2011年04月11日
週末、石巻の妻の実家に行って来ました。
9日、朝早くに家を出発、上信越道佐久ICから関越・北関東・東北・仙台南部・仙台東部道を経由し、三陸自動車道石巻河南IC、そこから約2km程走り実家に到着しました。
途中、東北道は福島辺りから道路状況がだんだんと悪くなっていきましたが、普通に走行する分には問題ありませんでした。
仙台東部・三陸道は所々にかなり段差があり、慎重に運転していきました。
石巻河南IC周辺は被害も少ないようで、普通に車が行き来していました。
そこから石巻港に向かっていったのですが、港に近づくにつれ状況はすっかり変わっていきました。
港から2km位までは手も付けられないような悲惨な状況でした。
崩れた家屋、流され潰れた車、港から流されてきた船等、至る所瓦礫の山でした。
港周辺は工場も多く、ほとんど壊滅状態でした。
その中に義弟の会社もありました。
当時、仕事をしていた義弟はぎりぎりの所で津波から避難したそうです。
実家はというと、港から3km程離れた所で、津波による浸水はありましたが、運よく床下浸水でした。
地震による被害も少なく、家が崩れた所も少なかったようです。
今は、家で生活しています。
ただ、ほんとに運が良かっただけで、隣の家から先は完全に床上まで浸水し、普通に住める状態ではないそうです。たまたま地形的に数センチ高かっただけで助かったようです。
それまでは電気・ガス・水道すべて復旧していたのですが、7日の大きな余震で電気・水道が止まってしまいました。私たちが行った時も電気は復旧していましたが、水道は止まったままでした。
今回、そんな事もあったので水を大量に持っていきました。
ガソリンはかなり普及し始めていましたが、一応持っていきました。
あと、生活用品、食材をいろいろと持っていきました。
それとは別に、レトルトカレー300食・ユニクロの下着等を大きな段ボールで2つ、石巻の市役所の方に届けました。
今回、妻の実家はたまたま被害も少なく人も皆無事でしたが、被災現場を見た時は声も出ないような状況です。その場その場で必要な物も違いますし、すべてに手を差し伸べる事は到底出来ません。
ただ、その場その場で今一番必要とされる物が届いていないのが現状です。
物資にしろ、義援金にしろ、一刻も早く必要とする人達の所に届くようにしてもらいたいものです。
Posted at 2011/04/11 19:28:47 | |
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