2011年06月21日
災害派遣から帰って・・・
少し遅れてしまいましたが、災害派遣から帰って来ました。今回はその時についてのレポートを書きます。
災害派遣初日目、私は安全が確保されている岩手県でも青森寄りのとある場所に集合するよう指令が入り、始発で向かいました。道中の電車の中ではひたすら寝ていたので景色はよく覚えていませんが時々目が覚めて外を見ると自然の豊かさ、綺麗さに圧巻していたのは今でもよく覚えています。
現地到着後、改札はもとより駅員もいないローカルな駅に着き、集合場所へ。
集合場所では医療陣、警察、自衛隊を中心に集まっていてしかもかなり和やかなムードでした。
到着後は自己紹介をし、最後に意気込みを皆様の前で伝えるのですがこの時は学園祭みたく警察・自衛隊の方が盛り上がっていてびっくりしました。
当日は特に作業的な事はせず、現場周囲の状況や負傷者数の把握、被災によって懸念される治安悪化などの情報収集で一日が終わりました。
そして恐怖の夜が始まりました。自己紹介で仲良くなった警察・自衛隊の方と一緒にいたのですが、さすがの体力とテンションでなかなか寝させてくれない(笑)急にねぶた祭りの踊りはこうだ!!とか言ってドンちゃん騒ぎでした。夜中はずっとこんな感じで爆笑の日々な為、腹筋と顔面の筋肉痛で過ごす羽目に・・・
そして、翌日から災害現地に向かいました。道中、ひっくり返った車や家などがあり自然の怖さを感じさせられました。現地に着くと意外と避難してきた方が少なく今では他県に移った方が多いそうでした。
そこで私は作業開始し様々の事をお聞きしました。ある方は天地がひっくり返るという言葉どうり激しい揺れで立てずどうすれば良いのか分からなくなった、津波が来た時あまり光景に動けず、そこに立ち尽くしている内に波に飲まれ気づいたら何かのビルの中にいたなど非日常な会話に唖然としました。
特に今でも覚えているのが「私は家族も家も車も財産も全て無くした。家や財産は無くても命さえあればまたやり直せれるのにその大事な命さえも失った。生きる希望なんてどこにあるのか・・・。」
この方の左手の時計を見ると11日15:21の状態で針が止まっていました。私は人生で初めて悲しみ以外で涙を浮かべました。可哀相だとか悲しい痛いとかでは無い、やり場の無い感情だけがふつふつと湧き上がっていまいした。そして後日この方が亡くなったと聞きました。
人はなぜ生きるのか、本当の財産とは?あなたが今見ている空、海、山はいつ何時でもあなたから全てを奪う。
現地最終日、皆様にお礼を伝え足早に帰路に着きました。今思えばこの時の自分は現実逃避したかったんだと思います。帰りの電車ではなかなか寝付けなかったが行きで見た綺麗な景色を見るのが恐怖になっていました。そして神奈川に着いた時初めて安心という気持ちのゆとりが出来ました。町では世間話や笑いでごった返しになっている日常がこの時の私にとって幸せなものなんだと思いました。
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Posted at
2011/06/21 08:50:50
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