
以前
「頑張るということ。」についてブログを書きました。
その後、ぐんぐん力をつけレギューラに選ばれ、個人戦はもちろん、団体戦にも出ることができ、大学生活最後の大きな試合である「全日本学生選手権(インカレ)」で現役選手として最後を締めくくることができました。
現役選手最後の日「競技していて本当に良かった^^」そう言った笑顔がとても素敵でした。
2歳から始めた競技。
最後の試合は私は涙できちんと見ることができなかったが、本当に感動しました。
競技生活を終えた長女Rはその後「卒論」に明け暮れていました。
卒論を取り組む中、中学生からの夢である「看護師」に向けて受験勉強もしていました。
小学2年生で「一緒にジュニアオリンピック目指しましょう!」と言って下さったコーチと二人三脚で頑張ってきた長女。
夢であったジュニアオリンピックにも出ることができ、高校ではインターハイにも出場でき、全国大会では表彰台にも立つ事ができました。またコンマ一秒足らずで全日本選手権を逃してしまいましたが、そこまで力を伸ばしてきた選手に成長することができました。
選手として順風満帆かと思われたが・・・・
突然のコーチとの別れがありコーチは本部に行ってしまいました。
コーチは最後まで見てあげれずすみません・・・と泣きながら何度も何度も謝って下さいました。
私は本当に感謝の気持ちしかなかったので、感謝の気持ちをお伝えする事だけで精一杯でした。
心の中では「大学まで見てくれるって言ってたのに・・・・なぜ今転勤なのか」そう攻めたかったが泣きながら謝るコーチに文句は言えませんでした・・・・。
また新しいコーチは初日の挨拶で「君たちに何も言うことはない。ここには来たくなかった」と挨拶したと言います。
そんな病んだコーチの指導、コーチからのイジメがあり長女Rは精神的に追い詰められてしまいました。タイムもみるみる落ちてきて大きな試合では予選落ちする選手になってしまいました。
このままでは新しく来たコーチに潰されてしまう・・・と思い、長女Rに「クラブを変えよう、このままではダメになる」と言い続けていましたが、幼少から通っているクラブを辞めたくない!の一点張りでした。
高校で競技を辞める。だから最後までここに残る・・・と言い出した長女R。
「2歳から競技を始めて、こんな終わり方でいいのか?第一、『競技を続けて楽しかった』なんて言葉なんて出てないじゃん!こんな終わり方で良いはずがない・・・・」
悶々とした気持ちで他クラブのコーチに相談すると「Rならいつでも来て下さい。歓迎します」との事でした。
長女と何度も何度も話し合ってやっとクラブを変わったのが高校3・・・・。
その頃の成績は酷いものでいつも予選落ちの選手でした。
それでも温かく迎えて下さった某クラブのコーチの方々。
本当なら選手コースの一番下のクラスの成績ですが、一番上のクラスに入れて下さいました。
また、他選手もRを苛めることはなく選手の輪の中に入れてくれました。
Rも成績は上がることはなかったが競技が少し楽しくなったと笑顔も見れました。
高校生三年の時、「選手」を続けるのか「看護大学」に行くのか凄く迷っている姿が見えました。
看護師になりたい!と勉強を頑張りどうにかトップクラスの成績を納めることができたみたいです。
狙うは国公立の看護大学。娘も高校の担任もそう思っていたみたいです。
・・・・・。
間違いではない。それも良い選択だと思う。
でも本当に長女Rの第一希望はそうなんだろうか?
なんか本心ではないような気がする。
「看護師になりたいことは良いことだと思う。賛成だよ。でも今一番何がしたいのか良く考えてごらん。競技を続けるのは今しかないんだよ。看護師はいつでもなれる。勉強を頑張ればいつでもなれるんだよ。自分のしたいことをしようよ。競技を続けるのなら私立の大学。お金は心配しなくていい(←いや一番心配だ・涙涙)」
数日かけて長女Rが出した答えは「競技を続ける」だった。
最終確認でがらりと大学を変えた長女R。
すぐに担任から呼び出しがありました。
「国公立の看護大学の推薦が決まっていたのに、どうにか考えなおして欲しい」ということでした。
長女は自分の思いを、私は私の思いを伝えると、先生は「良く気持ちは分かりました。この時代そのような強い考えでいることにとても感動しました。応援させて下さい!」と涙を浮かべて下さいました。
県内の私大なら推薦状を書きますと。
でも希望大学は他府県の某大学。
そこの大学で競技をすることでした。これだけは譲れない。
でも今の長女の競技成績では推薦なんて無理だ。
某大学からのお呼びなんてかかる訳がない。
行き詰ってしまった・・・・・。
長女の気持ちは良く分かったが・・・・どうすればいいのか・・・・。
一か八かだ。
某大学の競技監督に会いに行こう。
今の思いを伝えに行こう。
もうそれしか道はない。
某大学の監督に連絡を取り会いに行きました。
娘は自分の思いを、私は私の思いをお伝えすると、「競技に対する思いは分かりました。僕はそのような選手が欲しいのです。推薦状を書きます。これを持ってアスリート選抜試験に来てください」だった。
まさか推薦状が頂けるなんて夢にも思わなかったのですごく驚きました。
アスリート試験を受け結果が出るまですごく心配でしたが、監督の推薦状のおかげで無事に某大学に進学することができました。
で、現在に至って・・・・
周りが就職活動する中、長女Rはたった一人だけの受験生となりました。
周りからは「なぜそのような回り道をするのか?」「競技のプロになるわけでもないのになぜ競技をするためだけに大学に行ったのか?勿体ない」・・・と言う声もありました。
私が思うのには人生損得の計算で生きて行く事自体勿体ないと思います。
大学4年間の競技生活で学んだことは宝物だと思うし、これからの大変な人生を後押ししてくれると思う。
決してお金では買えない貴重な経験になったと思う。
誰でも簡単に経験できる物ではないはず。
自分の人生好きな事を一生懸命頑張ることが大切だと思う。
今日は看護学校の合格発表の日でした。
定員15人。
かなり厳しかったので「また来年頑張ったら良いよ」と言うつもりで結果を待っていたら
「合格したよ!嬉しい!」でした。
今年の春から看護学生の長女R。
常に何かを頑張っています。
私も見習って頑張らなきゃ。
ん?
やはりまだまだ頑張って働かなければ・・・
看護学生~高校生~中学生・・・・の子供たちがいます。
私もまだまだ走りたいのでこれからも引き続き頑張って24時間戦い続けます。
Rちゃん、おめでとう!
写真はお正月帰って来た時、リビングで勉強しているRを見守る柴犬の「もち」です。
リビングのテーブルは末っ子くんに占領されていたので…。
末っ子くんも受験生です。