
←このタイトル画像、他意はありません、決して。
ボブ・ディランのノーベル文学賞受賞、純文学者の方々にとっては青天の霹靂だったみたいですね。AFPニュース「
ボブ・ディラン氏にノーベル賞、文学界で賛否噴出」によるとガソリーヌじゃなくてピエール・アスリーヌ(仏・作家)は「私たちは冗談だと思っていた」と憤り、アービン・ウェルシュ(スコットランド)は「もうろくしてわめくヒッピーらの悪臭を放つ前立腺がひねり出した検討不足で懐古趣味な賞だ」と。
同じ記事で、サルマン・ラシュディ(英・作家)は「歌と詩は密接な関わりを持ってきた」、「ディラン氏は吟遊詩人の伝統の優れた伝承者だ」と称えたと伝えていた。
ベトナム戦争・反戦・・・と称する記事も多くあるけど、IBMのワトソンがディランの詩を分析した結果「うつろいと愛」、そうだと思う。
Bob Dylan won't teach IBM Watson to sing
Bob Dylan's New IBM Commercial (Extended Version)
Bob Dylan & IBM Watson über Sprache
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詩についてこんな事を思い出した。
漱石の「草枕」の冒頭、多くの人が知る『山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。』と書き始められるけど、続けて・・・
『住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。』とあり、『住みにくき世から、住みにくき煩いを引き抜いて、ありがたい世界をまのあたりに写すのが詩である、画である。あるは音楽と彫刻である。こまかに云えば写さないでもよい。ただまのあたりに見れば、そこに詩も生き、歌も湧く。』と。
「歌詞」と「詩」は違うと言うけれど、ノーベル賞の言う「どのような書式や文体で書かれたものであれ、文学的な価値を持つもの」として彼の「詩的表現」に賞が与えられたと思う。
誌は文学じゃないと言うんだろうか、すると金子みすゞの詩は「詩」という独立したジャンルとでも言うんだろうかね。「違和感がたまらない」と評した(いい意味で)方もいらっしゃったけど、やはり詩は文学、その詩に曲を付けたものをオペラと差別するんだろうか?
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昨晩、BS12トゥエルビで「グッド・ウィル・ハンティング」を放映していた。あちこちカットされてたけど吹き替えでなくて良かった。この映画のラストシーンからエンドロールに掛けて使われたエリオット・スミスのミス・ミゼリー、「歌詞」なのか「詩」なのかなんてどうでもいい、良い物だから。
Good will hunting. miss misery
Elliott Smith - Miss Misery
Wikiにアカデミー賞での演奏をこう振り返って、こんな事が書いてある。
「すごくシュールな体験だった。僕は作曲することと同じくらいライヴも好きなんだけど、アカデミー賞での演奏は本当に不思議だった。曲は2分以下にカットされたし、そこにいた観客のほとんどは僕の演奏を聴きにきたわけじゃなかった。こんな世界に僕は住みたいとは思わない。でも1日だけなら月の上を歩いてみるのも悪くなかったよ。」
10月21日は彼の命日。(満34歳で)
Posted at 2016/10/16 08:37:39 | |
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