沢山の郵便物の中に、品の良いお洒落を纏った封筒が一通。
レターオープナーで封を開け、中身を確認すると馴染みのフレンチレストランのリニューアルのお知らせだった。
(ああ、シェフは引退したのか…そして息子さんが跡を継いだわけか)
そのフレンチレストラン通い始めて25年になる。多い時には2-3週間に1回は行っていただろうか。コロナの時は足が遠のいたけど、最近は2、3か月に1回という頻度となっていた。
(ああ、これは早いうちに一回行っとかないと。お祝いは何がいいだろうか)
案内状の中にある予約用の電話番号にかけると早速テーブルを予約したのだった。誰と行くかはこれから決めよう…。

(LA COURONNE)
25年ほど前、初めて伺った時の店内はとても味わいのある雰囲気に包まれていた。
磨き込んであるカトラリー、厚手のテーブルクロス、ほんの僅かにガタのあるテーブルに、少しクッションが抜けてきた感のあるアンティーク調の椅子。そして椅子に座ってきたお客たちが刻み込んできた床の擦り傷。
奥を見ればシェフがテイスティングを繰り返して厳選した名前を聞いたことも無いようなリーズナブルで美味しいワインが目に入る。ウィットに富んだワインソムリエとの会話も楽しみだった。
料理の内容については語る必要さえない。シンプルな盛り付けだが、どれもこれも工夫とドラマ性があって、コース全体として起承転結が整っていた。そして何回も通ううちにお好みの一品が何種類か定まってくる。チャレンジングな一品もいいのだが、季節毎に供されるそういった品は外す気になれない…。

(LA TOUR D’ARGENT)
新しい店の重々しいドアを開けると、綺麗に整った店内が目に入る。
久しぶりにお会いする引退したシェフのお出迎えとご挨拶の後に、息子さんである新任のシェフからご挨拶を頂いた。高い身長、大柄な体格。新品と思われるコックコートに身を包んだ彼からは、小さなお子さんだった様子は微塵も感じられない。ああ、時間が経つのは本当に早い。これからどんな展開が目の前に供されるのだろうか。実に楽しみだ。
早速テーブルに案内されると、以前とは少し様相が変わってきたことに気付く。
少しグレードの落ちた新品のカトラリー。昔使っていたあのシルバーは毎日磨くのが大変だったのだろう。そして面積が広くなって重みのあるテーブル、そして新調された椅子ときれいな床。
店内を見渡すとありとあらゆる調度類が豪華かつ綺麗に整っていた。なる程、アッパークラスに移行するつもりなんだろう。でも、うちは料理で勝負、職人的な意地を見せつけるような小洒落た雰囲気はどこにもなかった。でも、まあ、いいか…。

(BOFINGER)
今日のメニューはお任せしてあった。
とはいえ、この時期に行くわけだから、自分の好みとあわせておおよその見当は付く。
前菜、スープはこんな感じかな。魚と肉は恐らくこんなのが出てくるだろう。ソルベはいつものあれにして、メインはやはりあれにしたいな…なんて考えていると、メニューの説明が始まった。
(あれ…?)
メニューの文法が先代とかなり違う。
25年通ってたわけだから大抵のメニューは知っているはずなのだが、案内を受けたメニューには知っているものは無かった。高級食材を使っている旨の但し書きはやや気になったが、それよりも新シェフの腕前を見たいという気持ちがそれを上回る。
つぎにソムリエさんを呼んだのだけど、残念ながら引退したそうだ。
そこで若いソムリエさんにワインリストを見せてもらった。僕はあまり飲まないし、ワインは全く詳しくないのだけど、そんな自分でも見知った名前がずらりと並んでいる。これなら外れは無いだろうけど、“目利きを楽しませてもらう”というメニューは無いようだ。
しばらくすると、料理が運ばれてきた。前菜からして見た目が凄い。“映え”を気にしてのことだろうか。すると、少し離れた席にいるカップルが写真を撮りだした。おいおい、先代ならそんなことさせないだろうよ…。
とにかく、何だろう、料理自体は勿論美味しいのだが、ソースのかけ方や素揚げの野菜のおき方なんかは前衛芸術の様だ。なんか落ち着かない。一緒に行った方は素直に喜んでいる様子だが、なんか晴れない顔をしている僕を見て、不思議に感じているのだろう。
「どうしたの?」
「何か合わないものでもあった?」
そんなわけがないし、そんなことをここで言うわけにもいかない。
うん、大丈夫、と言いつつ食事を口に運んでいると、別のテーブルにいた羽振りの良さそうは30台から40台位の若い男女がワイングラスをくるくると回しつつ、ソムリエを呼びつけて大声でワイン談義を始めている。
「○○君、これは実に素晴らしいワインだね!」
「この年の出来は凄い良いのだね!」
知り合いなのかな…ソムリエは負けず劣らず議論に入っているのが聞こえる。昔のソムリエなら声を抑えるように抑揚の聞いた声で注意しているはずだ。ちらっと見ると、同伴の女性はワインの写真を撮りながらソムリエとワイン談義をする彼を憧憬の眼差しで見つめていた。
竜宮城に飾られたような最初の魚料理が運ばれてきて、次に牧場で泳いでいるような肉料理が運ばれてきた。どれも美味しいけど、この店の味付けじゃない。
口休めのソルベは…これどこかで食べたことがあるぞ。外注品なのだろうか。いちいち仕込んでいた先代の味が懐かしい。
そしてメインが運ばれてきたけど、何だろう、ジャングルジムの中に肉が鎮座しているという趣だった。同伴者は素直に喜び、時間差をおいて他のテーブルでも軽い歓声の声が上がるのだが…やはりソースの味が違う。
最後に珈琲を頂いた。先代と同じなのは珈琲の味だけだった。聞けば機械をそのまま使っているそうだ。それは良かった…。

(AU CHIEN QUI FUME)
お会計は先代の頃と比べて料理だけなら7割増。
飲みきれないくせにそこそこのワインを開けたので、結構な金額になってしまった。
食事を終えて、自分にしては珍しく口直しにどこかで飲み直そうかと考えていると、先代が近づいてきて、どうでした、と聞いてくる。
「料理は美味しかったし、お客様は皆、満足感を味わっていると思いますよ」
「でもねシェフ、知らない音、知らない香りばかりだったよ」
シェフは少し考えこんで、やはりそうでしたか、と言う。
そして、もう少し息子と話してみます、と言うと厨房に戻っていった。
長い時間軸の間で同じテイストを保つのは鮮烈なほどの頭脳の切れと意地が必要になる。恐らく先代は息子さんの説得には失敗するだろうし、客層も変わっていくだろう。
自分はと言えば、しばらくあの店には行かないと思う。
あれは僕が馴染みのある店と名前は同じだけど、違う店だ。
求めていたものが供されないと分かっているのに、行く必要などどこにあるのだろうか。
さて、次はどんな店に行こうか。
行くべき店を探すのもほんの少しだけ億劫になってきているのだが。
(終)
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Posted at
2024/07/12 13:08:01