
10月29日・・・
某合コンで知り合ったKちゃんと
その友達のRちゃんで、日光へドライブへ。
楽しい観光でしたwww
10月30日・・・
昨日、女の子達を新宿まで
送った影響で4時間の睡眠。
6時に起きていざ
ツインリンクもてぎへ。
いよいよ、カートレース2時間耐久参戦です。
ドラミを終えてから、
Skypeを利用した無線システムを
準備していたので、ファーストドライバーに
セッティングをしていたのですが
Skypeが絶不調。
スマートフォンも不調なため
アナログではあるものの
確実な、サインボードを使って
ピットサインを出すことに。
(この手のトラブルは
学生時代の某部活で
経験していたのになあ(謎))
レーススタート。
スタートは変速ルマン方式。
ファーストドライバーは
元野球部のK林。
彼の今日一番の見せ場。
10番グリッドから4番手まで
上げていたのですが、
乗車の混乱に紛れて
10番手に。
まあ参戦初戦ですから。
1ドライバーが連続で走行できる
時間が35分と定められていて、
我がチームはピットでの混乱を
避けるため、若干早めに
ピットイン指示。
セカンドはわたくし。
アウトラップ直後から
全開。
フルマークでレースを
進めます。
3台ほどパスして
シングルポジションまで
上がっていた段階で、
テンションが崩壊した俺は
1コーナーアウト側の
スポンジにほいほい。
それもそのはず、
ラップペースはトップ集団に
肉薄し、自分のドライビングキャパを
超えた運転を続けたことによって
完全に平常心を
失っていました。
クラッシュ自体は
軽度(速度は40Km/hほど)
だったこともあり、
オフィシャルに救助して
もらってから
再度、前走者を追撃。
上位のマシンを追走しながら
ピットイン。
ラップペース自体はよく
(この日、
4番手となるベストラップを記録)
上位進出も狙える位置まで
あがっていたこともあり、
チームの仲間には本当に
申し訳なかった。
レースにたらればは無い。
うん、その通り。
4スティント目はクラッシュの責任を
取るために、俺が走ることに。
3スティントを担当した
同期のI野さんは
クラッシュによる遅れを
取り戻すべく
懸命の走行を
続け、帰ってきてくれました。
俺がやったことだから、
俺が取り返さなくちゃ。
初めてです、
走行前に体の震えが
止まらなかったのは。
2スティント目に起こした
アクシデントを
二度と繰り返さない様に、
失った順位を
取り返すために
走りました。
何台かパスした時点で
順位をスタート時点と同じ
10位まで挽回。
残り10分。
3つほど先のコーナーに
見える、22号車の後ろ姿。
チームのために、
自分のために、攻めました。
ラストスティントだったこともあり
タイヤもずるずるで
コースサイドはかなりダスティでしたが
関係はありません。
残り5分、差は3メートル。
コーナーの要所では
しっかりラインをキープして
走るドライバーだったので
抜きどころを
見つけられず、3周が過ぎます。
残り2分、残り2ラップ。
ダブルヘアピン前の
チキンハートから立ち上がり重視の
ラインを走行し、
ダブルヘアピン一つ目、
ブレーキングで勝負。
頭文字D 21巻
「しまった ・・ !! こんなとこで ・・ !?」
(ギャアァァァ)
「なんだありゃあ !! 秋名のハチロクがあんなあっけなく ・・ !!」
「消えるラインか ・・」
「プロ同士でもうまく決まれば絶対にふせげないタイミングってのがあるらしいがな ・・」
「あっけないぐらいに見事だったな」
(ギャァアアア)
・・・なんとか成功、
クリーンにパスすることが
出来ました。
そして、チェッカーフラッグ。
疲労と安堵でへとへと。
チームの仲間は
俺のミスを責めることなく
「おつかれさま」と
言ってくれました。
順位は9位。
参戦初戦の目標である
シングルポジションフィニッシュと
ノーペナルティを一応両方
達成することが出来ました。
もしクラッシュが無かったら
順位は5~6位まで
上がっていた計算になります。
でもこれはタラレバ。
プロってのは、同じミスを
二回やってはいけない
by土屋圭市
次回からは
落ち着いて走行することを
心がけないと。
今回の経験は
自分にとっての
初レースでした。
ジムカーナでも
走行会でも味わえない興奮が、
レースにはあることを
知ってしまった。
湾岸ミッドナイト 4巻
僕はもう無理だ。
最後まで降りられない男なんだ
次戦は
11月、3週間後
第3戦。
俺たちの
レース人生は
始まったばかり。
Posted at 2011/10/30 17:16:48 | |
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