
今日で東日本大震災から3年…
早いような…3年に思えば、まだ3年…にしか思えないような…
このブログも書こうか迷ったのですが、震災の惨状を目の当たりにした自分としては年々、少なからず震災の風化を感じ…
しかし今回は特に感じたので書くことにしました。下に被災地の写真も載せました気を悪くされる方もいるかもしれませんが申し訳ないです。
震災の風化…忘れたい記憶かもしれませんが残さなければならない記憶でもあると思います。
嫌な記憶が薄れる…良いニュースや新しいニュースが増えた証拠でいい事なのかもしれません…しかし…
少なからず自分の生活圏内では震災の影響を感じる事は少なくなりました。
唯一感じるのは節電の文字…
復興というコトバも聞く回数が減ってきたような気がします…
また、議員さんの発言も税金だ~、あ~だ~こ~だ~
復興は?被災地は?と聴きたくなる始末…
被災地を考えてるのか判らない発言ばかり…に感じ凄く残念に思います。
だからといって…ずっと引きずるのも良くないかな…でも今日くらいは日本全体震災を思い出したいですよね。今後も…
2011年3月11日2時46分
人は皆、記憶してる時間や日にちは違えど、この時の記憶は全員があるのではと思います。
自分は大学の卒業式を16日にひかえ友達と『卒業式のあと食事に行こうぜ!!』なんて電話していて場所は今の仕事場の事務所2階に居ました。
揺れがきて電柱や建物が身震いするように揺れて…一面ホコリが立ち上ぼり
早く揺れ止まれ!!と強く思ったのを今でも覚えています
揺れがおさまり、急遽帰宅!!
帰り道…
新病院の建設現場の数台のクレーンが尋常じゃないスピードで首を短くしてました。
地元では瓦が落ちたりしましたが幸い地震による酷い被害は少なくホッとしたのも束の間…
津波…
原発…
計画停電…
どんどん被害が増えてく…
自分はちょうど2日後に大型二種免許を取りに教習所に通う予定でした。
教習所では道路の信号が動かないのは初めて…と対応でバタバタしていました。
もちろん、卒業式も中止…
震災後の時の流れにのって就職…
仕事場では被災地にパン1万食寄付すると動いており
市に問い合わせると数が多いから県に問い合わせてください。
県に問い合わせるとカップラーメンなど日持ちするものでないと駄目です。
駄目ですって…
ダメって何?
水も無いのにお湯あるの?
イヤですね行政って…
被災地と救援物資を送るだけの地方との温度差…
ど~しても届けたい一心で被災地の県に問い合わせたんですね…
そしたら現地は大歓迎!!直ぐに食べられるものが今一番欲しい…
4tトラックでパン1万食積んで被災地に向かうことになりました。数少ない運転手の中、自分は就職前にタイミングよく大型免許取っていたこともあり同乗することになりました。
その時は凄く嬉しかったです。
自分が少しでも力になれるなら…
しかし、怖さもありました。
被災地外から来るものを拒んでいる様な空気…
しかも、沢山の方々が亡くなられている…
自分が立ち入っていいのだろうか?
今、思えば…失うことを知ってる被災地の方々の哀しみの大きさと、自分の中の思いのギャップだったんでしょうか…
夜に出発、向かう途中、高速道路も福島辺りからガタガタ震災の爪痕を感じました…
さぞかし東北道の国見SAはガラガラかと思っていたのですがかなり混雑していました。
救援物資のトラックはもちろん乗用車も多かったです。溢れんばかりの車…
翌朝…
最寄りのICで降りたのですが、地震が本当に起きたんだろうか?疑問になるほど見た目は普通でした…見た目は…
海から離れた場所は酷い倒壊などは無かったんですね…あれほど揺れたのに…
一般道をトラックで走り…
宮城の海沿いを走る常磐道をくぐった瞬間世界が変わりました…
ここから先、楽しくなる写真でも綺麗な写真でもありません、むしろ沢山の方々を哀しませてしまう写真だと思います。
会社への報告で数枚ずっとしまってありました…
陽の目を見ることなく…しかし、記憶から消えていってしまうのは良くないと思い許可をもらい載せました。
来る途中あれほど人が居たのに…
犬の散歩してる人も…
普通の日常に見えたのに…
やはり普通に見えただけでした…
常磐道の盛り土が境目に常磐道より内陸には津波は押し寄せなかったんですね…
この時は震災から1ヶ月後のことで道路のガレキは片され道はかろうじて存在していました…しかし細い…
今でも覚えています。
トラックで走っていると土手に立って遠くを見て立ち竦んでいる人…
気丈にも軽トラで行動起こしている人…
どの方々も心情を考えると…なんで…なんでなんだろ…凄い強い…
現状を受け入れられない、そんななか月日が流れ日常になっていたんですね…
人々の強さを改めて実感し逆に勇気を貰いました。どんな困難にも立ち向かえそうな気がしました。
救援物資集積所に到着し物資を降ろし帰る頃には自衛隊の数えきれない隊列とすれ違いながら来た道を群馬に、途中で雨、風、雪、余震で高速道路が通行止めになりましたが帰宅…
あれから3年ガレキも無くなり少しずつ復興に向かいつつある東北…
3年間で震災を知らない子供たちも生まれ今後も語りつぎ二度とこのような惨事が起きないようにしたいですね。
そして今後も少しでも東北に協力出来たらと思います。
ここまでお読み頂きありがとうございました。重複しますが、もしこのブログで気分を悪くされた方がいましたらお許しください。超長文失礼しました。
クスクスさん!!今度は東北旅行を企画しましょ!!