
昨日は今は亡き友人の命日。
家も近所で小学校からの長い付き合いだった。
この時期の彼のお墓には綺麗な花やお供え物が沢山だ。
自分は大好きだったマイルドセブンを毎年持って行く。
そんな煙草も知らぬ間に昨年あたりからメビウスと銘柄名が変わっていた。
煙草を止めた自分だが、この日は必ずお墓の前で一本吸い終える…
FC3S後期型が主流だった時代に選んだ彼の愛機は”SA22C SAVANNA RX-7”

ネットの無い時代に雑誌や自分の足で回って探した1984年式後期型の12Aターボ。
最初は皆ブーストアップ仕様から始まった。

ノーマル然としたフォルムが今見ると逆に新鮮だ。
彼が最初に選んだ仕様はコスモAPに積まれていたキャブ仕様の13Bをサイドポート拡大しウェーバー48φのダウンドラフトにシグマのK26ターボキットを組んだ”13Bサイドキャブターボ仕様”

エンジンルームにはダンドラウェーバーに装着されたシグマのサージタンクがちらりと見える。
この仕様で彼の助手席に乗って真っ昼間の県道を走っていたところエンジン不調にて停止。道路脇に急停車しボンネットを開け覗き込んだところ火柱が上がり炎上。
彼と二人して軽い火傷を負ったのも今となっては良い思い出だ…
幸い車両火災は免れたがその火災によって仕様変更を余儀なくされた…
そして次に彼の選んだ仕様はFC3Sの13BTベースにしたインジェクションターボ仕様。当時キャブターボに拘っていた彼だったが火災によってある程度リスクのあるチューニングだというのを実感したのかもしれない…

FC後期型にポート研磨を施したリビルトエンジンをベースにタービンはTD06 20G、特注のステンエキマニにRCウェストゲート、追加インジェクターにCPもFCマイナー後&雨宮Redomといった仕様だった。
そして火災によってダメージを受けたパーツも使える物は後輩がしっかり受け継いだ。

当時でも貴重になりつつあったウェーバー48φダウンドラフトは後輩のメカチューンのSAに…

走りに行かない休日の昼間も特に約束もしていないがいつの間に溜まり場に集まって来る。もちろん携帯電話はまだ一般的では無い時代。
何する事無く車を眺めながらあっという間に時間は過ぎていった…
前開きのボンネットが少なくなってきていた時代に彼としては自満だったようだ。

IMSAのライトキットにスリットボンネット、RE雨宮のSPLバンパースポイラー。

この当時は公認車検というものが脚光を浴びてきた時期だったが自分達の周りでは誰一人構造変更を行なってはいなかった。文字通りの”違法改造車”
整備不良による違反、車両没収、車検は勿論通らない…
しかし一般的に言われる”暴走族”上がりだった仲間達はそんな事は全く気にしていなかったそんな時代だった。

FC3Sにはコストパフォーマンスを含めて人気のあったTD06 20Gを使ったターボチューンだったが車重の軽いSA22Cには更に相性が良かったのか彼はこの仕様を気に入り、心臓部に合わせて脚廻り&ボディ剛性も含め色々な所に手を入れていった。
そしてボディのオールペンを含めたフルリメイク。

パテ埋め&加工されたエアロにパープルマイカ系の美しいボディカラー。
埋込型のヘッドライトも更に加工が施されACTIVEロードスターのハーフライトキットに使われていた物と同型のIPF製のライトが組み込まれた。
この頃になると周りも含めハードな改造を施した車両は公認車検を取得するようになってきた。

彼のSAもこのリメイクを機にフル公認となった。
JSSキットを装着しワイド化して3ナンバーとか流行っていた時代だっが彼は5ナンバー&SAらしさに拘りフェンダーは240Z用加工パテ埋め&叩き出しといった仕様だった。
そして仲間達と土曜の夜は走りまくった…

夜が明けるまで…
そして数年後…
自分や後輩などもFCやSAを降りて行く中、彼だけはSAを愛し続けた。
彼に対して自分的には裏切るように足を洗っていった感が強かった中、元々出張が多かった彼のSAのけたたましい音が久々に自宅裏に響いた…
「ちょっと助手席に乗ってよ…!」
久々に会った彼の口から直ぐにでた言葉と足を洗ったとはいえ長年聞いてきたREサウンドからして”何かをやったな…”というのは直ぐに分かった。
そして走り出したSAの加速は想像以上だった…
そしてアクセルを抜いた時の独特のバックタービン音。
「ツ、ツインターボ…?」
自分の言葉にニヤリと笑った彼の顔が印象的だった。
自宅に戻って来てエンジンルームを開けるとそこには二基のタービンが鎮座していた。
"IHI RX6"
当時F1タービンと呼ばれていた代物が美しく焼けたステンエキマニに二つ装着され更に大型&層増しされたインタクーラーも装着されていた…
そして彼は更なるSAに対する夢を自分の前で嬉しそうに話してその場を去っていった。
残念ながらその時の仕様の写真は自分の手元には無かった…
本当に美しく仕上げられたエンジンルームだったのを今でも鮮明に覚えている。
それからたった数ヶ月後の寒い一月十一日の仕事帰りの深夜に通勤用の車両で彼は25歳という若さでこの世から旅立っていった…
愛機SA22Cを残したまま…
翌日の正午頃に彼の家族から連絡を受けた時は何が何だか分からなかった…
そして色々と慌ただしい中集まった仲間達は皆真っ赤な目をしていた。
お通夜が終わって自宅に戻り、当時25歳だった自分だが両親の前で声を出して大泣きをしたのを今でも思い出す…
その数ヶ月後、彼の愛機SA22Cは当時のチームメンバーだった後輩が受け継いだが、その後輩が手放した後の消息は不明だ…
当時FC、FD、ロードスターに乗っていた仲間達も彼のSAと生き様に憧れていたなぁ…

先日仲間達が載っている雑誌が発掘され見て涙が出そうになった。
恥ずかしいコメント書いてるなって…

FCの脚廻りを移植して「5穴なのが嫌だ…」なんて変な拘りを持っていたのを思い出す…
本当にSA22Cが好きだったんだろうなぁ…

最高の仲間達…
あの悲しい出来事の日からもう17年も経つんだな…
あの日からこの寒い成人式の時期となると悲しみが込み上げて来る…
一年、一年と心の傷は小さくはなっているけど彼の事は一生忘れないだろう…
君の生き方とSA22Cは最高に格好良かったよ…