
ステルヴィオとジェレミー・クラークソン
BBC「トップ・ギア」、最近ではアマゾン・プライム「GT」の名司会者ジェレミー・クラークソンは、サンデータイムズへの寄稿文でアウディQ5を表して「納車の日の朝にこの車がやってくるのを、単語試験を前にしたディスレクシア患者のようにドキドキして待つヤツなんているだろうか?」とあいかわらずのブラックユーモアで評している。
Driving, The Sunday Times
"THE CLARKSON REVIEW: 2017 ALFA ROMEO STELVIO An SUV poster boy at last. Yes, it’s Italian."
続けて問われる「アウディQ5のポスターを寝室の壁に貼る子どもなんているだろうか?」という質問ともども、ジェレミーの答えはノーである。こんな車に乗るなら私はウーバーを選ぶ、とジェレミーは言う。
Q5が「食器洗剤のようにして買われていく」、「金のかかるただの箱」なのかどうかは乗ったことがないのでなんとも言えないが、山盛りの電子制御とキザなラグジュアリーを積み上げた最近のアウディは、「車を知らないやつ」中心のマーケティングをしているように思えてならない。その証拠にVWのディーゼルゲート事件以降もよく売れている。
ジェレミーは「基本的にSUVなんか要らないしキライだ」と前置きしつつ続けててアルファロメオ初のSUVであるステルヴィオを批評している。
ジェレミー・クラークソンのアルファロメオ贔屓はつとに有名であるけれど、それでもサンデータイムスの批評はコンパクトに的を射ている。
「(ステルヴィオに乗ると)設計をしたいと望んだエンジニアが設計にかかわったのだという印象を持つだろう。なにか間違えがあって設計させられているエンジニアではなく」
納車されて1000キロ走って、ボクも同じ印象を持った。
アルファ・コネクト用のローテーション・ダイアルのやすっぽい操作感と音や、カーゴルームに物入れひとつないこと、このご時世にレーンキープが警告止まりであること、アダプティプ・クルーズコントロール開始時の操作性の悪さ、グローブ・コンパートメントの小ささなどなど、気になる部分を上げれば切りがない。
しかし、そんなことは枝葉末節なのだ。
われわれは、小物入れやインフォテインメント・システムに乗って移動しているわけではない。
もし仮に食器洗剤と同じようにして車を選べば、小物入れやインフォテインメント・システムなどの上積み部分の評価が選択基準になるだろう。でもちがうのだ。
車の設計がしたいと望んだ誰かが、ちゃんと設計した車に乗りたいのだ。車という複雑で高価な商品に対する、偉大な仕事に敬意を払えるような、そんな買い物がしたかった。
まだ1000キロだけど、上記の意味では、まあ想定どおりの満足。
Posted at 2019/07/17 16:59:21 | |
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