284
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