
お友達に誘っていただいたeg-goさんと共通の車歴「オペルヴィータ」について、
これをきっかけに 久々にいろいろ思い出したので、書いておきます。
オペルが我が家に来たのは、たしか私が高校生の時でした。
母が、当時としては破格に安い外車を女性週刊誌でみつけ、
「普通車にのりたい」「ドイツ車なのできっと頑丈で長く乗れるだろう」という
今となってはよくわからない理由で、トントン拍子で購入に至ったと覚えています。
グレードは「swing」、1.4㍑3ドアHBで、色はドイツっぽい紺色。
たしか愛媛県では1番はじめての登録に近かったんではないでしょうか。
私の故郷、四国の片田舎では そうとう珍しい「左ハンドル」で、
その後 私が免許を取得して乗った時に、
コンパクトカーなのに やけに横幅が広く感じたことを覚えています。
たしか、親も右のドアミラーをぶつけて「もいだ」と覚えています。
最も強烈な印象だったのは、アクセルを踏んだ時の力強さと武骨さ。
その後現在に至るまで 私を「ドイツ車信者」にした大きなきっかけです。
あの「奥様用」的なコンパクトな外観に似合わぬ
トルクたっぷり感やハンドルの重さ、ステアリングの太さ、クルマにのってる感は、
いつも「楽しい!」と思わせる、飽きないものでした。
ウレタンまるだしのバンパーも、逆に新鮮でした。
ふだんは母が乗ってましたが、大学・社会人と親元を離れた私は、
なにかあるごとにヴィータを「盗んで」下宿先に帰っていました。
社会人になってからは、当時、四国から愛知・蒲郡までもって帰りました。
そのあたりから悲劇がはじまりました・・・。
まず、フェリーで四国から神戸にわたり、
コンビニの駐車場の車止めで エンジンの下あたりをこすってしまい、
それがきっかけでエアコンのガスがすべてとんだらしく、
熱射病寸前で大阪~名古屋間の高速を走ってヤナセ直行。
その後の蒲郡生活では、
常にオーバーヒートとの闘いでした。
四国では特に大きな故障をしたような話は聞いたことがなかったのに、
水温計をにらんで、ヒヤヒヤしながら走ってました。
しょっちゅう修理にも出して、
最後の1年くらいで、中古車が買える程の修理代がかかりました。
私自身、いろんな代車に乗れて楽しかったですが・・・。
当時、おせわになっていた修理工場に
夜中、命からがら瀕死のヴィータを運び込んで、
フロントガラスに「○○が壊れました。お願いします。」をメモ書きして、
半べそで帰ったことが何回もありました。
まだ駆け出しの社会人の私にはもう手に負えなくなり、
出した結論が、
「新車を買って規則正しくローンを払っていこう!」という
なんとも楽観的なものでした。
そうして、頭金5万円で、次に購入した「GOLF WAGON E」が、
一文無しの私のもとへ、新車でやってくるのです。
以上が私の「ルーツ」 オペルヴィータの回顧録です。
まだデジカメなんて なかったころなので、
映像が何も残っていないのが悔やまれます。
Posted at 2010/06/26 23:21:22 | |
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