2013年08月03日
戦闘機とスポーツカー
今年は宮崎駿や百田尚樹の作品も影響もあって零戦が注目を浴びている。
零戦 零式艦上戦闘機 または「ゼロ戦」 私にとってはゼロ戦は戦闘機を魅力的に感じさせた飛行機でもある。

「戦闘機って人殺しのための機械ですよね。」 「空飛ぶ広報室」第1話にそんなセリフがあった。
しかし、乗り物はその求めるものを特化させることが高性能化することである。
輸送機・トラックは物資輸送の手段として 旅客機・バスは交通手段として共通するところがある。
戦闘機とスポーツカーは共通するというのは言いすぎであろうか?
スポーツカーは最高速度はもちろんのこと、どんな速度域でも安定したハンドリングと強力なブレーキングが求められる。
戦闘機は、敵機を追うあるいは逃れるための速度と空中戦における優位性を保つための高機動性を求められる。この機動性においては着陸時のエアブレーキを利用して急激に速度を落とし敵機を前方におびき出すような戦法もあることからこれもブレーキングととらえると共通することが多い…
と思う。
さて堀越二郎の言葉に「性能の良いものは美しい」という言葉がある。この言葉からもそれは共通すると思う。
零戦がデビューした当時、単葉機でかつ引き込み式の主脚を持ち、キャノピー(風防 操縦席の風よけの覆い)も涙滴型キャノピーを採用した戦闘機は非常に少なかった。これゆえ最高速度上がり、後方からの敵機を見つけやすいという利点があった。これは現在の戦闘機にも見られる装備である。
後に零戦を研究しつくして零戦キラーとなったF6Fは涙滴型キャノピーを採用してはいない(多分乗員保護の理由だと思うが)。

そしてこの零戦は艦上戦闘機という特殊性を持っている。つまり航空母艦という限られた滑走距離で舞上がり、できるだけの長い時間、その空域を飛べなければならないという厳しい条件をクリアしなければならない。さらに航空母艦の性質上、狭いハンガーにおかれる以上主翼の長さも制限されたとあっては他の戦闘機とすればやはり素晴らしい性能といえると思う。
性能は良いものは美しい…。
となるとそれは米軍や航空自衛隊のF‐15、ロシアのSu‐35フランカーもそのように思う方も多いと思う。確かにスマートで美しい、そして高性能である。

しかし、私にはどうしてもF‐14を超えるものがない。イーグルやフランカーに比べればそれは不格好であるし、最高速度もイーグルに劣る。
しかし、しかしなのである。F‐14は艦上戦闘機。そして当時としてはハイテクであった、可変後退翼は見る角度によってこの飛行機は様々な表情を見せてくれる。

私にはイーグルはフォーミュラーカーのように思え、トムキャットはラリーカーのように感じるのだ。
イーグルなどは最高速度をもってをサーキットで競う研ぎ澄まされたのは共通すると思うのだ。
トムキャットはというと航空母艦で運用する関係上主脚は着艦時のために強度あるものにされ、さらにフック(アレスティングフック)で機体でひっかけて着陸するためにその引っ張られる力に耐えるだけの機体の強度も上げてある。そのため重量も増加しているだろう。
それは厳しい条件下の元あらゆる雪上、悪路、舗装路の上でかつ直線があまりにも少ない公道を高い機動性を持って走るラリーカーに共通するような気がするのだ。
さてこれら第4世代戦闘機・第5世代戦闘機もだんだんと時代遅れになるのかもしれない。既に無人機が開発されたように時代はパイロットの養成よりも無人戦闘機の開発に移行すると言われている。

となってくると今から約200年後の2199年にはコスモゼロとかコスモファルコンというものも開発されないということになってくる。

自動車もやはりカーシェアリングや公共性の考えが主流になるのであれば、スポーツカーというのも絶滅して行くのかもしれない。そういうのも何となく複雑な気がする。
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Posted at
2013/08/03 01:29:04
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