
←右:大正池
左:前の日は青空が見えていた。
立ち枯れの木も現在より多い。
登山で忘れられない出来事がある。
登山中ではなく山麓での出来事だ、
この時の上高地は忘れられない。
前日は雲があるにせよ青空が見えていた。
夜、低気圧の影響で豪雨。
河童橋は渡れるにせよ、梓川は見たことの無い濁流。
バスもタクシーも上がって来ない。
河童橋の袂の右岸にある白樺荘に足止め。
上高地に入ったのは6月の最終週だったが、足止めで7月になってしまった。
さしもの雨も上がったが、土砂崩れの為にバスは上がって来ない。
土砂崩れが相当ひどく、ブルドーザーが上がって来ないと開通しなとの事。
徒歩で上高地を出る事にした。
濁流が引いてない河童橋を渡り、バスターミナルを過ぎるまではいつもの風景。
だが、そこから先が土砂崩れで道がなくなっていた。
特に八右衛門沢はひどい土砂崩れで、石が山積みになっていた。
復旧後にここを通ったら、その石はどけないで石の上にバス道をとおしていた。
また、この土砂崩れが田代池までに及び、池の面積が半分になった。
落石に気を付けながら釜トンネルにたどり着いたときはほっとした。
徒歩で釜トンネルを歩くのは冬季登山者以外にはいないんで、なにやら複雑な気分。
この時はすでに旧道は閉鎖されており、沢渡までは今と同じ道を下る。
(旧道は廃道になっているが、バス等の車窓から見ることが出来る)
沢渡まで下ったら、路線バスは運行していたのでそれに乗って新島々。
沢渡で聞いたらブルドーザーはまだ此処に到着していないとの事だった。
ブルを待っていたらと思うと徒歩で降りてよかったと思った。
松本で列車までの時間があったので、喫茶店「山小屋」(現在閉店)で珈琲を飲んでいたら、
岩魚留小屋の方が、登山者の救出に向かったときに沢に流され、亡くなられたという
話が聞こえてきた。
島々から徳本峠に向かっている登山者が、岩魚留手前の渡渉で困っているとの事で
岩魚留の方が向かったそうだ。
暗い思いで列車に乗って帰ってきた。
※
この1975年6月には井上靖氏の小説「氷壁」で題材となった「ナイロンザイル」の安全基準が
制定された。
あたしゃ、沢登のときは8mmのザイルを持って行っていたが、この制定では8mmは
ザイルじゃないんとよ。じゃおれのはヒモか?
12mmじゃ重いのよね。高巻きして沢に下降する時に活躍するんで、これでもよかったのかな。
いい子はちゃんとした「ザイル」使うようにね。
「氷壁」の舞台となった宿の「
徳沢園」、ここは宿よりも草原(昔は牧場)にテントを張る事を
お勧めします。
気持ちのいい朝を迎えられますよ。
また、この年から上高地の交通規制がはじまり、バス、タクシー以外の車両乗り入れは
禁止となった年。
夜中に走って、朝飯を駐車場のそばの川原で食べるのがよかったけどね。
※※
岳沢ヒュッテは2006年に雪崩で倒壊したが、2010年に再建された。
河童橋から岳沢方向をじっと見ると赤い屋根が見えていたが、今度はどうなんだろう。
前穂から長い下りを降りてくる時は必ずここで休んでいた。
当時の岳沢ヒュッテには登山道保守の為の募金箱があった。寄付させていただきましたよ。
登山道の保守、大変なんですよ、すべて周辺の小屋のボランティア。
遭難者がいると小屋の仕事を放り出して救助活動。
※※※
島々から徳本峠登山道の岩魚留小屋の位置は
このページの下のほうにある
登山道MAP(PDF)を参照してく下さい。
Posted at 2011/01/20 19:31:11 | |
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山とスキーだね | 日記