
8年前の5月のGW。
長女が合宿だったので合宿場まで娘を送った後、
時間がたっぷりあったのでペットショプに立ち寄りました。
その時の仔犬があまりにも可愛かったので思わず買ったことが・・・
つい最近のことのように思えます。
シーズー犬。
名前は長女が「てぃあら」と名付けました。
当初、長女中学2年~末っ子4歳と慌ただしい毎日でしたが、「ていあら」と子供たちはいつも一緒で、同じようにじゃれあってスクスク大きくなって行きました。
私も子供たちも皆、「てぃあら」が大好きでかけがえのない存在でした。
大きな病気もせずについこの前まで元気にはしゃいでいました。
先々週の金曜日の夜(5/23)、少しご飯を残していたのですがおやつを見せると尻尾を振って「ちょうだいちょうだい~」と言っていたのでそう気にもせずいました(季節の変わりめはいつも食が落ちるので、今回もそうだと思っていました)
土曜日の朝はいつも通り元気だったのでそのまま出勤し、
夜の9時に帰宅すると、全くご飯を食べていない様子だった。
こんな時間に動物病院は開いていない。
しかも、日曜日は長女の試合で和歌山に応援に行く予定だった。
『月曜日に病院行かなければ・・・・』
水分は取れていたし、動くこともできていたので・・・・
心配だが大丈夫だろうと・・・・思っていた。
でも心配で日曜日診察しているところを探すと
ちょうど、かかりつけの動物病院が日曜日の午前診察をしていた。
(状態が悪かったら日曜日に診てもらえばいいかなと思っていた。)
日曜日の朝、「てぃあら」はぐったりしていた。
皮膚の色が白く、顔色が悪い。
真っ白だ。
血の気が無い状態。
「死」の臭いが強くなった・・・・(人も死期が近づくとこのような臭いがします)
このような状態でおいては行けない・・・。
長女に「てぃあら病院に行くから試合には行けない。ごめんね。試合頑張って!」とメールで送ると、『てぃあら早く病院に連れて行ってあげて!試合頑張ってくるから!!」と返事があった。
診察時間前から並び、診察時間開始と同時に診て頂いた。
採血、レントゲン、エコー・・・色々な検査をして頂いた。
(診察前から出血が始まっていた・・・・)
肝機能が非常に悪くて、悪性の貧血だと言われた。
輸血が必要だが、シーズー犬は自分で自分の免疫を攻撃すると言う厄介な病気が多い、あらゆる症状から判断して「てぃあら」もそうだと言われた。
なす術がないと・・・
24時間点滴管理をしてくれる救急病院がありますが行きますか?
今の状況から見て今日もつかどうか・・・・・と。
救急病院の面会時間はほんの数分。
たいがいは家族に逢えないまま亡くなってしまうそうだ。
今日中に死んじゃうの・・・・?
頭の中は真っ白になった。
「先生、色々とありがとうございます・・・・てぃあらは連れて帰ります・・・・」
獣医さんも「何も出来なくてすみません・・・連れて帰って皆で抱っこしてあげて下さいね。温かい腕の中で最後を看取って下さいね・・・・」と仰って下さり、お忙しい中見送って下さいました。
先日まで走り回っていた「てぃあら」が死ぬ・・・・!?
しかも今日中に・・・・!?
地域の獣医さんはすごく腕が良くてたいがいの疾患は治して下さいます。たとえ他病院で匙を投げられた子たちでもあらゆる手段で治して下さいます。・・・・その獣医さんが、なす術がない・・・って。
死ぬ運命は、たとえ腕の良い獣医さんでも敵わないんだとそう思った。
呼吸が浅くて速くて意識もうろうとしている「てぃあら」
もう名前を呼んでも反応しなくなった。
涙が溢れてくる・・・・。
子供たちも泣いている。
長女!
長女に最期逢わせてあげなくては!
母は泣いている暇なんてない。
涙を拭い長女にメールした。
競技で大学に行っているので、最後まで競技をしなくては行けない。
終わり次第神戸に帰るとのこと。
競技が終わり和歌山から神戸まで帰宅するって・・・・間に合うのか?
バスか電車で間に合うのか・・・?
乗り継ぎしていたら晩遅くなってしまう。
「てぃあら」の最後に逢えない・・・・。
色々考えたが、
私が和歌山まで迎えに行くのが1番いい方法だ。
ただ、それまで「てぃあら」がもつかどうか・・・・。
意識のない「てぃあら」に
「Rちゃん(長女)、和歌山までお迎えに行ってくるね。少し遅くなるけど・・・それまでしんどいけど頑張ってね!
Rちゃん帰ってくるから待っててね」と言い、子供たちには「てぃあら頼んだよ、なるべく早く帰ってくる。何かあったら連絡して。連絡してもなんも出来んけど・・・」と言い残し和歌山に向かうことにした。
競技が終わるのが17時。
そこから神戸まで何時間かかるのだろう。
渋滞して何時間かかるのか・・・。
神様お願いします。
最後、Rちゃんと逢わせてあげて下さい・・・・。
運転しながらいろんな思い出がこみ上げてきた。
神様のお願いと、今までの思い出と・・・そのことが頭の中をグルグルと。
無事に和歌山につき、競技を終えた娘と合流できたのが17時30分。
「てぃあら」はだんだんと呼吸が浅くなってきたと連絡があった。
『神様、お願いします。てぃあらがまだ温かいうちに・・・生きている間に私達が神戸に帰れますように・・・・!間に合いますように・・・・!』
祈るしかなった。
長女は携帯でずっと「てぃあら」に話しかけていた。
私は事故なく、一刻も早く神戸に帰れるように運転に集中した。
和歌山から神戸までが凄く遠くに感じた。
渋滞もなく無事に自宅に帰ったのが19時10分。
長女が「てぃあら」にやっと逢えた。
間に合った・・・。
神様ありがとうございます・・・・。
「てぃあら」は黄疸がきて腹水も溜まっていた。
毛並みもつやつやしていたのに・・・・。
長女が名前を呼ぶと、ふらふらと立った。
頭を支えることが出来ずに頭は横に傾いていた。
意識もうろうとしている状態で長女の帰宅に答えようとする姿に涙が溢れた。
「てぃちゃん、てぃちゃん、しんどいのに長い時間待たせてごめんね。ありがとう・・・・」
息が不規則になってきた・・・・。
皆で「てぃあら」を囲んだ。
8年前に「てぃあら」を迎えて今までずっと「てぃあら」が中心だった。
今も真ん中にいる。
皆でさすってあげた。
「てぃあら、もう良いよ・・・ねんねしときね・・・・」
「てぃちゃん・・・てぃちゃん・・・ありがとう・・・・」
皆に見守られながら永遠の眠りにつきました。
その日の夜は、皆で「てぃあら」と寝ました。
安らかな顔の「てぃあら」は普通に眠っているみたいでした。
次の日、仕事を休み、子供たちも学校を休み
皆で「てぃあら」を見送りました。
たくさんの花に囲まれ・・・花にうずまり(長女が花ばっかりで、臭いわ!って怒っているかもね・・・と言ってましたが)火葬してもらいました。
お骨は一部もらってきました(子供たちが欲しいといったので)
長女は毎日「おはよう」「行ってきます」「ただいま」・・・・と話しかけているそうです。
家は「ていぁら」がいなくなり寂しくなりました。
無意識に名前を呼んだりします。
あ。そっか。いないんだ・・・・と途中で気付きます。
末っ子は、お骨のはいったペンダントを握りしめて寝てます。
子供たちは毎日お水を交換しています。
私は何もする気がしなくて、ただ目の前にあることをしているだけです。
「ていぁら」になにもしてあげれなくて後悔ばかり残っています。
もう少し早く病院に連れて行ってたら・・・・。
ごめんなさい。
今月の14日はMFCTがあります。
走るのか走らないのかまだ分かりませんが・・・
それを持って暫くは走るのを止めようと思います。
でも来春は走る車を買いますが。
長々と書きました。
最後まで読んで下さった方がいたらありがとうございます。
5月はいろいろあり、心がかなり挫けていました。
どうにか立ち直ろうと頑張りましたが、最後に愛犬の死を迎え更にずたずたになりました。
6月に入り、これでは行けないと思い・・・頑張っています。
デミりんも放ったらかしだったので、昨日きちんとメンテナンスして頂きました。
また元気になったらデミりんの事も書いていこうと思っています。
前回のブログで、コメントを頂いていたにもかかわらずお返事できなくてすみませんでした。
りらくりさん、奮闘気さんすみませんでした。

写真は元気な時の「ていあら」
一人遊びも大好きでよく遊んでいました。
遊び疲れて寝ているところを撮りました。
(追記)先週だと思っていましたが、先々週の5月23日~の出来ごとでした。
もうこんなに日にちが経っていたのですね・・・・。
気がつきませんでした。