
腐れ縁のともだちがいる
今は京都に住んでいる
彼は高校球児だった。
千葉の中学から
東京の高校にピッチャーとして入り
大学の野球部に。
キャッチャーとして日本代表になり
キューバ戦にも出た。
オリンピック代表だったらしい。
社会人野球部にすすみ
何年間もよい成績をだした。
プロからスカウトが来たが
義理人情にあふれた彼は
俺はここでやると断った。
何回か断った数年後
スカウトは来なくなったが
彼はそれでもよかった。
とにかく現役でできればいい、
そう思っていた。
そんな彼が
チームでコーチをすすめられたとき
彼は現役にこだわって、それをけって他のチームに移籍することになった。
が、そこから歯車がかみ合わなくなった。
その野球部は彼が移籍して一カ月もたたないうちに
企業の倒産とともに廃部に。
こんなことってあるのだろうか。
私は茫然とした。
彼の心中はどんなだったか。。。
先輩を頼ってクラブチームに入ったが
あまりのノルマのきびしさに
身体は限界に達し
金銭の面でも契約でも騙されていたことに気付く。
その日暮らしの日々。
先が全く見えなかったあの頃。
私は、社会人野球のころ、彼に出会った。
レポーターで彼の練習を見に行った。
それからの友達。
だから彼のいい時も最悪の時も知っている。
私がここに帰ってきてから
しばらく連絡をたっていた間に
彼はいつのまにかクラブチームから脱出して
熊本にいた。
九州の高校のコーチになっていろんだよって聴いた時には本当にびっくりした。
学校についてる貸家に住んでるってきいたときには
なんだか心から安堵した。
おまえこいよって言われた時は
さすがに遠いよ^^;と冗談めかして断った
彼の気持ちはどんなだったろう。
わたしには余裕がなかったかもしれない。
何かが彼との関係を確定したような気がした。
それでも半年後また連絡はあった。
京都の高校でコーチになったと。
「ここならこれるだろ。」
「いくよ!」
また、純粋に野球ができる。ほんとによかった。
近くのとんかつ屋で乾杯したっけ。
友達だから。。
そうだ。友達だ。
ほんとにそう思えた。
京都で彼を応援してくれている
いろんな人にも会った。彼が引き合わせてくれたのだ。
みんなで乾杯した。
その半年後、彼は監督になっていた。
それから、
かれが集めたチームで秋の大会で優勝
初の春の甲子園に出場した。
秋の大会から私は時間があれば
試合を見に行っていた。
だから、春の甲子園は夢のような話だった。
取材もいろめきだった。
でも、彼は当然のように淡々としていた。
自分が高校の時行けなかった彼が
大人になって子どもたちと一緒に甲子園にいる。
世知辛い世の中の洗礼を受けた彼が
お金がなくて
生まれて初めて
スポーツ用品店でバイトをした彼が
でかい体を折って
借金を申し込んできた彼が
美しすぎる芝のそよぐ、あの聖地に立っていた。
その姿を目に焼き付けたこと
忘れない。
最初で最後
エスコートしてくれて
琵琶湖の花火をみたこと。
忘れない。
実はその高校はそのあと、采配について父兄とけんかして辞めちゃって
他にいったんだよね^^;
まったく君らしいとは思ったけど。
初めて会ったときから今まで
何回居酒屋で豪快な君の笑い声をきいたことだろう。
君は野球を知らない私に今日の試合の采配について
事細かく講義した。
興奮したよ。
話すたびにキャッチャーとしての才能を感じた。
そんな話をするときは世界を征服した王のようなのに、
仁王のような顔のくせに子どもみたいに泣いてた君も見た。。
過去の栄光と格闘した日々。。
たいへんだったけどよく辛抱したね。
いつも言ってた。
「おれたちって特別なんだぜ。わかってるんか。」
それはこっちのセリフだよっていつも思ってた。^^;
日ごろの行いがよかったのか、わるかったのか?(笑)
今は二人の姫のパパ^^写真みせてくれるけど
結構しつこいよね^^
この間、よっぱらって電話してきたけど
高校国語の先生になれたそうで。
おめでとう!!
これで母校の監督になれるね☆
何にも言わず、試合の行き帰りのバスの中では
いつも軍歌を流していた
こわいじいさん☆
そのじいさんは君が大好きだったんだね。
君の尊敬するその監督が待ち焦がれていたことが
現実になるよ☆
その時はまた野球場で会おう。
Posted at 2011/07/17 02:29:18 | |
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