不遠山 称名寺(しょうみょうじ)

福島市内国道115号から高子街道を伊達市方面へ向かい保原町町内へ、
1丁目セブンイレブン交差点を左折、そのまま道なりに少し進んで
国道349号にはいってそのまま梁川町へ進みます。
右手にミニストップがある交差点を左折、国道349号をしばらく進みます。
橋を渡って、交差点前の堤防沿いの道を右折し直ぐの場所にお寺が有ります。
駐車場は敷地内なのでここに駐車します。
ココは、大銀杏がある称名寺です。
天正10年(1582年)に称名寺が建立された時からあったとされ、
根周り6.2m、高さ29m巨木です。
天正10年(1582)浄土宗祖圓光大師16代法孫・法蓮社良拾上人が
楢葉郡折木村の名越派本山成徳寺より梁川に来りて現在地に本堂庫裡を建立し、
念佛道場とし浄土宗称名寺を開山したそうです。
しかしながら文化年中の大火により本堂を焼失するも、
本尊阿弥陀如来、観音勢至等の尊像は難を免れた。
その後、天保11年(1840)、21世養蓮社良孝の代に檀信徒の熱意と尽力により本堂を再建す。
しかし文久元年(1861)8月4日再度の大火に遭い(現梁川町全焼)本堂、庫裡、
毘沙門堂を又もや焼失する。
その後御仮屋を建築し、御忌会や檀中の法要儀式等を執行し昭和中期まで及ぶ。
その間、明治22年、23世響蓮社良方代に篤信者により毘沙門堂を再興する。
昭和34年、39年には25世仁蓮社俊道代に念願の本堂庫裡の再建を成就し現在に至る。
本堂に隣接する毘沙門堂は、天保3年(1683)名古屋尾張藩主光友公の3男、
松平出雲守義昌が梁川藩三万石を拝領し伊達郡中30ヶ村を治めた。
その時菩提寺を称名寺と定め、自分の守り本尊である毘沙門天像を安置し、以後、
松平梁川藩歴代藩主の厚い信仰が寄せられた堂宇である。
義昌以後、2代義方、3代義真、4代通春と続くが、
享保15年(1730)通春は本家尾張藩を継ぎ、7代藩主徳川宗春となった。
宗春は8代将軍吉宗の享保改革とは反する政策を行い、
今日の名古屋繁栄の基礎を作ったと評価されている。
現在の御堂の屋根瓦や天井幕などに葵紋や丸八紋(尾張家の家紋)が刻まれ、
由緒深さを今も偲ぶことができる。
チョコットしたお寺ですが、由来が結構奥深い・・・
初夏に飛散する大量の花粉は、周辺の雌イチョウの結実に役立っていますが、
花粉症の方々にはありがた迷惑な事でしょうね(^_^;)
お勧め度 ☆☆☆★★(個人的判断です)
銀杏 度 ☆☆☆☆★(個人的判断です)
女性向度 ☆☆★★★(個人的判断です)
家族向度 ☆★★★★(個人的判断です) ☆が多いほど良い感じの判断です。
※ 営業時間 いつでも見れます
※ 定休日 無休
※ 売店 ×(近くの店舗利用)
※ 食堂 ×(近くの店舗利用)
※ トイレ ○
※ 駐車場 ○(普通車約10台 大型 不可)
※ 2011・04 訪問
住所: 福島県伊達市梁川町字右城町81
電話 : 024-577-1684
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