【序】
自動車以外の話を書くと、消されるそうだwww
うーむ、前科者である以上、たまには単車(これも自動車だよね?)ネタを書かねばなるまい。
某氏からも、“次の単車はどーした?”と訊かれてるし。
で、今回は単車ネタだ。
【お店がなくなった】
KTM、名古屋というか愛知のディーラー、無くなっちゃった。
懇意にしてたお店が、“これからのKTMのブランド戦略にあわない”つまり
“本国の意向にあわない”
という理由で、KTM日本法人から販売権剥奪されちゃいました。
KTMといえばこのお店、知る人ぞ知るお店だったのに、ね。
悲しいことです。
そう言えば販売店再整理、数年前のロータスでも、同じ事がありました。
KTM…X-BOWなる4輪に手を出したときから、おかしいとは思ってたのですが…。
この先はドゥカティみたいなアーバンスポーツメーカーになるつもりらしいです。
つまり
富裕層ねらいで利益稼ぐ意向なんですね。
で、従来の“
泥と砂とゲロ”の市場は、昨年傘下に置いたハスクバーナに任せるみたい。
↓
【資本主義とは何か?】
KTMやロータスの変容…この2社に限らず、これらムーブメントを生み出した件につき、私自身“資本主義とは?”というテーマで、いずれ改めてブログに書くつもりです。
今回のお話はその前振りみたいなものなのですが。
で、
“ブランドイメージの再構築とその実践”
…これ、ビジネスとしては正しいと思うんです。心情的問題は置いといて、ね。
資本主義とは拡張の論理。
停滞したなかでモノをつくり、循環させていくというのは、“市場経済”ではあるものの、“資本主義”ではない。
資本主義のなかで生きる企業は、常に市場をつくり、開拓し、食い尽くし、次なる投資を呼び込むしかない。
然して欧州市場はじめ先進国市場そのものが飽和状態のなか、これから先の未来、先進国民需品メーカーが投資を呼び込み利益を得るためには、どういった企業戦略をとるのか?
そう・・・彼等が
“潜在成長力豊かな新興国で市場を作り出し、そこでブランド価値を高め、プレゼンスを確立”
していこうとするのは、至極当然のこと。
そして民需品メーカーであるが故、新たな市場を拓くには、その購買層に訴えるイメージづくりは不可欠。
結果今まで
自らが築いてきたイメージを壊し、再構築しようとするのは当たり前のことなんです。理に叶ってるんです。
そのためには旧いイメージを捨て、生まれ変わらなければならない。
だから、新たなブランドイメージにあわない
“窓口”は閉鎖 し、内実とも相応しい
“パートナー”を新たに選択する。
【必然たる変容】
“欲望の喚起と財の投入”という資本主義の大原則になぞらえれば、KTMにしろロータスにしろ、
“古のイメージを捨て、小綺麗なブランド化をはかる”
というのは、やり方としては全く正しいんですね。
何せ、彼等がこれから創るべき市場、その買い手は、泥や砂やガレ場やヌタ場などの、“アンダーグランドな世界”から
“出ていきたい”人たちで構成されているのですから。
その人達の“欲望”を具現化すること、即ち“ブランド品”を手に入れさせること、それが富の蓄積につながるのであれば、
メーカーが“変わる”ことは仕方ないのです。
“変わらずして”、年次成長率が数パーセントで、購買力は頭打ち、少子化問題や財政赤字にまみれた先進国で、この先どれほどの市場開拓と拡張が望めるのか?
今のままでは、行着くところはただの“市場経済”。
(因みにそうならないためにも、私はTPPには賛成なのです。ついでに言うなら、日本の構造的問題の根源は少子化、男女雇用機会均等法とジェンダー教育にあったと思ってます。)
【変わり続けること】
話が逸れましたが、そう、少なくとも現在の私達・・・
先進国に住む“User”に、メーカーの“変容”を批判する権利なんて、ない。
メーカーに言わせれば、「そんなに方向転換に文句つけるなら、もっと沢山買ってくれよ!」ではないでしょうか?
…買えるでしょうか?前にも増して。
…買えるでしょうか?購買力を超えて。
そう、少なくともあの日…2007年の夏、サブプライムローンのデフォルト危機というブラックスワン、金融資本主義が非線形カーブに足を取られたあの日から…
私達は、文句を言う立場ではなくなってしまった。
そりゃああの日以後、今日ではやっと先進国主導で、世界経済は息を吹き返しつつある。
私だって、ETFや株や投信なんかで稼いだ“あぶく銭”を以て、エヴォーラSとか、会員制リゾートとかを買うことはできる程度にはなった。
しかし、それで皆の所得が増えて、市場が“拡張”することにつながるには、時間がかかりすぎる。
だって、
“所得の再分配先が自国民に行われるとは限らない”のがグローバル経済なのですから。
株で儲けた人が、儲けをすべて国内にまわすのか?
ROEの上昇曲線と国内消費は、綺麗にシンクロするのか?
国内企業の総資産が膨らみ、自己資本が増え、株価も上がりDIが改善し、銀行貸し出しが増え、設備投資が起こり、鉱工業生産指数がよくなって失業率が低下し、携わったひとたちの所得が増え、消費が拡大し、住宅着工件数が増え、新車登録台数が増える…確かにこれは、民間経済成長の典型的なモデルのひとつ、と言えるでしょう。
しかし、グローバル化した経済のなかでは、
“富の国内への再分配”
その効率はあまりに悪すぎるのもまた、現実。
故に、私達先進国に住む経済人が、メーカーのブランドイメージを変えるには、相応の時間と実績が必要なのです。
先進国では、“富の再分配”を何年も加速度的に続けないと、“彼等を振り向かせ直す”次元には辿り着けない。
その間にひとつでも“ブラックスワン”が混じれば、第二のリーマンも起こりかねない。
話を戻すと、ロータスもKTMも、常にそのリスクを背負っている。
でも、資本主義のなかで生きている以上、成長のループからは逃げられない。
だから、(新市場相応のブラックスワンの存在を認めつつも)リスクマネジメントの面からも、彼等はより
“成長性ある市場”に向かわざるを得なくなる。
限られた経営資源のなかで“選択と集中”を求められるなら、折角創り上げたコンベンショナルなイメージさえ、払拭させねばならない。
その変容を、私達がただひとつ批判できる時が来るとすれば、一人あたりのGDPだけでなく、総体的な購買層の拡大を実現し・・・
もう一度
“一億総中流意識を持ちえたとき”、かな?
つまり、ジニ係数(※所得格差を示す指標、小さければ小さいほどいい)がもっと下がった時、そしてローレンツ曲線(※世帯数累積と富の蓄積関係をグラフにしたやつ)がもっと45度に近づいた時。
・・・そんな“近”未来、来るのでしょうか?
…ま、どっかの半島国家みたいに、“ウリナラ経済力はチョッパリを凌駕したニダ!世界大統領もウリナラ出身、羽生もウリナラ起源ニダ!マンセー!!”って喜んでるだけで、“財閥企業2社に就業しないとただの貧民集合体に陥ってしまう連中”には理解できないでしょうが。
【理性と感情と】
繰り返しますが、KTMにしろロータスにしろ、
資本主義のもとに生きる以上、彼等は“先進国を夢見る新市場の人たち”に直面せざるを得ないのです。
ならば(売上あげるために)
“泥臭くチョット斜に構えた”今までのイメージを払拭しようとするのは、寧ろ事業戦略としては当然のこと、なのです。
ただ、一バイク乗りとしては、やっぱり寂しいですね。
今回の1290SDについても、当初は興味あったんですが…調べれば調べるほど、これはドゥカティのストリートファイターと同じだ、と思えてきて…なんか萎えちゃいました。
あ・・・ドゥカをけなしてるわけじゃないですよ。ただ、私の趣向にあわない、というだけの話です。
改めて…スーパーデュークよ…
20代の屹立を思わせるあのキャスター角と、僅か10センチのトレールは何処行っちゃったんだ?
乗り手の体格なんて考えもしないあのシート高、あのサスストロークは何処へ捨てた?
250ccかと目を疑う、あの超ショートホイールベースは何処行った?
ギャップやうねりなんてモノともしない砂漠育ち、堅牢無比のフレームは何処へ放り出した?
乗り手の技量なんて考えてもいない、振動とパルスに溢れたあのエンジンは何処に置いてきた?
私の持ってるKTMのブランドイメージは、やっぱり・・・
“泥と汗とゲロ”と、“砂塵とアクセルターン”と、“
アスファルトのブラックマーク”なんですよね。決して小綺麗なツナギに身を包み、ハングオフでサーキットを駆け抜けるとか、金髪のネーチャン後ろに乗っけて街を流す、なんてものではない。
BUELLはリーマン後早々と姿を消し、ハスクバーナのNUDA Rも生産中止で国内在庫無し…。
サスストロークが長くてキャスター角23度台、ショートホイールベース、大排気量のTwinは、もう、世界にはいない。
SMRはもうすぐ2度目の車検・・・
私は何を買えばいいんだ?
・・・って、こんなのもあるのねwwww
パイスクピークで良い成績出してくれるなら、買ってもいいかな?
イタリア貴族気取ったブランドイメージ、ぶち壊してやるのも悪くないwww