
おはおうございます。すっかり雨の宮崎です。
最近、すっかり朝型人間のXycoloです。
だって6時前には目覚めてボォ~っとしています。
温泉に入りたいからと鹿児島に向かったはいいものの、ETCゲート直前でカードを挿入してなかったことに気付き、慌てて挿入
…読み取り間に合わずッ
自分もやっちまいました。
係員の『今から発券しますんで、出てください』の声にドアを開けて券を取る自分に幻滅です(泣)
ああ…こうしてるうちに雨がスゴいことに
時計を巻き戻せば結構恥ずかしいこと経験してます。
高校時代は自転車で鹿児島の海へ向かったはいいですが、坂道で転んで頭髪が抜けたり
歓びのあまり、部屋で小躍りしたら、見事にうずくまり…
仕切りのドアの角材に頭頂部をクリティカルヒッツ(痛)
なんてこともありました。
最近じゃあ
ゆうちょ銀行の通帳無くしたと慌てて、財布に入ってることに気付かずに10分格闘してたり。
ダメですね。
あれから16年経ったのですか。
就職したばかりで、会社の寮にまだテレビが購入できず、寮の管理人に見つからないようにF1を盗み見てた1994年。
5月1日は忘れもしません。
日本時間23時半。
スポーツ番組を見て寝ようとギリギリの時間にテレビを付けたら
タンブレロで微動だにしない彼の姿。
当日の夜、スポーツ紙で『F1 12年ぶり死亡事故』の見出しに驚き、それからスグのことでした。
前日の予選で当時、シムテックから出走してたR・ラッツェンバーガーが亡くなったことからあまり時間が経ってない状態で今のようにネットが普及しだす以前のこと。
現場では情報が錯綜して、決勝当日もP・ラミー(旧ロータス)がJJ・レート(現ルノーF1)に追突し、セーフティーカーでの周回後、シューマッハから逃げ、ポールトゥウインを目指していた7周目
瞬間、彼はギアを落とし、ステアリングを左に切っていたことが裁判の資料提出で明らかになってます。
しかし、無常過ぎることに、彼のリクエストに応じて加工したステアリングロッドが破断し、200㌔超でコンクリートウォールへ
フジTVで中継を担当していた
三宅正治ANの声は今でも忘れられません。
同期の部屋にはテレビがあったので、保温シートに包まれ、ボローニャ大病院へヘリで向かう彼の姿を見て自分の部屋に戻り、翌朝の結果を知ったのです。
まだ始まったばかりの『めざましテレビ』からほぼ全てのニュースで結果を知らされると、脱力感でいっぱいでした。
数年後にネットに触れる機会が増えだし、あのピットで事実を伝える三宅AN、解説の今宮純氏、ピットレポーターの川井一仁氏の姿を見た時はイロイロと考えさせられることがありました。
今宮氏の件についてはあえてココでは触れませんが、命を預けて走る姿勢には今でも明快な解答はないものだといつも思います。
小河等氏(1992・鈴鹿・全日本F3000)やJ・クロスノフ氏(1996・トロント・CART)G・ムーア氏(1999・ロサンゼルス・CART)、D・アーンハート(2001・フロリダ・デイトナ500)等命を捧げた彼等にはただただ経緯を表すだけです。
今では迅速な救助活動で復帰するケースもありますが、難しい面もありますね。
なぜ、朝からこのような話題になるかといえば
セナの映画が10月に日本で先行公開するということを最近知りました。
亡くなって、何年も経つのに、こうして取り上げられるのはいささか不思議ではありますが、一度機会があれば観てみたいものです。
G・ヴィルヌーブの映画も随分以前に公開されるとの報でしたが、今の俳優ではセナ同様彼等の姿を再生できるような演者がいないのでしょうね。
グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードにて
2004年に父の駆ったフェラーリ(312T2/1978)で当時のヘルメットで走った1997年チャンピオン、子息ジャックが父のヘルメットを被った姿は、父の生き写しであることを確認させてくれ、正直写真を見て泣きそうになりました。
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2009年には同じく、アイルトンの駆った(MP4/4・1988)でも、セナの実姉、ビビアーニの子息ではあるものの、雰囲気は血筋でわかるようなもの。
動画
そういえば、スタローンの撮ったドリブンは、そもそもF1の映画でしたが、権利等々で当時のCARTに舞台が換わってしまったのは知られた話。
いかにもハリウッド的な展開で、1度見ただけで終わってしまいました。
だって、正直見てて嫌な意味でムズムズしてしまいましたから(個人差アリ)
今回は資料的な意味もあるので、是非観てみたいものです。
この記事は、
セナの初ドキュメンタリー映画、公開決定について書いています。
Posted at 2010/07/29 08:13:46 | |
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