では。続きです。
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ローカルレースから、国際レースへ。
「K」によるサンデー・レースは主にイタリアにおいて盛んであった。
理由は意外にもバイクレースの副産物にあった。

(プレス向け資料より抜粋)
202X年、ドゥカティ・モーター・ホールディングスが、電動2輪車「Supermoto -e®︎」(モタード競技用電動バイク)を発表。合わせて専用サーキット「Supermoto rink®︎」をボローニャとカターニアに建設。新たなモータースポーツのカテゴリを創った。
(この画期的な発案は、老朽化したスタジアムの売却が発端だったが、当時、活用されていないインフラの活用方法、サーキットの問題である騒音問題を低コストで解消し、市の財政難も解消した事例として報道された)
レース中の騒音やエミッションの問題は無く(とは言えモーター独特の高音は発生し、これを嫌う人もいる)
都市部向けのモータースポーツとして人々に受け入れられた。ショートサーキットであるにも関わらず、コースが見渡せる感覚、それが「世代」に受けたのであろう。
発端は、レース後に、とあるライダーが自身の「K」をコースに持ち込んで走り出した事にあった。これは規定違反の行為であったが、その規定が見直されるのには時間が掛からなかった。(平日にもサーキットは開かれ外周のトラックは、ランニングやバイクを楽しむ人々、サーキットは時間帯別に電動バイクと、Kが入れ替わりで走行している)
イタリアから発信された競技は、世界にも配信され、本来はドゥカティ社の電動バイク普及の為に発案された物が、Kによるレースの普及にも大いに貢献した。これは全くもって想定外の事であろう。(ドゥカティ社は独.フォルクスワーゲンAGの子会社であり、これをきっかけにKの開発踏み切ったという見解もある)
前述の草レースは、実施される地域により名称に相違があり、統一名称やレギュレーションも曖昧であった。(これが良かったという声もあり、もちろん現代においても地方イベントは続いている)
4年後の20XX年、FIA(国際自動車連盟)は正式に前述のレースを世界選手権として位置づけた。
正確には
FIA WRC-K(FIA World RallyChampionship - K)
となる。四半世紀前、極東の地で庶民の為に作られた車両が、よもや世界で認められるとは誰が思っただろうか。
(中略)
「ラリー・サーカス」はシーズン中、兄貴分のEWRと世界を巡る。
歴史的にも重要なイベント「モンテカルロ」や「ツール・ド・コルス」があるが、「K」誕生の地「Nippon」においても、過去3年に渡り都市部でのレースが開催された。
筆者が、自ら取材に出向いたという事もあるが、最も印象的だったのは、日本国のほぼ中央、愛知県で行われたイベントであろう。
名古屋市内で行われたが、夜間とはいえ、一般道を閉鎖し、さらに城(名古屋城)の周辺道路をマシンが全力で駆け抜け抜けるという…「お堅い」印象の国では想像しがたい映像が繰り広げられた。
これは地元企業であるTOYOTAや、地方自治体の協力体制の元実現したものであったが、FIAとしても、都市部におけるレースのノウハウを学習出来た良い事例だったのではないだろうか。(残念ながらイベント自体は2シーズンで終わってしまったが。イベントの観戦人員数も目的を大きく上回り、人気を伺わせていたが、地元民の反対には勝てなかったという事か。)
(中略)
・最後に
ゼロエミッションの加速は環境問題についても重要であるしこれからも推進していくべきであろう。
ただ、一部の報道や発表にあるように、法整備や技術的な問題で思うように進んでいないのも事実である。方や「着々と」内燃機関の研究も進み、半世紀前のエンジンと比べ出力も、効率も向上してきた。
大袈裟な表現かもしれないが、「火」と「音」は太古より人間にとって気持ちを昂らせ、それを本能から求める物なのかもしれない。
スピード性能なら電動モーターに敵うものは現段階では無い。しかしながら本能に訴える乗り物としてエンジンを超える存在があろうか?
筆者の自宅ガレージには、祖父より譲り受けたHONDAのビート(最近イエローからマルーンに全塗装をした)XX年式アルト・ワークスR(もちろん、レース用にモディファイした。余談だが、私の身長ではヘルメットを着用するとシートをローポジションにしてもルーフとやや干渉する為、「ダブル・バブル」ルーフに変更した。高価だったが、もちろんカーボン製だ!)そしてXX年式レンジローバーが1台納められている。
レンジローバーは我が国の誇りだ。仕事や、家族と出掛ける時はいつもこれである。主要道路や高速道路はオートドライブなので非常にイージーで、リラックス出来る。ただ、退屈だ。何の為に私は居る?
祖父から受け継いだHONDAのキーを捻る時。
自宅から数マイル離れたサーキットまで自らのハンドルで自走し、アクセルを踏み込んだ時。
世の中が全て見えないワイヤーで繋がり、無味無臭なエネルギーで後押しされる。我々はどこまで依存するのか?依存させられるのか?
自宅の3台は1台を除いて手放すつもりは無い。
Posted at 2018/12/11 11:05:15 | |
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