
天気予報では、午前中の降雨確率50%の横浜。
行きたかったけどダメじゃん(>_<)
趣向を変えます。
Jr.が小学校6年生となり、社会科で歴史が始まりました。
我が家は夫婦揃って、歴男・歴女なのです。
ところが、興味が全て理科に注がれるJr.
いっくら振っても響かなかったのですが・・・。
Jr.「ちょっと面白くなってきた・・・。」
行きましょぃ、
いざ、鎌倉!
Jr.が初めてということもあり、鎌倉初心者向けのコースを設定。
この順路ですと、「ぉれ、かまくらいってきたにょ!!」と胸を張って言える程度に堪能できます。
是非、鎌倉へお越しの際にはご参考にしてください。
まずは、鎌倉駅をスルーして江ノ電で
「長谷」へ
曇りのハズの天気が、明るい日射しに・・・
オイオイ、ソリャ ハナシガ チガウダロ
最初に訪れた場所は
「長谷(はせ)寺」
大仏ロードの途中にあるお寺。
ここには長谷観音という大きな観音様がまつってあります。
このお寺は
明月院と並ぶ多種多様な紫陽花で有名なお寺です。
まだ満開までにはあと10日くらい早いかな?
しかし、たくさんの株が今か今かと待ちかまえていました。
(満開の時には、大混雑なので丁度よかった)
すっかり明るい光りが差し込んでおります。
意味深げに写真を撮ってみましたが、この風神さん?は特に意味を持っておりません(笑)
お次は、とーぜん!
「高徳院」
いわずと知れた鎌倉の大仏殿です。
鎌倉周辺は、カエデの緑がすごい勢いを見せていました。
どんどーんと!
でっかい大仏さんだぁ~
(-ι_- 3)
鎌倉大仏は、どういう訳か野晒しですよね。
昔は、大仏殿があったそうなんです。
ところが、海抜10mの場所にある高徳院。津波で浚われてしまって、以降野晒しを貫き通しているそうです。
20円払うと、この大仏の胎内に入ることができます(笑)
さて、再び江ノ電に乗り鎌倉に戻ります。
鎌倉駅からすぐの場所に広がる
「小町通り」へ
いわゆるお土産もの屋が並んでいる通りなのですが・・・
ボクには欲しいものがあったのです。
以前、「モヤさま」という番組でさまぁ~ずのみむぴーが購入し、「お肉食べよう♪」を歌っている子どもにあげてしまったブツ
ヘマタイト磁石玉(写真右下)
これがどうしても欲しかったのです(爆)
これをくっつかないように投げあげると
「ぼめぼめぼよょん」とヘンな音を立てるのです。
買えましたよぉ(喜)
MALAIKAの人気商品でした。
写真右下は「露西亜亭」というピロシキのお店。
ロシアンティーとセットが定番なのですが、現在はロシアンティーをやってません。どうやら原料であるクロスグリが入手困難だそうです。
おなかが空いてきたので、
しらす丼
鎌倉・由比ヶ浜近辺でとれたモノだそうです。
今年はシラスが不漁ですので、生シラスものよりも釜揚げがオススメですね。
旬は3~5月と9~10月ですので、お早めに~(^^)/
お腹も満ちましたので、小町通りを抜け
「鶴岡八幡宮」へ
こちらには、有名な「大銀杏」がありましたが、先の台風で倒れてしまいました。
この銀杏の木ですが、源実朝暗殺の際、舞台となったいわれのある木です。
残念ながら、無惨な状態になってました(>_<)
さらに、この八幡宮から少し足を延ばした先にあるのが、
「頼朝公の墓」
非常に暗い鬱蒼とした森を背に、ひっそりと眠っております。
鎌倉幕府という、今に通じる歴史を残した源家も先ほどの3代実朝で実質北条へ権力が譲渡されてしまいました。
そんな、超有名でありながらも、隆盛まで至らなかった源家を象徴するかのように、静かな佇まいでした。
最後に訪れたのが
「鎌倉宮」
こちらも謂われのある場所です。
建武の新政が成り、後醍醐天皇が武家に成り代わって実権を握って後のこと。
後醍醐天皇の皇子、護良(もりなが)親王が幽閉された後、暗殺された場所です。
この土牢の中に9ヵ月も幽閉されていたそうです。
北斜面にあり、周囲が苔生す湿った暗い場所です。
ここの9ヵ月も閉じこめられたら・・・・、泣いちゃいます(>_<)
また、この宮にはすごいお宝が・・・。
江戸時代では勝海舟や山岡鉄舟、はたまた明治時代では乃木希典、山本五十六、東郷平八郎といった歴々たる方々の書が飾られているのです。
なぜこのような戦を彩った人たちの書があるかというと、
建武の新政に大きく貢献したこと、つまり武家から政権を取り戻した天皇家の立役者護良親王ということなのでしょう。
明治天皇や明治政府下の島津家の人々がこの宮を建立したそうです。
ひっさしぶりの鎌倉をようやく息子と堪能することができた
一日でした(^o^)P。
おっと、参拝中にもいっこ拾ったがねっ!
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よしなしごと | 日記
Posted at
2012/06/04 00:34:53