イイネ!拡散お願いします。
今日で、震災から一年が経ちました。
3/11。私、そして被災者の皆様、そして日本の皆様、世界中の人々が忘れることは無いであろう日です。
私はあの時、家にいまして、大きな揺れが襲いました。
立っていることもままならず、ただただ揺れが収まってくれることを願っていました。
揺れが収まったとき、ホッと一安心したのも束の間、妙な胸騒ぎがしました。でも、私が住んでいた名取市のゆりあげ地区では、防災無線も大地震で使えなくなり、消防車が「津波が来る」の一点張りでした。でもどのくらいの津波が来るのかわからない。テレビも、ラジオも携帯も使えない。とても不安でした。そして、荷物をまとめ小学校に向かいました。ですが、道は大渋滞。信号は当然止まっていたので、事故が起きていました。それでもなんとか小学校に着いた途端、小学校の3階にいた人が、「津波が来たぞ!早く上がれ!」と怒鳴っていました。その声に、驚きと同時にとてつもない恐怖に襲われました。
そして、無我夢中で階段を上がり3階の窓から外を見てみると、そこは私が住んでいたゆりあげではありませんでした。私はとても悲しくなり、涙がこぼれてしまいました。その場にいた人達も、悲鳴や、落胆する声や、なにも言えない人。表現の仕方は人それぞれですが、皆が思っていたことは「地獄」でした。その時雪が降っていました。それから、まだ3月だったので夜になると冷え込みが激しく、マイナスになっていました。ですが、着の身着のままで逃げてきた私達は凍えながら耐えるしかありませんでした。夜の間は、明かりもなにも無いので、外の様子が全くわかりませんでした。反対にその時はその方が良かったのかも知れません。そして、ある教室で知り合った奥さんが、
「朝が来るのが怖い」
と話してました。今でもあの時の朝の景色を思い出した時、全身が崩れ落ちそうになります。そして、次の朝が来たとき、自衛隊さんが来てくれました。その時はとても安心したのと同時に、言葉に表せないほどの感謝でいっぱいでした。そして、歩いてもっと遠くの所に避難しようと決めました。ですが、その惨状はあまりにも残酷でした。その時は紫の靴でミリタリー色のズボンをはいていたのですが、どちらとも少し歩いただけで真っ黒になりました。そして瓦礫で足を切って、血が出ていましたが、またいつ津波が来るのか分からない状態だったので、気になんかしてられませんでした。そして歩いていくと、爆発しているプロパンガス。道をふさいでいる瓦礫。あちこちに転がっている死体。これらを見たときは、ショックや絶望を通り越して、死にたくなりました。ここは本当に日本なのか?何度も自分に問いただしましたが、帰ってくる答えは一つだけ。
「現実」
こうして、一年が経ちますが、未だに瓦礫の処理、復興、原発、すべての問題が終わってはいません。
政府は何処に目を向けて議論しているのか?見ていてとても無責任だし、腹立たしくなりました。自民と民主が対立?そんなこと今することじゃないでしょ。いいたくなります。
原発だって、稼動目指す?まだまだいろいろやるべきことが山ほどあるでしょ。しかもまだ危機的状況は続いているんですよ?国民、そして世界の人々に一言も隠さず、正直にいってください。
震災でお亡くなりになられました皆様、心からご冥福をお祈りいたします。
これからは明るい未来のために皆さんで力を合わせて頑張って行きましょう!
被災地へのボランティア、義援金、応援メッセージ、誠にありがとうございます。言葉にならない程、感謝の気持ちでいっぱいです。どうかその助け合う気持ち、優しい気持ちをこれからも忘れないでいてください。お願いします。
皆さん。今日の午後2:46、黙祷をどうぞお願い致します。
明るい未来のために!
頑張ろう!ニッポン!
p.s.youtubeから私の地元の3/11&3/12の様子を撮影した、動画があるので是非見て見てください。よろしくお願いします。
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Posted at 2012/03/11 01:23:56 | |
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