先週木曜日の夜、私は1日(土)に控えていた
結納&顔合わせ会の準備をしていた。
当日の司会は私の弟が担当してくれることになり、
夕方に弟と最終打ち合わせをしたあとだった。
自分の両親も彼のご両親も遠方から来るため、
東京までの交通手段や到着時間、宿泊場所、
また結納会場との打ち合わせなど念入りにチェックしていたそのとき。
突然、その弟からの連絡。
「母さんが体調悪くなって、動けなくなったらしい。
明後日の結納、どうする?やる?」
え???結納をやるかやらないかっていう位に悪い症状なの?
母さんの身体に何が起こったの?
嫌な予感を抱えながら詳細を聞くと、
「数時間前、大動脈破裂で救急車で運ばれ、緊急入院したらしい」
………。
私は暫く絶句した。
弟の言葉の意味が分からなかった。
…何それ。
体調悪くなったとかいうレベルじゃないじゃない。
命に関わる一大事じゃないのよ。
大動脈破裂って、ほぼ100%で死ぬって言われている事態じゃないの?
茫然として、手が震えた。
ただ幸いにも、どうやら一命は取り留めたらしい・・・。
つまり今どういう状況なわけ?
結納会場に結納品目の最終連絡メールを書いていた私は、
もうその手が動かなくなった。
明後日は両家のご縁を華々しくお祝いする宴が設けられるというのに、
とてもおめでたい席のはずなのに、こんなことって・・・。
突然過ぎてどうしたらいいのか分からなくなった。
参加者全員が東京近郊から来るっていうなら延期もありかも知れない。
でも今回は全員が遠方。
彼のご両親は函館から、うちの父さんは岩手から、
母さんだって浜松から駆けつける予定だった。
飛行機も新幹線も予約済みで、二日前とはいえもう夜。
実質、結納前日なのだ。
それをいま、突然結納&顔合わせ会中止なんて、とても考えられない。
私の心の準備も、全てが打ち砕かれていくような気がした。
結局、彼のご両親の承諾を得た上で、母さん抜きでの結納となった。
当たり前だけど、心から喜ぶことは出来なかった。
こんな日に、大好きな母さんが来ないなんて。
そんな運命を呪いながら迎えた当日。
今度は函館から飛行機が飛ばないという状況になってしまった。
・・・絶望的な気持ちになった。
母さんも不参加、もしかしたら彼のご両親も来れないかも知れない。
なんで…
なんでこんなことになってしまうの。
結納なんて一生に一度のことなのに、こんなことってあるの?
いつでも出掛けられるように着飾った状態で、
部屋で飛行機が飛ぶのを待つ私。
航空会社の出発・到着状況のホームページを
何度となく更新し、祈るように画面を見つめた。
・・・・悲しくて涙が出る。
こんなはずじゃなかったのに。
それに、彼のご両親は4時間以上も空港で足止めされている。
その苦労を思うと尚更我慢できない。
延期すべきだったのかな…
そんな思いが胸をよぎる。
でももう挙式まで日がない中で、延期したところで母さんの参加は難しい。
やるしかない。そう決めたことじゃないの。
会場にも事情を話し、開始時間を遅らせて貰った。
そのうち、彼のご両親から電話があり、飛行機が飛びそうだと連絡があった。
それが13時頃離陸とのこと。
でも帰りの飛行機は17時30分。
折角東京に来て貰っても、滞在時間は2時間無い。
とにかくタイムスケジュールを組み直し、14時30分開宴となった。予定より2時間30分遅れだ。
私の家族は14時に会場に集合。
私は彼と羽田空港へ。
到着ロビーに掲げられた巨大なモニターを見ながら、函館からの便が到着するのを
今か今かと待ち続けた。
14時40分頃になり、やっとの思いでご両親が羽田空港に着陸。
タクシーで会場へ急ぐ。
タクシーの運転手は私達全員が北海道から来たのだと思い、道々東京案内をする。
まあ、よくしゃべる。
別にしゃべらなくていいから、とにかく早く着いてくれという気持ちでハラハラした。
そこでまさかのハプニング。
首都高を降りたあと、運転手が会場を間違えて真逆の方向へ。
それに気が付いた彼が慌てて運転手に間違いを正す。
この間違いのせいで、15分は時間をロスしてしまった。
そんな状況の中、15時にやっと全員集合。
時間に押されつつも、弟が式を始める。
結納品も並べられ、彼のお父さんが口上を述べる。
結納の儀自体は滞りなく終わり、そこからは会食。
滅多にお目に掛かれないような豪華な食事なのに、
時間が気になる私は落ち着かない。
それに場の空気を読みながら話題を振ったりしていたら、
殆ど食事を取ることもできずに終了の時間となった。
彼は両親を羽田空港まで見送り、私は結納品を抱えて帰宅。
家について息をつく暇もなく、今度は母の居る浜松へ向かう準備をする。
命に関わる状況ではないと弟から言われていたけど、
直接母さんに逢ったわけではないし医者から症状を聞いたわけでもないので
信じられない。
この目で母さんの顔を見るまでは、安心出来ないのよ。
結納の翌日、私は朝から浜松へ向かった。
浜松駅までは下の弟が迎えに来てくれて、そのまま病院へ向かう。
病室で見た母さんは、いくつもの管に繋がれて身動きが出来ない状態だった。
でも会話は出来るし笑ったりすることもできるらしい。
私の顔を見るなり、
「大事な式だったのに参加できなくてごめんね。」
と謝られる。
そんなことよりも、母さんが生きててくれたことが
よっぽど嬉しいよ。
死なないでくれてありがとう。
生きててくれてありがとう。
聞けば、非常に危険な状態だったらしい。
でも、たまたま大勢の人と一緒に居るときだったから、
母さんの異変を察知した知人がすぐに救急車を呼んでくれたのだという。
これがもし車を運転しているときだったら・・・。
実際の病名は、「大動脈解離」だった。
血管の層の間に血液が漏れて溢れてしまう症状。
ほんとに、破裂する寸前で止まったのが奇跡だというくらい。
いくつものラッキーな偶然が重なり、
母さんは命を繋げることが出来たのだ。
母さん、結納に参加出来なかったことはもういいの。
一番辛い思いをしたのは母さんでしょう?
娘の結納式に、自分の体調不良のせいで参加できなかったことを
自分で責めているんでしょう?
まだ結婚式までには日があるから、
それまでに元気になって、そして晴れの日には
私の一番綺麗な姿を見てね。
だから絶対に負けないで。
披露宴では、恥ずかし気もなく父さんと母さんに手紙を読むんだから、
ちゃんと聞いてよね。