2011年05月19日
昨夜アップしたのだが、起きてから読み返したら恥ずかしくなって外しました。
でももう一度勇気をもって投稿します。
家呑みしてたら酔ったみたいで、
こいうときにしか書けない話…
気を悪くするかもしれないのではじめに
ごめんなさいm(_ _)m
最近になって、東北行きのコンテナ輸送が増えてきた。
と言うより、少しずつ戻ってきた。
今日はいわき行きの仕事があった、震災前にはよく行っていたところだ。
震災後初めての配達である。
明日は宮城県宮城野区、仙台空港のすぐそば。
残念ながら私ではなく、別の運転手が行くのだが。
今日で震災から59日目、被災地の住民は皆震災からの日にちを数える。
ずっと書けずにいた話、少しだけ…。
石巻に居たのはほんの1週間とプラス1日。
写真は撮っていないので読みづらい文章だけで申し訳ありません。
町はニュースで映る現場そのもの。
そこに現地に行かないと分からないもの、まずは匂い。
どぶ臭いのではなく、場所によって違う匂いの正体は…。
漂流したものが腐ったにおい。
魚だったり、米だったり、肥料だったり、地域によって全く違う。
それは我慢すれば解決するような状態ではなく、普通の生活をするのであれば怒りを感じる。
食欲なんて全く湧かない。
そして粉塵。
マスクをしていないと体に悪いのではないか、バカな私でも感じる。
押し寄せた泥は、乾くととても細かい粒子となってそれが風で舞う。
まず目がやられる、コンタクトが痛くて入らなくなる、防塵メガネが必要だ。
粉塵が原因なのか、肺炎にかかる人が通常の5倍にもなっていると地元の人が話してくれた。
一番胸に残る、被災者のひとりひとり。
生き残った人は皆、九死に一生を得て今を生きる。
そして力強く明日に向かって生きている。
泣いてなんていない。
お世話になった人全員が震災後、涙を流していない。
きっと感傷に浸る余裕も時間もないのだろう。
考えただけで胸が押しつぶされてしまう。
このぐちゃぐちゃになった町で生活をしている。
今も・・・。
津波が4メートルくらいだったところは、家の1階部分が全滅で、かろうじて残った2階部分で生活をする。
ニュースでよく映される壊滅的状態、そこは本当に瓦礫の山。
人は住めない。
その後ろに、あまりニュースには映らない住民が残る地域がある。
ボランティアはその部分の、住民から依頼を受けた家の片付けの手伝いをする。
といっても、車は刺さっているわ、物置が変なところにぐちゃって落っこちてるわ
ありとあらゆるものがぐちゃぐちゃに散乱している。
非日常的な光景は、毎日見ても全く現実感を帯びない。
ボランティアの仕事
1軒を10人くらいで片付けるが、3日くらい掛かる。
ボランティアで集まった人達は、心の底から復興を願い
仕事としてするには過酷過ぎる肉体労働を、不平不満一切言わず心をこめて作業する。
これも日常では無いと思った。
全ての人が思いやり、助け合い、励ましあう。
お願いした住民は、差し入れを持ってくる。
「何で差し入れなんかするの?こんなに大変な状況で大事なお金はとっておいて…」
一緒に作業をしていたボランティアの一人はそう言って泣いた。
帰ってきてから空を見るたびに思う。
この空は、本当に被災地に続いているのだろうか…。
あまりにもかけ離れている。
どちらが日常で、非日常なのだろう。
帰ってからこう言われた。
「もうすぐ関東にも大きな地震が来るのだから、そのときに頑張るよ。」
「むこうでは、何でもタダで揃うんでしょう」
「お金も貰えないのに何で行くの?」
「申し訳ないけど、原発が心配だよ」
向こうで一緒に作業をした人からこんなメールが届いた。
自分の手で何とかしたいという熱い思いを分かち合えてとても感謝しています。
まだ頑張っている連中がいるのに帰ってきてしまったので、なんとか支援の輪を広げようといろいろと声をかけてみましたが、案の定、温度差が大きいです。ちょっとがっかりです。まだ何か自分にできるのかこれからも考えていきたい・・・。
被災地へ行って現状に胸が傷つくより、
帰ってきてから胸が傷つくことの多さに戸惑っています。
今一番重要なことは原発、
それは本当に重要なことです、
でもそのことで陰になっている被災地のことを思うと辛い・・・。
忘れないで、私は忘れない。
Posted at 2011/05/19 22:18:51 | |
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東日本大震災 | 日記