2011年02月10日
音屋(サウンドハウス)とアプライド・マテリアルズの想い出
昨日google mapを見て驚いた。千葉県成田市新泉14-3に「音屋」の愛称でミュージシャンから親しまれる「サウンドハウス」があるではないか!
ここは以前、世界一の半導体製造装置メーカー、米国・アプライド・マテリアルズの拠点だった場所だ。
たぶん成田で最もでかく最も立派なビル。オフィスとラボが併設されていた。
この建物は建設当時から知っている。「日立冷熱」のでかい看板があったので日立冷熱が来ると思った人もいた。
出来上がったのは小さくて薄汚い工業団地に似つかわしくない近代的なビル。
ここで働いてた人を二人知っている。ひとりはあまりの給料のよさに喜んでいた。何の仕事をしていたかは知らない。
もうひとりは早稲田卒の才女。英語も堪能。アメリカの会社だから公用語は英語。言葉では不自由はしない。聡明で、元気で、明るくて、素直で、ユーモアがあり、いつもニコニコした、素晴らしくカワイイ子だった。「こんどお昼をいっしょにどう?」と誘ってみたが「どこで?」と返される。google mapを見ればわかるように、近くにはお洒落なカフェはおろかコンビニや油ぎった大衆中華すらないwww
その子はスポーツに興味があったらしく、東京にあるプロ外国人選手の代理人事務所へ転職し、それっきり。
当時のエッチングのプラズマ源はECR(電子サイクロトロン共鳴)が主流になりつつあった。日立製作所はすべてのエッチング装置をECR方式にすると発表した。当然アプライドもECRだ。同じ技術は僕も使ってる。そんな話をしたら不思議がった。同じ工業団地の薄汚れた工場の中でECRを何に使うのだろうと思ったに違いない。
当時、アプライドは米国の日本進出の急先鋒だったのだろう、時の副大統領が視察に訪れた。副大統領はすぐ近くの成田空港から直接ヘリに乗って現れた。秘密裏に行われたがなぜか情報は入ってくるw こんな汚いくそ田舎でびっくりしたことだろう。
しかしそのアプライドもなぜか撤退。こんな立派なビルを放棄するのだから完全撤退かと思いきや実は全国にオフィスがあり、熊本にはラボもある。
しかしまぁ、成田には立派な物件が残った。ラボもあるので汎用性は低い。誰が買うのか?「サウンドハウスが買った」「それはデマだ」という噂が同時に流れた。
そして何年か経ってサウンド・ハウスが引っ越してきた。
話はそれるが私は基本、現地調達主義。普通の社員は社内の人、東京にいる同窓生、地元が近ければ地元の人としか付き合わない。
しかし自分は福岡出身だが、住む場所に溶け込み現地人になりきることを目指していた。残念ながらそこはラオスやベトナムやニューヨークじゃなくて成田だったw
だから私には「kzoの成田人脈」というものが存在した。これは自分で言ったのではなく人が名付けたのだから本物。
単なるサラリーマンなのに青年会議所にも出入りしていた。
そのほかにも様々な職業の人と付き合いがあった。
(さらに話は飛ぶが、2004年の国際青年会議所世界会はつい先日一緒に飲んだマブダチwが仕切った。秋篠宮殿下・妃殿下、麻生総務相(当時)も臨席される規模。そんなヤバイ奴とは知らんかった。)
実際、アパートも不動産屋を通さず友達から格安で借りることができた。
しかし「成田人脈」を自分の役に立てたのはこれ一回切り。経営者じゃないからね。それより人を人に紹介してビジネスに役立ててもらうのが楽しかった。
その中でもとりわけおもしろい人がサウンドハウスの創業者である中島尚彦さん。
この人は面白そうだ、と自宅に電話し、押し掛けた。最初は怪しまれたが、すぐに打ち解けて楽しい話を聞かせてもらった。僕は彼をあだ名で「リックさん」と呼び、世話になった。
彼は実は輝かしい経歴の持ち主で生まれ育ちもよい。そんなものをかなぐり捨てて、なぜか成田に定住し、結婚し、サウンドハウスを起業しようとしていた。最初は狭小のボロ屋を借りて押入にアンプを4台在庫している程度。それが売れれば一応食っていける。奥さんはそれで十分なのに、と言っていた。
近所のディスカウント・ショップが閉店した。俺は「リックさん、あそこ借りましょうよ!」と進言。すぐには答えを出さなかったが結局そうなった。このあたりでヘッドハンティングされた。自分としては大学で学んだことと関係ない仕事には抵抗があったし、自社への忠誠心も強かった。終身雇用制が生きてた時代の入社だし骨を埋めるつもりでいた。なにより血反吐を吐いて起ち上げた工場を離れるのに躊躇した。
サウンドハウスは忙しいなりに順調だった。海外の多くの優良メーカーと代理店契約を結んでいた。当時はまだ珍しかった決済手順を採用していた。アフターサービス(アンプなどの修理)担当は大手オシロスコープ・メーカーからバリバリの技術屋を連れてきていた。
サウンドハウスの新卒第一期生の募集が始まり、面接が行われた。面接官はリックと、なぜか部外者の僕だったwww
志望者は高卒女子。リックが志望動機について訊く。用意された答えが返ってくる。さらに突っ込んだ質問をする…。もう答えられない、マジで半泣きwww
サウンドハウスにはこんなスキルが必要だ(=暗に、入社までにこんな勉強をしておきなさい、と言っている)。本当に入る気ならPCでこれくらいはできないと。PCが無いなら親に借金してでも買え、と言う話になったので、どんなPC、どんなソフトを買ってなにをすればいいか、僕が素早くフォローする。PCがまだ普及してない時代で相手はど素人だから。
このころ自分は知財部に異動した。不本意だった。犯罪的なパワハラもあった。
しかし、いろんなスキルを身につけられるからと思い、耐えてとどまった。
土曜日にサウンドハウスに職場体験に行った。アンプなど電気関係の修理をやった。
全般的に各部署の仕事はハードそうだった。
面接の女の子は垢抜けた感じで楽しそうに働いていた。本当によかった。
サウンド・ハウスからまた誘いがあった。もしパワハラに負けても俺には行くところがあると思うと何とか耐えられた。
最後の誘いがあった。株式を上場するから早く来い。創業者利益が得られなくなる。
俺はそのときすでに壊れていた。
サウンドハウスが俺をほしがった理由。
・アフターサービス(修理要員)として
・一部上場企業のプロの流儀を注入してほしい(創業間もないサウンドハウスは社会人経験のない素人の仲良しクラブのようであったと考えられる)
もしも、という言葉は無意味だが、サウンドハウスに移籍していたら今でも成田でそこそこ楽しくやっていただろう。給料だって2倍だし! 商業都市福岡から成田の片田舎の一商店に就職するってのも変な話だが。
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Posted at
2011/02/10 00:30:51
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