以前記したように,日影丈吉はある時点までは私の中で重要な作家ではなかった.
しかし,大学に入ってのち彼の著作を紐解けば,その奥深さに引き込まれ,
いつしかファンのひとりとなっていた.
近ごろは車での移動が増え,それに反して本を読む時間は減っていったように思うが,
思い立ったように本を開けば,やはり視線は吸い寄せられる.
趣味とも言えないほど,行った回数は少ないが,美術にも関心があり,
近々美術館に行きたいとブログで書いた.
そこでゆくりなくも,町田の名前を目にし,日影丈吉を思い出した次第である.
斯くして,平生においてはさしたる用もない都会へ向かうことと相成った.
昼間は晴れていたので,屋根を開けて高崎駅まで走り,
駅前駐車場が満車だったので逆側の電機店の駐車場に車を停めた.
入庫時は何台かの車がスロープにおり,坂道に難儀しながら6階へ.
このとき既に,11時を回っていたように思う.
考えてもみれば,もっと早く行動するはずであったのに,だらだらと延びてしまった.
駅ビルで飲み物を買い,高崎線の電車のボックス席に座を占めると,
そこからは本を読みながら電車に揺られて小一時間.
赤羽で埼京線へと乗り継ぎ,新宿で小田急線に乗り換えた.
余談だが小田急線は一時期利用していたことがあり,
久々に見る快速急行の文字に何とはなしに懐かしさを覚えた.
乗り換えの時間に余裕を持たせたわけではないので,席には座れなかった.
下北沢では幾人かが降り,一旦席が空いたのだが,それはただ眺めるのみだった.
近ごろ電車に乗りつけないので,空いた座席を即座に確保する,
そういった感覚も失われてきているのかもしれなかった.
新宿からの駅数にかかわらず町田へはさして時間がかからず到着したが,
何しろ駅と駅との間の距離が違うのだから,さもありなんという感がある.
町田の地を踏むのはこれが初めてであった.
小田急線町田駅から文学館を目指す場合の歩き方は,
公式サイトに記載があるが,字面を見ただけでは実感が湧きにくかった.
そして,行ってみて得心がいったが,とりあえず写真を残してみる.
これが町田駅を出てすぐの景観である.
踏切を背にして,というのは,これと反対側に向かって歩くということであった.
踏切と反対側をさして歩き始めることとする.
まず,一つ目の信号を渡る.
二つ目の信号を渡らず左折ということだが,それだと左側通行になってしまう.
反対側を渡るのがよかろう.
ウェブサイトにも書いてある通り文学館の旗があるので分かりやすい.
そして,勢いよく歩いていれば通り過ぎそうな,引っ込んだ位置に文学館はある.
看板がなければ一旦は通り過ぎるかもしれない,というと言い過ぎだろうが,
初めて目にしたときこれだったのか,という印象があったのは偽らざる感想だ.
建物の外観を撮ってみる.
その後,小屋の入口で木戸銭を拂ひ……というわけでもなく,
作業着を上にまとった職員に入場料を支払って2階へ歩を進めた.
階段の段には日影の名言が貼ってあり,気分が盛り上げられる.
そして階段横の行事予定を目にし,重大な手抜かりに気が付いた.
楽しみにしていた朗読会のことをなぜ忘れていたのか.
そう,今日は『猫の泉』の朗読会が開かれたのであった.
朗読会の予定は14時から.2階へ上ったのは14時15分前後でもあったろうか.
朗読会場の前に立つ職員に,途中入室ができるか問うてみたところ,
どうやら入れるようだったので,申し訳なく思いつつも鞠躬如として入ってすぐの席についた.
朗読は,話者がジャン・モレア(モレアス)そっくりのギリシア人もどき?から,
ヨンの街の話を聞かされているところまで進んでいた.
私は『猫の泉』を幾度か読んでいるので,大まかな話の筋は理解しており,
すぐに追従することができた.
目で文字を追うのと,耳で音を追うのと,かくも違うものかと思いつつ,
朗読に聞き入ると,読み手の鈴木弘秋さんが表情豊かに作品を読み上げ,
より一層の色彩を作品に加えているのであった.
文学座の俳優という鈴木弘秋さんの朗読は実によかったが,
彼の朗読で『旅は道づれ』を聞いてみたいと思った.
『猫の泉』における旅の道中で出会う名も知らない人々を含めると,
登場人物は7~8人にはなるだろうか?
特に,レストランのおやじとヨンの神父の演じ方がよかったと思う.
読み方は素晴らしくとも,この作品を未読の人にはどう伝わったろうか.
ところどころの表現が,人によっては晦渋に思えるかもしれず,
会場の人々がどう思ったか知りたいところではあった.
私は既に何度か読んでいたから,好きな作品に新たな色彩が与えられた感覚だった.
途中,携帯電話と思しきバイブレーターの音が響いていたには閉口したが,
それを差し引いても素晴らしい朗読会であったと思う.
返す返すも,途中入室となってしまったのが残念であった.
しかし,半分以上聴けたと思うことで自分を納得させることとする.
朗読が終わった後,司会者(職員)が解説を加えた.
確かに日影丈吉の作品は,動物を題材にとったものが散見する.
『猫の泉』はもちろん,もう一つ猫を題材とした『粉屋の猫』も素晴らしい作品だし,
猫に限らず,詳述は避けるが『王とのつきあい』などもある.
朗読会が終わって観客が思い思いに散らばるころ,
廊下で鈴木さんと少しお話をさせていただくことができた.
『猫の泉』は読んだことがある作品だが,耳で聞くとこうも違うのかと思った,
日影丈吉が好きで群馬から来た,などという話をしたと思う.
文学座の舞台も機会があれば観に来てほしいということだったが,
言われるまでもなく,鈴木弘秋という俳優に興味を持って,
今度は舞台で観てみたいと思ったのであった.
当初考えていた順序とは逆転してしまったが,朗読会が終わって展示を見た.
日影丈吉の自筆の原稿があり,興味深く見させてもらった.
当然かもしれないが何か所も書き直しがされていた.
しかしそこには,印刷物にはない,血が通った生の文章があった.
ガラスケースに収められていたため自ら手繰ることができないことに隔靴掻痒の感があった.
ほかにも,『かむなぎうた』を投稿したことで彼が日の目を見ることになった『宝石』の展示は,
これがなければ知ることがなかったかもしれず,感慨深かった.
意外と毒々しい―この言葉が適切かどうかは知らない―表紙だと思ったものだ.
インタビューは,音がこもっていてよく聞こえなかった.
小さな展示ではあったがおよそ1時間かけて鑑賞した.
展示の中でこれだけは撮影してもよいとのことだったので,
日影丈吉とは直接関係がないが撮らせてもらった.
帰り際,図録と作品集を買って文学館を後にしようとしていると,
思いがけず鈴木さんとばったり再会して,少しだけ立ち話をした.
楽しい話をありがとうございます,と心から伝えて文学館から立ち去った.
帰るころには夕方で,家路に向かう人々が乗る電車は暑苦しい印象を与えた.
埼京線が数分間動かなくなったが,その後は何事もなく,18時過ぎには再び高崎に降り立った.
行動を始めるのが遅かった故か,夢か幻ででもあるかのような1日であった.
とにもかくにも,『猫の泉』の朗読が聴けて,展示が見られたのが幸いであった.
今後もこうした催しがあるとすれば,積極的に参加したいものである.
立体駐車場で屋根を開けて車を出すと,やはり夜は寒かった.
電車の中でぼうっとした頭を冷やすには誂え向きだと思いつつ車を走らせた.
なお,これらは今回の小旅行で得たものである.