
大昔、ルノーという名前の猫を飼っていた。
学生だったときに、友人がルノー5を買うというので一緒に中古車屋に向かっているときに、道端で鳴いていた捨て猫を拾ったのが命名の由来である。まったく下らない命名だが、あだ名なんてたいてい下らない理由でつけられる。
後ろ足を骨折していたので、近くの動物病院に通うようになった。先生も猫の名前を覚えてくれて「ルノー、ルノー」と呼びかけてくれるような間柄になった。
ある日、件の友人のルノーに乗っている時に、たまたま道端で先生とすれちがった。先生は「だから猫の名前がルノーなんだな、きみ!」とうれしそうである。
聞けば、長年フランス車とイタリア車を乗り継いでいると言い、今はアルファ75に乗っているという。
アルファロメオに乗っている顔見知りの人物に会ったのはその先生がはじめてだった。しかも当時75と言えば高嶺の花で、後期の3.0リットルV6エンジンと、後部に行くほど跳ね上がるようなユニークなリアスタイリングは、日本車にもドイツ車にもない、独特で強烈なオーラを醸し出していた。
その先生は獣医師であったが、それ以来、医者とイタリア車という組合せが目に付くようになった。

<アルファ75 image:wikimedia>
近所の歯科医は1965年の赤いアルファロメオ・ジュリアスプリントで出勤している。医院横の駐車場に停められたジュリアスプリントのピカピカに磨かれたフロントを見ていると、若かりし頃に買えなかった憧れの「段付き」を、クラシックカーとして所有できた者の矜恃のようなものを感じる。

<ジュリア・スプリント image:wikimedia>
家から10分ほど歩いたところにある病院の開業医は、ながらくランチア・テージスというイタリア最高級のレアカーに乗っていた。今ならマセラティがそのマーケ上のポジションをカバーしているはずの3.2リットルV6と、ムーザ、後期イプシロン、新デルタなどと共通の大きなT型グリルが特徴の、独特のたたずまいの車であった。それが動いている姿を一度も見ることなく、つい最近ストロンボリ・グレー色のアルファロメオ・ステルヴィオに買い換えていておどろいた。

<ランチア・テージス image:wikimedia>
この乗り換えには大いに影響を受けた。ランチア・テージスほどのこだわりカーを、動きもしないのに何年も保持するほどの好き者が、ステルヴィオなら買い換えようかと重い腰を上げたのだと思うのと、いっきょにステルヴィオへの好感度が高まったのだ。
テージスの後任が務まる車はそうないだろう。

<ストロンボリグレーのステルヴィオ image: alfaromeousa.com>
そのような、医者とアルファロメオという組合せについては長らく意識から遠のいていたのだが、つい最近、みすず書房のPR誌「みすず」を読んでいると、著名な精神科医、松本俊彦氏の連載『アルファロメオ狂騒曲』が目に付いた。
さっそく読んでみると、氏が研修医時代に乗っていた、2リットル直4DOHCのアルファ155ツインスパークへの愛と改造の物語であった。
氏の専門である薬物依存症や自傷行為、身体改造と、所有する前期155を後期スポルティーヴァ風に改造する自らの行為を比較するあたり、真面目なのかネタなのかわからない調子が非常におもしろい。

<月刊「みすず」7月号
https://www.msz.co.jp/book/magazine/>
しかし、ボクは大好きだが、スノッブと感じる人も多い買い切り専門高級出版社のPR誌の巻頭で、アルファ155の「下品な」改造の話をアディクション臨床医の権威が書いていったい誰がよろこぶのだろうか。
そう思った。
思った途端に思い出した。歩いて10分のところにある、ランチア・テージスからステルヴィオに乗り換えた開業医がいるじゃないか。あるいはご近所のジュリア・スプリントの歯科医がいるじゃないか。何十年も前に、飼い猫のルノーを診てくれた、アルファ75に乗っていた獣医師がいるじゃないか。
そうだ。医者とアルファロメオは、どこか引き合うものがあるのだ。
そう考えると、長年の気がかりが氷解するようだった。
Posted at 2019/07/22 01:20:20 | |
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