
おひさしぶりです。
やっとネットがつながったので、久しぶりのブログでも書こうかなと思います(携帯は大丈夫だった)
3月11日(金)、あの日
そろそろ、ドリフトシーズンが始まるので、ハルヒ号のバッテリーを午後から充電していました。
2時30分ごろ、仕事で近くまで用があったので、SOS団積載車で出かけ、国道4号線に出てすぐ、あの嫌な音が、携帯から鳴りひびいたのです。
あわてて左に車を止め、長い揺れに耐えつつ、家が心配だったので、車が振られながらも、戻りました。この時は、ドリフトやってたおかげ?で運転できましたが、ほんとにすごい揺れでした。
道路は波打ち、電信柱はグラグラゆれ、これは、いままでの地震とはわけが違うと、はっきり分かりました。
家に戻ると、被害は以外(笑)、コップ1個だけ・・・シルビア号も無事でした。
うちのあたりは地盤が固いので、大丈夫でした・・・が、そこから停電と断水になってしまったのです。(ガスはプロパンなので大丈夫)
家の被害状況を確認して、僕はSOS団にも入っていますが、消防団にも所属していまして、すぐに近くの集会所、件避難所に向かいました。
ラジオからは津波警報!10mの津波が来ます!?マジで?
到着すると、すでに何人か非難してきて、すぐに中を開け、ストーブの準備をすることに・・・
すると、あれ?つかないな!・・・ファンヒーターじゃん!
つかえね~・・・ということで、家から30年物のダルマストーブを持ってきました。
その後も、ぞくぞく避難者が増え、6~70人になり、みんなで炊き出しなどして、非難所に泊まることに・・・
そして、夜10時ごろ、つながり辛い携帯が鳴り、友人Mさんから
「母親が多賀城市にいて連絡つかないし、ガソリンが無く、GSも電気が無くてやってない」
(このころ、ガソリン価格が高騰していて、みんな週末に入れようと思っていたみたいです)
とのこと、僕の車にはまだ、ガソリンが残っていたので、一緒に向かうことに
行く道路は、真っ暗で、ところどころ陥没やヒビ割れがあり、雪も降っていて、大変危険でした。
それに加え、多賀城市でのガス施設の火事で、東の空だけが赤く、異様な光景でした。
幸い、Mさんのお母さんは、避難所に名前があり、一安心。遅いので次の日また来ることにしました。
震災1日目はそんな感じの今まで体験したことのない1日でした。
みんな口をそろえていうことは
「映画のようだ・・・」
です。
宮城県沖地震は、いつ来てもおかしくないと言われていましたが、こんなに大きいとは予想しませんでしたね!
しかし、地震の恐ろしさは、まだこんなもんではなかったのです。
つづく・・・
Posted at 2011/03/24 20:11:26 | |
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