
僕はクラスでも「スーパーカー博士」と呼ばれていた(自慢にもならんが・笑)。
さて、そんなクラスのヒーロー「スーパーカー小僧」当時の思い出を「あった、あった」的に書き残していきたい。
第4回は「フェラーリという存在」
愛車がランボ&ポルシェということもあり、知人の一部からはアンチフェラーリと思われているらしい。そんなことは全くなく、ミウラの隣に欲しい車はディーノだし、308GTBの美しさにも惹かれている。F40は今でも頂点だと思うし、250GTOはある意味ミウラP400最初期と並ぶ永遠の憧れ。さらにモンディアルをマジメに購入検討したこともあったくらいだ。
さて、そんなフェラーリだが、スーパーカーブーム当時の小学生にとってどんな存在だったか。
よく雑誌記事にある「当時、クラスの友だちはカウンタック派とBB派に別れ……」「ランボルギーニと並んでフェラーリの人気は高く」などという文章は、スーパーカーブームを小学生のときに実体験しなかった人が書いた文であることは明白(当時の中高生だった方はクールにフェラーリの良さも理解していただろうが……)。
フェラーリ大好きな人やオーナーにはキツいかもしれないが当時のリアルの現場では……。
BBの人気なんざ、カウンタックの足元にも及ばなかった。デイトナ、ディノ、400i、みんなカウンタックやイオタなどランボルギーニの引き立て役でしかなかった。
だから、俺らの仲間うちでは、BBはともかく、デイトナや275GTBよりハラマやエスパーダのほうが格上だった(うわぁ…)。何故ならハラマやエスパーダはカウンタックと同じ
「ランボルギーニ」だったから。
フェラーリは最速の機種があるから、マセラティやデ・トマソよりちょいと格上の存在でしかなかった。(ランボと比較して)大人しいデザインなのと、頂点への反感(今でいうトヨタパッシングみたいなもの?)もあったと思う。
また、風吹が操るディノRSや女豹の308はパンテーラGT4やカレラRSRに直線でついて行けなかったし(比較対象が速すぎだ・笑)、Aライの365BB・日光レースのBBレーシング・公道GP&流石島のデイトナのドライバーは名前すらもらえない雑魚の悪役だったのもあった。
何よりドアが上にあくカウンタック、ミステリアスなイオタの前では、フェラーリは普通の車だったのだ。
実際、当時のスーパーカー本やグッズのパッケージで表紙を飾ったのは、90%がカウンタック。8%をBB、ミウラ&イオタ、930&934ターボが分け、2%はヨーロッパ、ストラトス、ボーラなど。
この人気の差の前で、「フェラーリ派」などというのもおこがましい。ちなみにウチのクラスでは「カウンタック派とイオタ派」だった。BBは4番目に好きという、タツっちゃんが隣のクラスにいたくらい。
当時のフェラーリというのはこういった存在だった。
でも、当時から粗暴なランボより、品格と歴史あるフェラーリを推している奴が何人かいた。
もちろん彼らとて一番好きなのはカウンタックだ。だが、同時にディノや当時の新車・308GTBの美しさを訴えていた彼らこそ、アニメロボや超合金と同じ感覚でランボを見ていた連中よりも、真のスーパーカーの魅力を知っていたような気がしてならない。
ま、そんなしょーもない、でも興味は尽きなかったスーパーカーの思い出。
Posted at 2010/05/29 17:45:04 | |
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スーパーカー | 日記